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忠臣蔵についての質問

吉良と浅野家の因縁って、確か道端で浅野家の家臣が吉良の家臣にぶつかったことからの因縁で始まったことでしたっけ?

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回答No.1

Wikipediaでは、史実としては不明であるとして、諸説紹介していますね。 一般によく知られているのは、浅野が勅使の接待役を務めたときに、その指南役であった吉良に恥をかかされた、いじめられたのを恨んで、ということですね。 ○ 松之大廊下の刃傷まで 江戸幕府は毎年正月、朝廷に年賀の挨拶をしており、朝廷もその返礼として勅使を幕府に遣わせていた。この時、3-10万石程度の所領を持つ大名が勅使饗応役として勅使の接待役を務め、典礼などの指南を行うのが高家であった。 元禄14年の勅使饗応役は浅野内匠頭で、2度目の饗応役であった。また、吉良上野介は高家肝煎であり、正月に幕府の使者として上洛しており、並行して浅野内匠頭に儀式指南を行っていた。 吉良上野介の返礼として、3月11日、東山天皇の勅使・柳原資廉・高野保春および霊元上皇の院使・清閑寺煕定が江戸城内の伝奏屋敷に到着、浅野内匠頭以下赤穂藩士、吉良上野介らが接遇にあたった。14日は儀礼の最終日で、将軍徳川綱吉が本丸御殿内の白書院で勅使に奉答する予定であった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6#%E5%88%83%E5%82%B7%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1 それ以外の諸説については: ○ 浅野長矩の動機: ・長矩夫人の阿久里に義央が横恋慕した。 ・吉良義央が皇位継承問題に絡んだ為、長矩が怒った。義央の悪名を聞いた長矩が、天誅を下そうと思った。 ・長矩の美少年な児小姓を吉良が望んだが、長矩が断った(『誠忠武鑑』) ・浅野家秘蔵の茶器を吉良が望んだが、長矩が断った(『聴雨窓雑纂』) ・ある茶会で披露された書画について吉良は「一休宗純の真筆」と鑑定したが、長矩が「贋作だ」と述べた(赤穂精義参考内侍所) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5#%E6%B5%85%E9%87%8E%E9%95%B7%E7%9F%A9%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F

noname#246748
質問者

お礼

ありがとうございます。諸説あるが、どうも、「松の廊下の刃傷」の前の吉良の「浅野内匠頭」イビりが気になって、何かイビり始める原因でもあったのではないかと思った次第です

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