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五輪のメダリストは気骨ある若者ではないのか?

建築家、安藤忠雄氏の10年前の記事だが、昨年もインタビューで同様のことを喋っていた。 現在、五輪真っ最中だが、日本のアスリートたちの努力は尋常ではない。五輪に出場するアスリートたちだけでなく、スポーツに邁進する若者は日本全国にいっぱいいる。 彼らは気骨ある若者ではないのか?彼らの気骨はスポーツだけに限定され、広く社会に波及しないのか? 日本は今や、経済指標だけでなく社会指標でもOECD諸国中最低で、現在は「日本の3流国への没落の始まり」だと指摘する識者も多い。宮台氏や適菜氏等。そして安藤氏は若者の気骨の無さを説く。 スポーツ選手の持つ「頑張り根性」は社会を引っ張る「気概」とは別物なのか?そう言えば、スポーツ選手は結構な数、頑張っているのに、日本社会は一向に良くならない。アフリカ勢や旧東欧勢も結構、努力を重ね頑張っているようだけど、それが彼の国々の社会向上に貢献しているようには見えない。アスリートたちの血のにじむような頑張りは社会に貢献しないのだろうか?よろしくお願いいたします。 https://www.news-postseven.com/archives/20101229_9060.html?DETAIL 大学で教鞭を取り、学生と触れ合う機会も多い建築家の安藤忠雄氏(69)が、日本人、とりわけ若者の元気の無さを嘆いている。世界を股に活躍する安藤氏が提示する、日本人が進むべき道とは?

みんなの回答

  • staratras
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回答No.6

スポーツの分野に限らず、学問でも芸術でもあるいは経済活動でも「頑張っている若者」「気骨ある若者」はいつの時代にも一定数は存在します。 ところが「若者の頑張りや気骨が社会を引っ張れるか」は、実は時代によって大きく異なるのです。わかりやすい例が幕末から明治にかけての変革の時代で、社会を実質的に動かしていたリーダーたちの年齢は若く、まさに「青年が日本を動かした」のです。また先の大戦後の時代にも「公職追放」などの要因もあって社会の多くの分野でリーダーの若返りが進みました。 ところが現代を考えると、少子高齢化によって若者世代は高齢世代と比較して少数派となり、「若い世代の意見が反映されにくい」社会構造になってしまいました。「認知能力の衰えで車の運転が危なっかしい世代」が「日本の運転」をしても大丈夫なのかという懸念がぬぐえない中で「若い世代の意見は聞かないが、社会には大いに貢献してください」と言われても…。 気骨ある若者に社会を引っぱって欲しいと考えるのであれば、まず衰えた高齢世代が自分より若い世代に自ら進んで地位を譲る勇気が必要だと高齢者である回答者は考えます。国のリーダーや大企業のトップと言えば高齢の男性(平たく言えばジイサン)しか思い浮かばない状況が続く限り日本の将来は暗いでしょう。

noname#248885
noname#248885
回答No.5

(補足)つまりは社会に身をもたらす恵みなどは、日々勉強し研究し、独学ではなく何かしらの協会に入り研鑽を磨いてはじめて実るものだと思ってます。それが継続力になり持続力、社会においては戦略的に生き延びることだとも思われます。間違ったり。時代に会わない方向性や理論、志は人々を不幸にさせたり回りを疲弊することにも繋がります。けして気骨を持つことを否定している訳じゃないですが、 志を持っていきると言うことはなにも一辺倒のやり方をしてれば…というわけにもいきませんし、昔はそれでよかったんだろうけど今じゃ鼻つまみにされるだけだと思われます。 安藤さんの話を汲むに金槌職人は金槌を打ち続けるだけで偉い!と思ってるような人です。 金槌の技術を応用してペーパーナイフを作ってもいいし、周りの話しや。ネットのレビューや、くちこみに目を通すのも立派なマーケティングだと思います。 それを傍らで作るのもいいし、金槌屋が刃物屋になったところで「気骨がない」なんてないし、 鉄を打つことに違いがないわけですから。 自分を信じてやまない、人の話を聞かない =それは気骨があるとかないとかの以前の問題です。

noname#248885
noname#248885
回答No.4

某有名日本からメジャーにいった選手は「努力はやり方を間違えれば普通に裏切る」といったことを聞いたことがあります。つまり、スポーツ選手のなかでもオリンに出られるのは限られてるし、テレビに出ないけど「実は俺は~年の大会で」とかいってメダルを見せてる田舎のじいさんもいます。気骨というか、ちゃんと理論に基づいたコーチングや指導。または選手のメンタルにもよります(やる気や精神といったそれとはまたすこし違いますが)同じ力量を持つ選手でも、集中しちゃったら周りが見えず思い通りに結果を出せる人もいれば、同じ力量でも周辺のざわめきや期待などのプレッシャーに押し潰され他の人に出場権を渡してしまう人もいます。 理論やコーチング、人間工学に基づいたメニューなんかを無視したら半年で体壊すか一生使えない体になって余生を過ごすことにもなります。 だから、ちゃんとした精神医療に基づいたメンタルコーチがいるのもそれなんです。 社会においても、きちんとしたエビデンスに基づいた人間工学や、精神医療に基づいたメンタルコーチなどついてなくアスリートが頑張ってるんだから俺たちも!な!のような、アスリート部活の延長線上の基礎練ばかりしてのしあがってきたと思ってる人もいますが、やる気だけであそこまでいったわけでもないと思います。 これは、社会にも通じることかと思います。 話は戻りますが、信じれば夢は叶うけれども、努力の仕方によっては結び付かないこともあります。その人のプレッシャーをはねのける精神力や潜在能力、集中力やもっと言えば頭のよさにもよりますし、すべて条件があってもオリンでメダル獲得できるともいません。 それは社会にも言えますが、ドンだけ自分達の潜在能力などなにもない人などいませんがコーチする人が使えなかったり、コーチが潰してたり、 適材適所を謝ってたり、努力の方向性を間違ってたり、理論やエビデンスに基づかない努力ばかりしてたら身がつくものもつかなくなります。 それと、その人にあった特性を見いだし、ここはいいあそこはダメなど的確なアドバイスができる人がいなければ、気骨とやらだけではどうにもなら無いのが現実です。

  • eroero4649
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回答No.3

スポーツ選手がやってるのは、その競技だけですから。 昔、ある冬季オリンピック金メダリストに直接会ったことがありましたけど、実に嫌なやつでしたよ・笑。「俺はお前らとは違うんだ」というのを隠しもしない人でした。 その一方で、その傲慢さがなければ世界一にはなれないのだろうなとも思いました。「俺が勝者。俺が天才。俺こそが世界のてっぺんに相応しい男」と心の底から思えたからこそテッペンとれたのだと思います。そのくらいの気持ちの強さがないと世界一にはなれないのでしょうね。 その人と会った当時はその人は自分でビジネスをやっていましたけれど、こいつの部下にはなりたくねえなと思いました。だけどそんな傲慢な人でも、表に出たら「あの金メダリスト〇〇さん」ということで世間はいくらでもチヤホヤしますし、私もやっぱり相手が金メダリストだから「いやー、〇〇さんとお会いできて光栄です!」くらいのゴマはすりましたよ。 でも彼が何かでしくじっても・・・そういや「しくじり先生」に出ていたな・笑、そう、しくじっても同情もしなければ助けもしないですよ。だって本当に嫌なやつなんだもん・笑。

回答No.2

一つのことに精進して事をなす人は尋常ではありません。 とても普通人にはマネもできないくらい卓越した能力の持ち主です。 ところが、官僚の不祥事を見る限り、そういった卓越した能力の持 ち主は見当たりません。 しかし、不祥事を起こす官僚が全てではありません。 それは、木を見て森を見ず、森を見て木を見ずにつながっています。 木を見る(個人を見る)ことを重視するか、それとも森を見る(集団を 見る)事を重視するか。どっちも見なければ判断はつきかねます。 張本氏がテレビでアメリカ野球をこき下ろしていますが、今オリン ピックに来ているアメリカチームは二軍なんですね。 しかし、彼らが弱いとは言えません。 それどころか決勝で日本チームと戦っています。 張本氏の意見は決して現実を見ている訳ではない。ということを肝に 命じなければいけません。

回答No.1

親、社会、制度がその「気概のある若者」を育てなかったことを棚上げして、育てられなかった方だけに責任を追及するんですね。 動物は生まれた瞬間、誰にも教わらなくても勝手にできる事と、教わらないとできない事が2つあります。ひとつが心肺機能と循環系、排泄です。 呼吸の仕方を教わらないと息できないような有酸素生物は現在地球上どこにもいません。 飛び方を教わらないと空を飛べない鳥は山ほどいます。親鳥は必ず、子供が大人になる前に飛び方を教えます。でなければ空を飛べない事を親鳥はきちんと理解していて、飛べるように教えてくれます。 自転車の乗り方も教わらないと乗れません。文字も教わらないと読めないし、筆の使い方を教わらないと書けません。 人ががんばっている姿を見て、ヨシ自分も頑張ろうと思わないのも、人が頑張っていたら、自分も何か一生懸命やるんだよと教わってないからです。 それにあなたがおっしゃっているように、幼稚園の頃から勉強、勉強、とにかく知識量だけ詰め込んで、応用力も実行力も実用性も教えないまま大人にしてしまうから、電球が何かは知っているが、それをどうすればいいかは知らない人が量産される仕組みが出来上がっているんです。一応断っておきますが、電球はあくまでものの例えです。 なので、オリンピックはただのバラエティの延長の認識で止まってます。言っちゃえばユーチューバーの「●●を●●できるかやってみた」と同列の価値観で見ています。 子ども達に自立心を持ってほしいならまず先に自立心を育ててください。その上で自立心のない子どもがいたら、そこで初めて「自立心のない若者がいる」と文句を言ってください。 ものの順序が逆です。