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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英文の内容上の問題)

The Role of Accounting in Guiding Behavior in Large Firms

このQ&Aのポイント
  • Accounting has more to do with guiding behavior in large firms than representing conditions.
  • Numbers that lack credibility are less effective at projecting power and coordinating activity.
  • Calculation establishes norms and guidelines by which actors can be judged and judge themselves.

質問者が選んだベストアンサー

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noname#250479
noname#250479
回答No.2

早朝から何度もこの文章を読んで、何とか質問者さんの問題提起に応えようとしているのですが、本当に難しいですね。でも今のところ、英文を読む限りでは、僕には矛盾らしきものが見つかりません。そのまま、書いてある通りではないかという気がします。 一応、この英文の流れを僕なりに理解して、それをここにまとめてみます。お目汚しにしかならないかもしれませんが。 (1) 冒頭: It has been urged that accounts have less to do with representing conditions than with guiding behavior in large firms. 大意: 会計書類は企業の状態よりもその行動指針を示すものだ。 (2) This is undoubtedly so, though there is more than a hint here of a false dichotomy. 大意: それは間違いなくそうだ。 (3) Numbers that have no credibility as truth claims will be less effective also at projecting power and coordinating activity. 大意: 信ぴょう性のない数字には、力がない。 (4) But the imperative mood tends to define the indicative. (何を言っているのか、僕にはわかりません。) (5) Adequate description counts for little if the numbers are not also reasonably standardized. 大意: 数字をきちんと標準化しないと、それに付け加わっている説明も無意味だ。 ★★★ ここまでが「否定的」だと質問者さんはおっしゃるのですね。 (6) Only in this way does calculation establish norms and guidelines by which actors can be judged and can judge themselves. 大意: このようにして初めて、計算によって人や企業を判断するための規範と指針が生まれるのだ。 (7) Business corporations began early to evaluate laborers by quantity of production, which had the dual advantage of being easy to measure and unambiguously related to the profitability of the firm. 大意: 企業は早い時期に労働者を生産量によって評価し始めたが、この生産量は計測しやすく、同時に企業の収益性にはっきり関わっていた。 (8) One of the crucial goals of accounting was to apply such objective evaluation to ever higher levels of responsibility, and hence to manage large, multicentered firms so far as possible according to clear and open standards. 会計の持つ重要な目標の一つは、そういう客観的な評価にあたって人が持つべき責任感の基準をますます高めることであり、したがって明快で開かれた基準に沿ってできる限り、複数の中心を持つ大企業にそれを適用することであった。 (9) It was, as G. C. Harrison observed in 1930, much easier to accomplish this for “the five dollars a day man” than for top executives. 大意: これは、上層幹部よりも下層の従業員について行う方がはるかに楽だった。 (10) But already such corporations as Du Pont and General Motors were judging their operating divisions using a standard index of profitability, return on investment or ROI. しかし、標準的な収益指数や ROI によって自社の各部門の仕事ぶりを判断している企業もすでにあった。 (11) Any such measures necessarily involve a loss of information. そういうやり方をすると、一部の情報は必ず評価しそこなってしまうものだ。 (12) In some cases, as with accounting, the credibility of the bottom line may be such that this loss seems largely irrelevant. 会計業務などの場合には、収支決算結果に信ぴょう性が高いので、そういう情報の評価漏れがあっても、その問題はきわめて小さくなる。 (13) But such an attitude presupposes that the bottom line is determined unambiguously by the activities it summarizes. しかしそういう態度においては、決算結果がその背景にある企業活動をはっきりと反映しているということが前提にある。 (14) It never is. しかしそんなことは絶対にない。 (15) When business managers are judged by the accounts, they learn to optimize the accounts, perhaps through such artifices as putting off needed maintenance and other long-term costs. 幹部が会計書類で判断されるときには、幹部は会計書類の内容を最適化するようになっていくものだが、おそらくは必要なメンテナンスなどの長期にわたる費用を延期するなどによってそうするようになるのだ。 (16) Nonfinancial measures may be even looser. A congressional mandate permits the United States Forest Service to cut no more lumber than is renewed by annual growth. 結果が経済価値として現われないような措置は、さらにもっといい加減になるかもしれない。(現に)議会からのある命令により、米国林野庁が一年あたりの成長率によって更新される幅を超える量の木材を切ることを許してしまっているのだ。 (17) Since that law was put into effect, growth rates have been greatly enhanced, at least in the Forest Service accounts, by new herbicides, pesticides, and tree varieties. その法律が施行されて以来、成長率は大いに延びてきたのだ。新しい雑草駆除剤・害虫駆除剤や木の種類によって林野庁会計の書面上では少なくともそうなるのだ。 (18) Through such doubtful forecasts, it drew the teeth from the law. そういう胡散臭い予測値により、この法律の効き目は弱まってしまったのである。

jubu
質問者

お礼

ご解答・ご指導に感謝致します。 さて,拙訳には何点か誤訳があったようです。 御指摘を受けてわかりました。 お訳しを得て,矛盾がないことがわかりました。 有難うございました。

その他の回答 (1)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >拙訳が仮に正しいとすると,文中の「唯一まさにこのようにして計算は,当事者を判断でき,また当事者自身が判断できる規範とガイドラインを確立する…」の前後で話の内容は前半が否定的,後半が肯定的で,何か矛盾するような気がするのですが,如何でしょうか? ⇒「前半が否定的で、後半が肯定的」ということで、一見、確かに矛盾しているように感じられますね。しかし、よく読んでみると、それは矛盾ではないようにも思われます。どういうことかといいますと、企業の状態を数値で示すことより、その企業に指針を示すことの方が重要であるとの主張はよしとしましょう。しかし、数値的把握がいいかげんでは行動の指針もおぼつかないでしょう。つまり、良き指針のためには、しっかりした数値の裏づけが大切になる、「企業の行動に関する意志決定の根底には確かな数値的資料が必要になる」、ということだと思います。 ちなみに、以下、該当部分の前後について、原文・お訳・添削訳文を下記します。 >It has been urged that accounts have less to do with representing conditions than with guiding behavior in large firms. This is undoubtedly so, though there is more than a hint here of a false dichotomy. Numbers that have no credibility as truth claims will be less effective also at projecting power and coordinating activity. But the imperative mood tends to define the indicative. Adequate description counts for little if the numbers are not also reasonably standardized. >〔お訳〕会計や帳簿というものは,大企業のいろいろな状態や条件の内容を示すことよりも,その企業の行動(振る舞い)に指針を示すことに深い関りを持っているのだ,と従来主張されている。ここに誤った二元論のヒント以上のものがあるにもかかわらず,これは疑うべくもなく(確かに)そうなのである。真の主張として何の信用もない数は,力の誇示と活動の調整ではあまり効果的ではないということになろう。だが高圧的な雰囲気は指示を特徴付けて仕舞う。如何せん数が合理的に基準化されないのなら,十分な説明もあまり意味をなさない。 ⇒〔添削訳〕会計は、大企業の状況を表すことよりも、行動を導くことにより深い関わりがあると主張されてきた。これは疑いもなくその通りだが、他方ここには誤った二分法のヒント以上のものがある。真実の主張として信憑性のない数値は、力量を投影したり活動を調整したりする上ではあまり効果的ではないだろう。他方、命令の雰囲気は、指示を(規定的に)特徴づけてしまう傾向がある。適切な指示の記述をするのに、数字が合理的に標準化されていなければ、ほとんど有益なものとはならない。 >Only in this way does calculation establish norms and guidelines by which actors can be judged and can judge themselves. Business corporations began early to evaluate laborers by quantity of production, which had the dual advantage of being easy to measure and unambiguously related to the profitability of the firm. One of the crucial goals of accounting was to apply such objective evaluation to ever higher levels of responsibility, and hence to manage large, multicentered firms so far as possible according to clear and open standards. >唯一まさにこのようにして計算は,当事者を判断でき,また当事者自身が判断できる規範とガイドラインを確立するのである。事業会社は早期に,労働者を生産量で評価し,それは企業の収益性の測定が容易な存在という利点および収益性に一義的に係わる存在という利点の二重の利点を持っていた。会計の重要な目的の一つはそうした客観的な評価を常に一層高い水準の責任に適用することであり,それゆえ,巨大で多角化した企業に明確で開かれた基準に応じて経営することであった。 ⇒唯一このようにして初めて、計算は規範とガイドライン(誘導目標)を確立し、それによって当事者の行為を判断し、当事者自身を判断することができるのである。ここに、事業会社は早期に労働者を生産量で評価するようになり、しかもその生産量は測定が容易であり、一義的に企業の収益性に関連する、という二重の利点があった。会計の重要な目的の一つは、このような客観的評価をより高いレベルの責任に適用することであり、したがって、大規模で多角化した企業を、可能な限り明確で開かれた基準に従って管理することであった(はずである)。 …と、このように、計算は企業の行動に指針を示すことに関わりがあって、「規範やガイドラインを確立するための裏づけ資料として重要」なのだと述べているわけですから、会計を否定的にとらえることは間違いだ言っていることにもなりますね。なお、これ以下は、基本的にお尋ねの疑問とは直接関わらないと思います。

jubu
質問者

お礼

拙訳に大部手を入れて頂きどうも有難うございました。 誤訳の解消になりました。 感謝申し上げます。

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