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魏の4代目の皇帝の曹髦(そう ぼう)について
ネットで三国志のことをいろいろと調べていたのですが、 いわゆる三国時代から、のちの時代になりますが、 魏の4代目の皇帝の曹髦(そう ぼう)は、即位した時点で、すでに、司馬氏に帝位を奪われる寸前の状態であり、 非常に優秀だと言われていながら、皇帝でありながら、司馬氏に全く権力を奪われており、 最後は、発狂したような感じで、召使だけを連れて、司馬氏に殴り込みをかけて、 返り討ちになって死亡する、という、非常に可哀相な最後となっています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E9%AB%A6 しかしながら、彼は、当時、まだ20歳だったのですから、短気を起こさずに、十年、二十年と我慢し機会を待っていれば、いずれは、司馬氏もスキを見せることもあり得ただろうと思うのです。 皇帝なのですから、チャンスを待って、権力を奪い返すことも可能だったと思うのですが、どうでしょうか?
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- jkpawapuro
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まあたぶん無理でしょうが、それでも最善は主さんの通り状況の変化を待つことでしょう。 ですが・・・10代でそんな選択で名を成した人、なかなか思い浮かびません。そこまで老獪な選択を30代40代に期待するなたともかく10代の皇帝に期待するのは無理というものかと思います。 案外劉禅がそれに近いのかなという気もしますが、彼はもし自分が皇親政を確立したら国が亡ぶような状態でしたし。
- bad123des
- ベストアンサー率29% (7/24)
その時、魏王国の皇室の力は衰退し、司馬氏の力はより強くなりました。 いずれにせよ、司馬氏は新しい王家になります。 したがって、曹髦が何をしても、それを変えることはできません。 権力闘争に直面しても、司馬氏は慈悲深くなることはありません。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
> 短気を起こさずに、十年、二十年と我慢し機会を待っていれば、いずれは、 > 司馬氏もスキを見せることもあり得ただろう はい、十年、二十年と我慢していることができたと仮定すれば、復活の機会はあっただろうと思います。 が、禅譲させられて、行方不明にさせられて、どこかでひっそりと暗殺されて、オシマイになるのが、中国史だと思います。 中国は様々な民族の集合体です。漢民族だと言ってみたところで、元々は秦と呉などは違う種族です。征服が繰り返されて中華と総称される国々になったわけですので、日本人のような民族的つながりはありません。非常にドライな関係です。 魏の元皇帝がヘタに生き残っていると、誰か有能な人物に「魏朝復興」の大義名分を与え、その旗印として利用されますので、消えて貰うに如かずです。
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
一般論としてですが、政権が末期的状況にある時に、色々頑張ってみても、空回りばかりして無駄な可能性が高いと思います。 中国と日本では条件が全く違うので、一概には言えませんが、大政奉還した徳川慶喜は賢かったと思います。 中国だと、即暗殺か処刑でしょうから、退位くらいですかね。 退位でも、暗殺直結ケースがあるから、中国は昔から難しい国だったと思います。