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ワシントン会議の中国代表とは

 ワシントン会議に参加した中国の代表とは、どのような勢力だったのでしょうか? とりあえず、中華民国の代表ということでしょうか? 袁世凱は、確か既に亡くなっているので、中華民国も力が無かったと思うのですが・・・ 力のある軍閥の代表ということはないですよね。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ss79
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回答No.3

諸般の情報を考察すると、中国ナショナリズムの代表とみてよいのでは・・。 諸外国の中国における権益奪取競争とその維持にむけた努力に新たに参入しようとした日本を牽制する長期戦略を考え始めた欧米、特にアメリカは日本の孤立化を狙い、中国代表団を支援し山東半島のドイツ権益の中国返還を強く支持しました。 併せて日英同盟の解消、海軍戦力の削減(5:5:3比率の押しつけ)という第2次世界大戦への布石戦略を着々と進めていきました。 中国の諸外国に対する敵意を日本に集中させた会議だったと思います。 これに対して日本外交の拙劣さは眼を覆うばかりでした。

ando57
質問者

お礼

 ありがとうございました。昔、桜井よしこさんが、「ワシントン会議で、アメリカと中国が画策して日英同盟を破棄させた。」と言っていました。  もし、詳しく知っているようなら、また教えてください。

その他の回答 (3)

  • ss79
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回答No.4

日英同盟について関連質問がありましたので補足します。 この同盟はロシアの脅威に対するものでロシア帝国が拡大する努力方向は英国、日本の既存権益を狙う事になるので(ヨーロッパでの南進、アジアでの満州、朝鮮方面への進出)これに対抗するために結成された攻守同盟でした。 この為日本は第1次大戦に地中海に駆逐艦を派遣して英国を支援しています。 ところが第1次大戦でロシア帝国は赤色革命で倒れ、内戦状態で弱体化してしまい、英国としては緊急の脅威ではなくなりました。 軍需特需で力をつけたアメリカの参戦で勝利を収めた英国はアメリカに接近する政策をとるようになったのです。  中国には英国は多くの権益を有していました。 その時日英同盟を継続するメリットは日本にあっても英国にはなかったのです。 しかし日本の代表団はその存続に努力をせず孤立を招いてしまいました。

  • Bird1979
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回答No.2

こんばんは 基本的には「中華民国」といっていいと思います。しかし、当時の中国は統一国家とはいえず、確固とした中央政府とよべるものはなく、さまざまな勢力が「抗日」で連合していたものといえるでしょう。その中で大きな勢力を持っていたのが、北京政府と広東政府です。 ワシントン会議に代表団を送ったのは、北京政府からは、駐米公使=施肇基、駐英公使=顧維釣、大理院長=王寵恵ほか、広東政府からは外交次長=伍朝中ほか、全部合わせると106名の大代表団(日本全権団は143名)であったそうです。 分裂状態にもかかわらず、中国が代表団を送り込めた背景には、二十一箇か要求など日本の中国における急速な勢力拡大に、米英が危機感を抱いたことがありますね。パリ講和会議においては「戦勝国日本」に配慮してできなかった面もあり、アジアにおいて如何に日本を押さえ込むのが、ワシントン会議の目的ですから。 詳しくは下記参考URL(PDFファイル)をご覧ください。64ページ前後が参考になるかと思います。

参考URL:
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/geppo/pdfs/02_1_2.pdf
ando57
質問者

お礼

 ありがとうございました。なぜ中国がワシントン会議に参加できたのかも疑問に思っていたので、とても助かりました。

  • 10pph
  • ベストアンサー率19% (50/252)
回答No.1

全権代表は顧維鈞(こ いきん)です。 当時は中華民国しかありませんので、中華民国代表です。 基本的には外交官ですね。

ando57
質問者

お礼

ありがとうございました。やはり、中華民国として参加していたのですね。

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