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金の無い自由

おはようございます。 せっかく「自由」なはずなのに、カネが無いと、選べません。 (何が訊きたいの?) この矛盾について、宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#261481
noname#261481
回答No.5

金に縛られるというケースもありますし。 金がある故に選択できない選択肢と言うのも有ると思います。 自分が選択できる選択肢から選べばいいんです。 それが自由です。 自分で出来もしない選択肢を考えても意味がないです。 もちろんそれを目指すと言うのはありですが。

kurinal2
質問者

お礼

go-go-box様、ご回答ありがとうございます。 なるほど、「めざす」ことは、出来ますですね。 曰く「自由主義経済では、ムダも多いが、進歩が有る。社会主義経済では、全てが計画的であるゆえに、進歩が生じにくい」 まあ、「社会主義経済にあっても、人間というのは、なんとか工夫しようというものであるらしく」ということですが。

その他の回答 (4)

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2753/12076)
回答No.4

人生というのはまあ公平にできております もちろんそうでない人が目立つのですが、90%は庶民の家に生まれて、50%は大学に行き、20%はいい会社に入るのです スタートラインがほぼ同じであるならば、得られる「総幸せ量」は同じようなものです。 これをどのように割り振って使うか、という問題です 勉学に励んで青春時代を棒に振って良い大学から良い会社に入りますと20代以降は幸せな人生でしょう 不登校で過ごすとクラスのごたごたはないしネットやゲームで遊び放題の幸せ者です。ただし20代からつらいでしょう そういうわけで自由を得るのもお金を得るのも選択でして、どちらかしか取れないか、それぞれをそれなりに取るのかということです すこし話が違うかな?まあそんな感じ。

kurinal2
質問者

お礼

agehage様、ご回答ありがとうございます。 ・・・昔は、「ふつう」って、そんなに悪い意味ではなかったように思うんですけど、現代?では「ふつう」と評価するのは、「どちらでもない」というニュアンスより、もうちょっと「好ましくない」のほうに傾いた表現になってしまっているようです。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

カネがあれば自由ということでもないと思います。原則はカネを使わない生活を考えることかなと思います。

kurinal2
質問者

お礼

kaitara1様、ご回答ありがとうございます。 ああ、「金持ちも、それ程には自由ではないのかもしれない」ということは、考えます。 むしろ、「滅多なことでは「贅沢」なんてしないのが、真の金持ち」とか・・・

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

「自由にはコストが必要」 …byバイデン。 「金が無い自由」を選択するなら、 手元に金が有れば矛盾となる。 金が無いなら、それ以上の嘆きは無用。 …既に金の不自由から解放されている。 選択の自由にはコストが必要。 選択放棄の自由にはコスト不要。

kurinal2
質問者

お礼

g27anato様、ご回答ありがとうございます。 「金の無い自由」は、金持ちは選ぶことが出来ますが、金を持たない人間には、それしかありません。 ・・・まあ、そもそも、もっと卑近なことを考えてのご質問だったのでは、ありますが。

kurinal2
質問者

補足

「有れば、有ったで、大変そうだ」というのも、判るような気は、するんですけど

  • DESTROY11
  • ベストアンサー率23% (804/3490)
回答No.1

カネが必要という時点で貨幣経済に縛られています。 自由ではありません。

kurinal2
質問者

お礼

DESTROY11様、ご回答ありがとうございます。 前々から疑問なのですが、何故、「このような幸せ」と「あのような幸せ」と、二つに峻別しようという発想が、あるのでしょうか? そこでも、金を持たない人間には「あのような幸せ」しか選ぶことが出来ないように、思います。

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