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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:意味を教えてください。)

報われるための努力はしない方が良い?

このQ&Aのポイント
  • 難しいことにチャレンジして、悪い結果になった人に対しての言葉についてです。
  • 自分は、報われるための努力ならしない方がいいと思う。
  • 努力しなくても良い結果になったと思われるのにもかかわらず挑戦した、という事実が、努力とはなんの意味があってするのかということの答えだと思う。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

損得の収支 という言葉を使用している時点で、ヤバい人という印象です で、逆に、どのような言葉にも背景があります 自分の経験の積み重ねから得てきた言葉であるのか?どこかの本に書いてあった言葉を借りているだけなのに、持論のように話しているだけなのか?です 故に、努力の「損得の収支」なんて言葉は、あきらかに後者ですよ 人は、借りてきた言葉を話されると、心が動きづらいです その言葉に説得力などはなく、聞いている時間を無駄に感じさえします 相手を説得や教示をするなら、自分の経験を話し、その中で得たこと(考え・結論)を言葉にして話すのに、借りてきた言葉にはその人の人生(経験)の話のカケラもありません ので、人から借りて、その内容さえもいいように自分で上書きして話しているような言葉には、耳をかさないほうが良いでしょう 逆に、過去の経験からそのような言葉がでているのですか?と、聞いても良いぐらいです 努力=経験 と捉えた思考をせず 努力を損得の収支 と説明する人は・・・あなたにとって、なんの価値もない人ですよ

wkiamit
質問者

お礼

なんか分からなかったのが回答の最後で納得しました。それだと。 積み重ねないと向上していきませんから。 ご丁寧にありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • getiton69
  • ベストアンサー率68% (24/35)
回答No.4

その言葉をだれがどのようにして発したのかわかりませんが、論点があいまいで冗長なため、質問者が意味が解らないというのも当然でしょうね。私も一回読んだり聞いたりしただけだったら、なにも感じないままやり過ごしていたでしょう。 それでよく読んでみると、要点としてはg27anatoさんが言うように「無駄な努力」の是非ということですね。論調の背景は、まさしくsutoramaさんの指摘のようなことだろうと思われます。 ある目的を持って努力をしてもかなわないことのほうが多い。多いんだったらしないほうがまし。私も、宝くじはいっぺんも買ったことが無いです(笑)。 でももしその目的を果たせなくとも、努力することそれそのものが気高く美しいものだから、そこにこそ価値があるのだということを言ってるんでしょう。ただ、なぜそうなのかという説明が無いため意味不明な精神論に堕しているんですね。その結果、最初の一文「努力しないほうがまし」というのが独り歩きしてしまってます。 質問からはちょっと外れますけど、私は無神論者なので努力すること自体に意味があるとは思えません。しかし、なにか目的を持って行ったことがうまくいかなかったとしても、何かしら得ることができるものなんですよ。それは当初の目的に比べて小さいことかもしれないですけどね。100パーセント損するということは決してありません。 それは価値観によるものであって、ものの見かたを変えれば失敗もまた成功のカギになるという昔から言われていることですね。当初の目的とは違った得難い経験としての結果が得られることさえある、ということです。 私はスポーツほとんど興味無いんですが、昨日のテレビニュースでオリンピックのスノーボードというんですかあれ、クルクル回るアクロバットの競技で、無謀な挑戦をして上位には入れなかった女子選手の様子は見ました。この人失敗したんで優勝は逃しましたけど、他国の選手から称賛を浴び報道でもこんな大技見たことないと、そのガッツをおおいに評価されるわけですね。ひょっとしたらこの選手、金メダルよりも価値のあるものを生み出したのかもしれません。 損得考えずに、したいこと・本当に面白いと思うことに打ち込めば、はじめ思ってたのと違うことになったとしてもそれはそれでエキサイティングなんじゃないかと思います。

wkiamit
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。 私は努力をついついしてしまうのですが、確かに失敗から学ぶことはたくさんあります。 努力しなくて無難に生きられるほど能力はないので、簡単なことすら努力努力の日々です。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

先回答は一部にしか答えてないかも。 …改めて補足回答。 論点は「無駄な努力」の是非かと。 努力とは「一段上の結果」「より良い結果」、或いは「期待どおりの結果」を求めてのもの。 期待した結果に届かない「無駄な努力」で終わらせるなら確かに無意味。 最終的に期待した結果に届く事を目的にするのが本当の努力。 並みか、或いは並み以下の結果でも構わないのなら、 特段の期待が無いのなら特段の努力も必要無いと言える。 …無駄な努力か否かは当事者次第となる。

wkiamit
質問者

お礼

ご丁寧に2度もありがとうございます。 オーバーに言えば出世したくない人の発言かなと思いました。それならば納得です。 世の中には頑張りたくない人ってわりといて、頑張らなくても普通に暮らせるのだなと分かりました。 私などは普通のことすら必死にならないと出来ませんから、常に努力努力の日々です。 分かってスッキリはしましたが、私の能力を分からされたつらさが見に染みました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

物は考え方次第。 例えば、 三歩先に欲しい物が有る場合、 一歩進むだけでは欲しい物に届かないので、そこで止まれば無駄な努力になると言える。…(つまり悪い結果。) しかし、 同じ努力も止めずに三度続ければ、 結果は三歩進んで欲しい物に手が届く。…(つまり良い結果。) 中には一度に三歩進もうと努力しても一歩しか進まない者がいるかも。 …そんな無駄の多い努力でも、三度繰り返す事で同じ結果は得られる事になる。 このような事例は「求める“目的”」と、努力で「得られた“結果”」の評価と比較から価値が判断される。 …努力とは途中経過や目先の判断ではなく、到達した結果で価値判断されるもの。 「待ちぼうけ」という唄が有る。 努力したくないのに「待つ」という努力をしてしまう呆け者の唄であるが、 そのような努力も無駄か無駄でないかは結果で価値判断されてる模様。

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