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「仁和寺にある法師」徒然草よりについてです
なんで先達が必要だったかを教えてください!試験前でわからなくて困ってます💦
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回答者3の方のお答えが一番的確ですね。 先達の意味は、身近な経験者であり、今で云う処のガイドブックです。 要は、石清水八幡宮があまりにも立派で、それを知らなかった為、末社を本殿と勘違いしてしまったんですね。 それで山頂にある本殿を拝まずに、皆何で山に登るんだろうと不思議に思いながら帰ってしまったと云う話です。 少しでも分かりやすくと思いましたが、納得頂けたでしょうか?
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- SPS700
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これは、案外近くにも、という寝言です。 僕は用事でソ連の頃モスクワに何度か行き、クレムリンにも行きました。同窓会で「俺も行った」と言うのがいて「あそこどうだった?」と聞くと「あれスターリンが居る所で俺たちが入れるわけない」と言います。 「クレムリンの一部は一般の人も入れる博物館で、露帝が乗った馬車などあるよ」と仁和寺の同級生に伝えました。
- emsuja
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もう何十年も前に学んだことなので、細かな表現は忘れましたが・・・・ 「山までは見ず」だったかな? 長い間行きたかった京都府南部の石清水八幡宮をお参りに行ったときに、現地へ着いて山の下の社殿にお参りして目的を果たして満足して帰ってきたのですが、ほかの方々は社殿をお参りした後で、ドンドン奥の山の上の方へ上って行かれたけど 「私は石清水八幡宮をお参りに行ったのだから、ほかの人たちのように物見遊山で山登りはしなかった」と仁和寺に戻ってからほかの法師たちに自慢したという話ですね。 実は石清水の本殿は山の上にあって山を登る人たちはその本殿をお参りすることが目的だったのです。 それを知らずに自分の無知をさらけだしたことを書いたものです。 なにごとをするにしても、自分の思い込みだけで行うのではなく、先達(先輩やよく知っている人たち)の意見を参考にしなくては恥をかきますよ! といった話だったはずです。 私も、石清水八幡宮はケーブルカーでなく徒歩で登ったことがあったのですが、確かに眼下を流れる淀川からその北側の大山崎まで見渡せる風光明媚な場所でした。
http://rikusai.or.jp/public/e-mail_magazine/no.1/mini-information_no.1.pdf これがわかりやすいですよ! 京都の仁和寺の僧侶が、有名な石清水八幡宮に参拝したことが なかったので、こころ残りに思い あるとき思い立って一人で、歩いて参拝に出かけた。 境内の極楽寺や高良神社などを拝んで、これだけと思い帰ってきた。 でも、お参りの人たちは皆裏の山に登っていきましたが 何かあるのでしょうか。 知りたかったけれど、神社にお参りするのが本来の目的と 思い、裏の山までは見に行きませんでした。 実は、境内の極楽寺や高良神社などは本殿ではなかった。 なので、先達がいれば 間違えることもなく、ちゃんと本殿に行けたのにな。
- Ultra-Hetare
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私は個人的に 「何事を成すにも、自己が先駆けになることは困難で 誰か他の人が先に実施したことがあれば、 その後をついて行けば良い」 と、高名な寺院の中のそれなりの地位がある僧侶が そう言ったことが「肝」だとおもいます。 必要だったというより、自分がその「必要な人」に なかなかなれるものではないという本音を語るところに、 この文章の「味」があると思います。 先生がそれを理解していい評価をしてくれるかは分かりませんが、 「どんなことでも自分が一番になれるわけではない。 様々なことで、自分より先に実行した人がいれば、 あえて自分独自などと考えず、先人に倣うのがベターだ」 と、回答したいところですね。