読書感想文、という課題の意義
お世話になります。
子供たちの夏休みもようやく終わったようで、通学路に元気な小中学生があふれています。それはさておき・・・・
夏休みの課題に読書感想文、というのがあります。
これの意義、存在理由というのが今ひとつよくわかりません。
私、子供のころから読書そのものは好きでしたが、この読書感想文という課題が大の苦手でした。
興味のない文学作品を読まされて、その感想を書け、と言われても、別に感想なんかないし、読んでも
「へー、ふーん、はいはい、そういうお話ですね」
ぐらいの感想しかありません。
そもそも、創作された物語、というものが嫌いな性質なのです。
(今でも読書対象はノンフィクション分野がメインです)
最近はインターネット上で読書感想文の課題図書の「模範感想文」というのが読めるそうで、それを丸写しする生徒もいるとか。もし私の時代にそれができたなら確実にやったでしょう。
課題図書の読書感想文なんか書かされるぐらいなら、大好きな自由研究を10本やったほうが余程楽しいし有意義だ、と思っていました。
長くなりました。質問のポイントを絞ります。
1 読書感想文の対象課題図書があるのはなぜ?
課題図書以外を対象に感想を書いてはいけないのか? たとえば社会問題になっている事案の解説書(派遣労働者問題とか、格差社会とか、二大政党制とか、)を読んでの感想とか、毎年同じ本を読み返して、一年ごとに自分自身の感想がどのように変化していくのかを比較する、という感想文はイケナイのだろうか?
新聞社説やコラム(朝日の天声人語など)を夏休み中、毎日読んで、毎日数行の感想文を書く、といった物では駄目なのか?
課題図書の出版社は学校の先生や教育委員会に賄賂でも贈っているのか?
2 感想文は学級担当、または国語科担当教師によって採点され、「よくできた感想文」は学年単位、学校単位、市町村単位、都道府県単位でのコンクールなどに送られているようだが、そもそも
「よくできた感想文」
とはどのようなものなのか? もし
「模範解答」
があるならそれは
「評価者の顔色を伺って書いた偽の感想」
ということになるのではないか? どのような感想を持とうと、読んだ人間の自由ではないのか?
以上、子供のころからの疑問でした。
国語の先生、お答え下さい。