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「諦めが肝心」or「続けることに意味がある」
「どんなに辛いことでも、逃げたら負け。 始めたのなら最後までやり抜く。続けることに意味がある。」 こんな事を言う人は沢山いますが、私には納得できません。 辛いのならやめればいいじゃないですか。 その辛さの中にも自分の生き甲斐や希望を感じるのであれば続けるべきでしょうが、 そうでないのなら続ける必要は無いと思います。 そうやって意地を張ってストレスを溜めながらだらだらとやっていくよりも、 潔くスパッと諦めて、何か自分に合うものを他に探す方がいいと思うのです。 「人生は諦めが肝心」という言葉があるように、諦めるのなら早いうちに諦めて、 新しい分野にどんどん挑戦していくことのほうが意味のあることのように思います。 みなさんは、「諦めが肝心」だと思いますか? それとも「続けることに意味がある」と思いますか?
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- ap10
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どちらも大切 しかし、もっとも大切なのは「状況判断」 これができないと、状況的に間違った方を選んでしまうから 例を挙げれば、「幾ら続けても意味が無く、諦めなくてはいけない」状況なのに状況判断ができず、無意味に継続してしまうようなケースがある 他にも色々なケースがありはしますが・・・ >辛いのならやめればいいじゃないですか。 気になったのですが、これを言う人はそれ程努力していない場合が多々 正確には、忍耐が足りない人が多いかな 費用対効果という言葉がありますが、「辛い(費用)と感じるが、その結果どれだけの物が得られる(効果)のか」をちゃんと計算し、費用に対し十分な効果があるか判断の上で、続けるのか、諦めるのか選ばなければ無駄が増えます という訳で、ご質問に対する回答は「状況に依存する」というのが正確な回答になります
まあ解釈次第ですけどね~ たとえば >潔くスパッと諦めて、何か自分に合うものを他に探す 転職の事と仮定して進めますが、 これだって、仕事はやめた(諦めた)けど、自分に合わないという辛い事実からは「逃げず」、 合うものを探し「続ける」って事でしょう?
- Kules
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「諦めが肝心」 「続けることに意味がある」 こういう言葉は基本的にどちらかに極端に偏っている人を戒める言葉だと私は思っています。 つまり、「何をやってもすぐ飽きてしまう、長続きしない」人のための「続けることに意味がある」でしょうし、 「何でもだらだらやりすぎてしまい、取り返しがつかなくなる」人のための「諦めが肝心」ということばだと思います。 じゃあどっちもダメじゃんってことになりそうですが、私はよく迷っている時はこの言葉にしたがうようにしています。 つまり、「もうやめようかな」あるいは「まだ続けたいんだけどな」と迷っている時は「続けることに意味がある」という言葉に従って行動しますが、 「もうやめる!」「何が何でも続ける!」と思えたときはそれを貫きます。 自分がふらふらしないための指標にしています。
- k-josui
- ベストアンサー率24% (3220/13026)
ケースバイケース 失恋した時は諦めが肝心 (いつまでもくよくよしても始まらない) 毎日の散歩 こちらは嫌になっても続ける事に意味があります。 継続は力なり!
気分次第。 でもどっちかといえば後者。
- kaaaiii
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微妙ですね。結論から言えば、「場合による」です。 基本的に自分に合う、合わないは、正直言って続けてみないと 分からない場合が多いです。 例えば仕事。最初は嫌々やってて、こんなの絶対好きになれそうも ないと思っていたのが、辛抱強くやってくうちに好きになってきて 自分に合ってきた、っていう場合は多々あると思います。 むしろ最初から自分に向いてる仕事ってのは分かりにくいですし、 そういう場合の方が多いんではないでしょうか。 ただ、いっくら辛抱強くやっても、どうしても自分に合わないって 事もあるから、質問者様の意見にも一理あります。 この見極めは非常に難しく、というかある種のギャンブルなので、 どっちに賭けるかはその人しだいという事になります。 でも私の拙い経験上ではありますが、いっくら続けても 好きにならなくストレスがたまる一方、という類の物は、 ちゃんと休憩をしながらやりさえすれば、 あんまりないんじゃないかなーと思います。 だから諦めるのが早いのは、メリットよりもデメリットのほうが 多いと、私は思います。
- domaine-espoir
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こんにちは。 どちらも大事なんじゃないかな とおもいます。 同時に両方を両立することはあまりないのかもしれませんが、 時を隔てると、両方選ぶ経験をすることがあるんじゃないかな とおもうので。
- no---
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>辛いのならやめればいいじゃないですか。 これを突き詰めると自殺につながります。恐い言葉です。 >そうやって意地を張ってストレスを溜めながらだらだらとやっていくよりも、 ストレス度合いを正しく感じられているうちは続ける意味があるでしょうね。恐いのは自分の弱さがわからなくなる事です。 極論かな。回答になってなくてごめんなさいね。
適用されるケースが全く違う場面での事なので比較対照になり得ない言葉だと思います。 大ざっぱに言うと「続けることに意味がある」のは自分自身に原因や要因がある場合。 「あきらめが肝心」は自分以外に原因、要因がある場合ということでは。 うまく行かないことを他人のせいにしてしまえばすべて後者が当てはまります。 しかし自分に反省点を見いだし再チャレンジを続けることには必ず意義があります。 事の真意を見失うことこそが最もおろかな事なのです。
- genki-mama
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それはケースによるんじゃない? 例えばピアノ。最初は運指練習ばかりで、「楽しい」からは程遠い日々でしょう、でもピアノなんて自由に弾けてこそ「楽しい」のですから、そうなるまでには、しばらく「石の上にも3年」だと思います。ピアノを弾く楽しさを知る前にサッサと他の楽器に切り替えたところで、何一つ身に付かないと思います。 そして、また例えば、紛失してしまったイヤリング。 あれは学生の頃、当時大好きだった彼が買ってくれたのに・・!すごく素敵だったのに・・!もうどこにも売ってないのに・・!などと、引きずっても辛いだけ・・っていうのはありますよね。そういうのは「諦めが肝心」だと思います・・。 壁にぶつかった時、どちらなのかを見極め、うまく選択するのが一番良法だと思います。
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