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中国王朝の変遷 歴史
中国王朝は、様々な民族に入れ替わったと理解しているのですが、統治者は変わっても国民(民族の構成割合とか)は同じなのでしょうか。王朝が入れ替わったときに、例えば、数千万、仮に1億人虐殺したとしても、まだ普通の国民は存在しているわけですよね。今の、中華人民共和国と香港と台湾に住んでいる人は、清の時代の国民の共通の子孫であると考えられるでしょうか。欧米人のように、自分はイタリア系ユダヤ人とインド系移民との子息である、などという先祖の自覚はあるのでしょうか。 ちょっと視点が広がり過ぎたので部分的にでも教えて頂ければと。
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俗に中国は七大方言があるといわれます。方言といっても違いは大きくて、お互い相手がなにいってっか分かんないっすというレベルです。 一番の多数派は北京を中心に話される北方語で、中国のテレビ放送は北方語で放送されていますが、北方語が分からない人のために昔から漢字で字幕を流しています。 そもそも「国民」という概念であるナショナリズムが起きたのはほぼ19世紀になってからなんですよ。自分たちの国は自分たちの民族で作りたいという「民族自決」の思想が出てきたのが19世紀です。我々はそれを当然のように受け入れていますが、せいぜいここ200年くらいの近代思想です。 例えばイタリア人に「イタリア人」という概念を持たせるようにしたのが、実はあのムッソリーニなんです。それまではそれぞれのイタリア人は「ナポリ人」とか「ヴェネツィア人」などそれぞれの都市に帰属する人間だと認識していました。その名残りはサッカーに今でも残っていますね。イタリアでは応援するサッカーチームは「自分が生まれた町のチームを応援する」と決まっています。全国区の人気はインテルなどのごく一部のチームです。インテルって英語でいうとインターナショナルですから「国際チーム」です。「我々はイタリア全土にファンを持つ国際チーム」というわけですよ。 日本人も明治維新になるまでは「国」といえば薩摩とか土佐とか紀州などの今でいう都道府県のことでした。 〇〇系凸凹人、という概念は一部の民族と国家にあてはまるだけですね。池田エライザさんを「フィリピン系日本人」とはいわないでしょ。
お礼
ありがとうございます。 細部はこれから勉強するとして、とりあえず納得できました。