アメリカに36年住んでいる者です。
私なりに書かせてくださいね。
和訳・英訳という形で教えているいわゆる学校英語教育の中では日本語が媒体になってしまうのは仕方ないことだと思います.
Thank you!を和訳しなさい、と言われ、本当に真面目に試験で「サンキュウ!!」「あんがとよ」書く人はまずいないのではないでしょうか. バツを食らうのが怖いからなんじゃないかな. でも、それは立派な使われている日本語であるし、Thank you!を言った時「サンキュー!」と言っているのと同じ感情を持って今寸. 感謝いたします、とは私は感じません. 私なんか、友達なんかには、3Q!メールで書いています.
I love you.は私はあなたを愛します、ではないのです. だって、アメリカ人がこれを言う時に、日本人だったら、私はあなたを愛します、と言うのと同じだとは感じないからです. 「お前がすきだよ」の感情です.
私の言いたいことがお分かりでしょうか. 過去2年ちょっとフィーリングを大事にしてください、と言う回答をしてきました.
つまり、日本語の単語を辞書的に書き換えるのではなく、その文章が持つ意味あいを知っている英語に書き換える・言い換える事が大切なんだ、と言うことですね. つまり、言いたい日本語の文章は何を本当は言いたいのか、と言うことですね.
英語で考える、と言うようですが、英語で考えているわけではないんですね. まず「感じる」事を頭ではやります. 日本人が日本語を聞いたときそれをやっているんですね.
おおきに、と大阪人が言った時でさえ、標準語には変えていないですね. 最近私は英語を京都弁・大阪弁と同じようにアメリカ弁なんだと思っちゃいなさい、と言っています. 沖縄弁と同じレベルです.
たしかに英語を習う時に、大阪弁が分かる様になるためには標準語の意味合いを知ることが必要なように、英語の日本語訳というものは必要です.
しかし、いつまでも日本語に訳していては、使えるようになるには非常に無理があり自然ではありません.
ですから、こう言う日本語訳になる、と言うのではなく、日本語ではこう言う言い方をする、と言う違いに気がついてくるのです. だからこそ、私が回答するときにその日本語を使う時の状況、フィーリングの違い、などをはっきり出させるために、ひとつの文章ではなく、たくさんの文章を書くのは自然であり当然な事であり、更に必要だと感じるわけです. 同じ日本語の文章を違う意味合いで使う事が大いにあるからです.
そうする事によって、こう言う言い方をするとき、また、こう言うフィーリングを持っているいるときにはこう言うんだ、と感じるようになります.
ですから、当然のごとく、日本語にうまく直せないけど、こう言うようなことを言っているんだ、と分かる様になるわけです. それが、cherry77さんがおっっしゃっていることなわけです. 意味はわかっているけど日本語尾でどういうのか、と言うことになるわけです.
それが、英語と言う言葉が分かる様になる過程、と言うものなわけですね. それを更にきれいな日本語に直す、と言うことはまた別なものであるわけです.
だから、英語を使えるようになるにはできるだけ多くの英語に接し、そしてなれることが必要だ、と言うわけです.
普通の会話で、単語の一語一語辞書的に直していてはいつか挫折する事になるということでもあります. その一歩が、「熟語」と言う観念ですね.
単語に頼らす「表現の持つフィーリング」を重要視した観念です. 私はその観念を英語の全てに使うようにすればフィーリング英語を言う観念が分かり、少しずつでも英語を使えるようになる、と断言しているわけです.
と言う事で、ご質問への回答としては、「いいえ、日本語を媒体としていちいち考えて英語を理解しているわけではありません」とさせていただきます.
これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
よく思ったら僕もHelloとかはいちいち意味考えていませんでした。とても分かりやすい例を教えていただきありがとうございました。