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ルーズベルト大統領

ルーズベルト大統領が日本と戦争を望んでいたというのは本当でしょうか? 本当だとしたら何故でしょうか? 回答には理由も記入下さい。 ルーズベルト大統領が日本嫌いだというのは分かります。今の中国と同じなので嫌われて当然です。

みんなの回答

noname#247736
noname#247736
回答No.3

ルーズベルト大統領が日本と戦争を望んでいたというのは本当でしょうか?……本当だと思います。 本当だとしたら何故でしょうか?……太平洋戦争に至った原因はいろいろあるようです。「ルーズベルト大統領が日本と戦争を望んでいた」というのは、その一つに過ぎないように思いますが、日本側の事情を除いて、ルーズベルト大統領の立場から原因を列挙すると、コピペなのですが、m(__)mおおむね次のようなものでないかと思います。 1. 日露戦争の戦後処理  日露戦争の戦後処理に、米国の助け舟をもらって、南満州鉄道の経営を共同経営することになっていました。ところが、日本側の事情で、その約束を反故にしてしまいました。 2. 日本を敵視したオレンジ計画 アメリカは日露戦争直後の1906年に、「オレンジ計画」なる作戦を立案しています。これは長期的な日本制圧プランでした。日本を第一の仮想敵国とみなし、戦争準備に着手した計画だったのです。オレンジ計画は年々改訂され、最終的にはなんと、日本の本土を無差別に焼き払って占領することまで盛り込まれていました。黄色人種である日本に対してだけ立てた計画だったのです。その根底にみえるのはやはり、アメリカの人種差別意識なのです。日米戦争の根深い原因が、そこにあったのです。オレンジ計画が作成された時から、アメリカの日本に対する執拗な嫌がらせと、挑発が始まりました。  日中戦争が泥沼化した背景には、アメリカによる中国の抗日運動の扇動があったのです。日本叩きのために、中国の混乱を利用したのです。また日中戦争が始まったとき、アメリカは中立を捨て、蒋介石の軍隊へのあからさまな支援もしていきました。やがてアメリカは日英同盟を解消させ、日本への石油禁輸、ABCD包囲網など、日本への挑発を続けました。さらに、最終的に日本に「ハル・ノート」をつきつけ、ついに直接的な武力衝突へと誘い込んでいったのです。 3. ゆがんだ世界経済構造 当時、世界の大半の植民地支配していたのは、イギリスとフランスです。「世界市場」は事実上、彼らの掌中にありました。アメリカは、経済は絶好調でしたが、困ったことに「売る場所が無い」という状況に陥っていました。それで、中国市場を狙ったら、日本が邪魔になったということです。 4. ドイツの開戦 ここでドイツが英仏と開戦するという事態が起きました。しかも、ドイツ軍は圧倒的に優勢に戦いを進め、フランスは秒殺され、イギリスは袋叩きにあい、単独ではドイツに勝てないと悟り、首相のチャーチルは「アメリカが参戦しない限り、わが国に勝ち目はありません」とアメリカ合衆国大統領ルーズベルトに泣きつきました。これは、「アメリカ」にとって、願ってもない大チャンスです!欧州の戦争に介入すれば、植民地を横取りできるし、口実を設けて日本を叩きのめせば、中国市場を手に入れることができます。つまり、戦争の最大受益者は、アメリカになるのです。  5. アメリカの謀略 アメリカは、戦争がしたくて仕方なかったのですが、問題は、アメリカ人の大多数が戦争に乗り気ではなかった点です。また、ルーズヴェルト大統領は、「アメリカを戦争に巻き込まない」と明言していたのです。それでルーズヴェルトは、政治的詐術を企てます。日本を挑発して、日本から先に攻撃を仕掛けさせようとしたのです。のちに、ルーズヴェルト大統領は談話において「アメリカは民主主義の兵器工場になる」と発表し、イギリスへの援助を公然と表明します。アメリカ以外の連合国は、アメリカのおカネが無ければ、戦争を維持できないし、しかもアメリカからの融資の内容は、「無利息無期限無制限&おカネのみならず戦車、飛行機、軍艦まで貸しちゃう」という内容でした。それでも戦争の最大受益者は、アメリカだったのです。 ところで、見られたかと思いますが、今日、ネットで、下記のような記事がありました。 「日系人収容を改めて謝罪 バイデン氏、声明発表」 2/20(土) 18:00配信  【ワシントン共同】太平洋戦争中の米国で、日系人強制収容の根拠になった大統領令署名から79年となった19日、バイデン大統領は声明を発表し、改めて謝罪した。「こうした政策によって苦しんだ日系米国人への連邦政府の公式な謝罪を再確認する」と表明した。  1942年2月19日、ルーズベルト大統領が署名した大統領令により、日系米国人は「敵性外国人」と見なされ約12万人が全米各地で数年間強制収容された。88年にレーガン大統領が過ちを認めて謝罪するまで名誉回復の運動が続いた。  バイデン氏は声明で、「米国史で最も恥ずべき時の一つ」と強制収容の歴史を振り返った。 日系人収容を改めて謝罪 バイデン氏、声明発表(共同通信) - Yahoo!ニュース まだまだ、「太平洋戦争という歴史のしっぽ」は残っているようです。

回答No.2

ルーズベルトは、戦争もせずに日本を四等国としてアメリカの奴隷国家にしたかったのは事実です。 その時の欧州各国は、南アジアを中心に植民地を持っていたのですが、アメリカだけは植民地政策に出遅れてしまい、植民地と言える程のものは持っていませんでした。そこで目を付けたのが日本です。 ルーズベルトは、有色人種を嫌っており、その中で世界に進出していた日本を大変嫌っていたというのが知られています。 当時の日本は世界同盟を抜け孤立しており、ここぞとばかりに制限をかけ、四等国になるべく何度も日本に言い寄っています。しかし、日本は要求には応じず、日本陸軍の嗾けによって戦争の道へ進むことになります。しかし、ルーズベルトは、こうなることも予測しており、日本の暗号通信を戦争前から解読しており成功しています。 要するに、真珠湾攻撃の頃から、日本はルーズベルトの掌の上で戦争をしていたことになるわけです。 ルーズベルトの考えとしては、真珠湾は日本にくれてやる。その代わり、アメリカ国民に「リメンバー・パールハーバー」の思念を植え付け、日本に対し徹底的な殺戮を行うようになっていきます。結果、本土決戦にまで持ち込み、B29による無条件殺戮、原子爆弾による無条件殺戮にまで発展します。結果は、日本の無条件降伏となりました。 しかし、その後もルーズベルトによる思念は残り、事後裁判の中で象徴的な東京裁判で、戦争に携わった軍人を徹底的に罪人扱いにしたわけです。しかし、その東京裁判に携わったインドのパール判事だけは、一貫して無罪を主張しており今の日本が成り立っているわけです。もし、パール判事が有罪と言っていれば、日本は今でもアメリカの植民地であり、南アジア諸国も欧州各国の植民地となっていたでしょうね。 ちなみに、日本海軍は物資の不足から、アメリカに対し戦争を挑むのなら短期決戦しか方法が無いと最初から見込んでいました。とは言え、南アジアの植民地解放は日本の大きな功績だと思います。

  • eroero4649
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回答No.1

ルーズベルト大統領が本当に望んでいたのは「イギリス側にたって対ドイツ戦に参戦すること」でした。ただ、当時の国民世論は戦争反対で、対ドイツ戦に参戦できませんでした。 そこで目をつけたのが日本です。日本とドイツとの間には日独伊三国同盟があります。なので日本とアメリカの間で戦争になれば、同盟に基づいてドイツがアメリカに対して宣戦を布告し、めでたくアメリカも対ドイツ戦に参戦できるのではないかと考え、実際にそうなりました。 ルーズベルト大統領は海軍出身だったので、海軍には大変詳しい人でした。それで、日米の海軍戦力を比較したのは間違いないと思います。当時の海軍軍人にとって主力となる戦力は「戦艦」と考えるのが常識です。ですから比較されるのは戦艦の戦力です。 当時の日本海軍はアジアで飛び抜けた戦力を持ってはいましたが、第一次世界大戦バブルの崩壊や世界恐慌の影響などもあり、世界的に第一線レベルといえる戦艦は「長門」と「陸奥」くらいでした。大和級は建造途中で、長門級より前の伊勢級はその当時で既に時代遅れでした(なので、太平洋戦争でもほとんど使われず、航空戦艦に改造するなんてことをやっていました)。 一方のアメリカ海軍はノースカロライナ級、サウスダコタ級の建造が進められていたので「日本は新型戦艦(大和級)を作っているけれどこっちのほうがずっと戦力が上」と判断するのが妥当です。 しかもイギリスも参戦することになるので、イギリスからも1隻ないし2隻の戦艦の支援が受けられる可能性があります。実際、イギリスは太平洋戦線に新型戦艦であるプリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスを派遣しました。この2隻は航空機に撃沈されるという誰も予想しなかった結果となりましたが。 分かりやすくいうと「日本はチョロい」と思ったからハルノートを突きつけて石油と鉄くずの輸出も止めて日本の首を締め上げたのです。当時の日本は石油の90%、鉄くずの100%をアメリカから輸入していました。それを止められたら日本は石油も手に入らなければ鋼鉄も作れず、日中戦争を継続できなくなってしまいます。 ルーズベルト大統領の誤算は、開戦当時の実力(練度)において日本海軍はアメリカ海軍を上回っていたということでしょうね。 でも真珠湾攻撃によって太平洋方面の海軍戦力が事実上一掃されてしまった状況でも、ルーズベルト大統領の戦略は「まずはドイツ。日本に対する反撃はドイツが片付いてから」でした。実際は虚栄心は大統領以上だったマッカーサーや色んな意味でキレる男だったキング提督なんかがうるさかったのでそういうわけにもいかなかったんですけどね。 でもイギリスに派遣されたアメリカ兵は最新鋭の装備で固められていたのに対して、ガダルカナルに派遣された海兵隊の兵士が使っていた小銃は最新鋭の半自動小銃であるM1ガーランドではなく、使い古しのスプリングフィールド小銃でした。

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