対華21か条要求が出された理由と背景
対華21か条要求が大隈内閣から袁世凱内閣に1915年(第一次世界大戦中)に出されましたが、この出された理由と背景がよくわかりません。おそらく帝国陸軍内の誰かとそのグループが中心になって、推進したと思いますが、具体的に、誰がどのような狙いで、やったのでしょうか。また、大隈さんを初めとする政治家などの考えはどうだったのでしょうか。また、新聞などの反応はどうだったのでしょうか。
袁世凱との密約があったなどという話もありますが、この要求の結末は、当時の日本自身にとってもあまり好ましいものでなかったように思います。つまり、大して得るものが無かったにもかかわらず、国際社会においては、孤立化、対中関係においては、激しい反日感情(五四運動)、を引き起こしたと思うのです。
当時の日本の指導者たちが、なぜ、唐突な感じで、このような要求を突きつけたのか、少し調べましたが、まだ満足できる説明に巡り合っていません。どなたか詳しい方が居られましたらお教え願います。宜しくお願いします。
お礼
そうかもしれませんね、ありがとうございます