in the pastとin the futureの意味について地域差があることや、ネイティブスピーカーの意見も紹介されています。
at present とin futureについて
at present とin futureについて
少し長くなりますが、私が示した考えが正しいと思うかどうか、回答頂けるとありがたいです。
一般に無冠詞の名詞は概念を表すとされています。又、概念に冠詞がつかないということは、その概念の表すものが言語使用者にとってひとまとまりのものと見なされないことを示します。ということは概念は、そのもの自身がひとまとまりのものとして単独で存在するのではなく、別の概念との何らかの結びつきを持つと考えられます。または、言語使用者との結びつきを持つと考えられます。
ここで時間の3様態であるpast, present, futureについて議論を展開してみます。これら3つの概念が言語使用者との結びつきを持たず(ということは言語使用者からは客体的に-対象物として-とらえられて)、3つの相互の結びつきが強まると、一つの枠組みを構成するに至ったと推測されます。相互の対立関係から特定化されるので、文中で使われる際にはtheがつきます。枠組みの要素である{past, present, future}は枠組みを作ることによって言語使用者の便宜を図るという点で共通点を持ちます。
それらは概念的なものではあっても、言語使用者にとっては客体的なものなので、それぞれが独自の時間領域(過去領域、現在領域、未来領域)を持ちます。言語使用者の便宜を図るという観点からもそうした時間領域を持つことになります。永遠に続く時間という考えはここでは成り立たなくなっています。発話者が現実に生きている(と感じられる)時間ではありません。
一方、past, present, futureは(pastを例外として)概念として無冠詞でも使われます。例えばat presentという使い方があります。theがついていないということは、presentは他の時間概念であるpresentとfutureと結びついて枠組みを作ったりなどせずに、言語使用者と結びついたということだと思われます。
at presentは「現在の時点では」というふうに現在の短めの時間を表すことに用いられるようです。言語使用者が気持ちの上で現在という時間と切り離されていないようなニュアンスが感じられます。発話者が現実に生きる<今>を表すのだと思います。in the presentの方は現実に生きている(ことを実感できる)時間ではありません。
未来のことで言えばin futureという言い方があります。無冠詞つまり概念として使われているということは、発話者とのつながりがある、すなわち発話者が現実に生きている<今>とのつながりがある未来を表すはずです。辞書で調べるとfrom now onの意味がありました。
She often makes mistakes, so I will ask her to be more careful in future. ---など
ということは、in the futureは「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表し、in futureは「これから先ずっと」を表すことで役割分担をしているのだろうと考えました。
ここまでの記述内容に疑問な点があればご指摘をお願いします。
さて、問題はここからです。発話者が現実に生きる<今>とのつながりがある未来を言い表すためにin futureという言い方があるのであれば、発話者が現実に生きる<今>とのつながりがある過去を表すためにin pastと言い方があって、その意味は「今までずっと」の意味であるはずです。
ところが、現実にはin pastは使われていません。その理由を推測するに、おそらく過去の出来事は確定してしまっていることなので、概念の持つ漠然性と相容れないのではないかと思います。しかし、過去と言っても、例えば現在完了時制を使えば現在とつながりのある過去を表せます。調べてみると現在完了とin the pastが共起する文はいくらでもあります。
Our country has tried to absorb Western culture in the past. ---など
こここで疑問が生じます。in the pastにおけるthe pastは枠組みとして現在という時間帯(the present)から明確に区別されるはずなのに実際には現在完了形の文中で使われています。
ここで私の仮説です。in pastという表現を作るべきだったのに作らなかったので、幻のin pastが仮に存在していたら持っていたはずの働きをin the pastが肩代わりしたのではないかということです。いかがでしょうか。
ネイティブが言うには、in the pastは「過去のある時点において、または過去のある期間において」を表すが、同時に「ある過去の時点からこれまでずっと」の意味も持つそうです(そういうふうに考えない人もいます)。
in the pastとin the futureの意味について数人のネイティブに尋ねてみましたが、各人が好き勝手なことを答えて、どれが正しいのかよくわからないのです。そこで、彼らの回答を整理し、合理的な説明が可能であるように私なりに解釈し直したものを提示することにしました。(よって私の主観的な考え方が混入しています)
次のin futureとin the futureについても同様です。
さて、in futureですが、やっかいなことに地域差があって、イギリスではin futureが好まれる傾向にあり(in the futureも使います)、アメリカではin the futureが好まれます。地域によっては両方とも使うことがあるようです。
どのような使い分けがなされているかということですが、先ほども言ったとおり、彼らの異なった、あるいは互いに矛盾し合う回答を整理し、合理的な説明が可能であるように私なりに解釈し直したものを提示します。
in futureしか使わない地域では、in futureが文脈に応じて「これから先ずっと」の意味と、「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表す。in the futureしか使わない地域でも同様です。
両方とも使われている地域では、in futureが「これから先ずっと」を表し、in the futureが「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表す。
この考えに賛同するネイティブスピーカーもいますが、異論を唱える人もいます。いかがでしょうか。ご意見を伺えるとありがたいです。
再々々度の「補足」を拝見しました。むずかしいので遅くなりましたが、以下のとおりお答えします。(なお、引用語句中に「>」が用いられているところがありますので、見やすさのために引用の冒頭ではこの記号の代りに「@」を使うことにします。)
@基本的には{the past, the present, the future}と{in the past, at present, in the future}の2つの枠組みで事が足りる(…)のではないかと思うのです。
⇒前者の枠組みは意味論的原理に関する仮説理論(≒哲学的共時言語学)であるのに対し、後者のそれは多分に語義・語法の変化、伝統文法と逸脱、地域・個人差などに関わる実践的検証問題(≒通時言語学+α)の枠組みという観がありますね。そこで私は、この第1の枠組み内だけで現在完了との関係を論じようとしていると早合点して、《この「枠組み」内だけでなく、一般論として扱うべき》などと申しました。この枠組み内だけで考える場合、結論は明快です。つまり、{the past, the present, the future}という原理的に見た、いわば思弁的構造論の枠組み内におけるthe pastと現実の英語法としての現在完了とが組み合わさることはない、ということです。この両者を直接照応させようとするのは、あたかも、突飛な例えですが「土俵上で野球をする」ようなものと言えるかも知れません。
@ネットで拾ってきたのですが、I don't mind what you have done in the past, but I don't want you to be unfaithful in the future.” というのがありました。というわけで、この枠組みでなぜin the pastが現在完了と共起するのかは不明のままです。
⇒例文の検索・ご教示をありがとうございました。in the pastと現在完了の共起問題は、おっしゃるようにこの後者の枠組み内の表現のvariationとして見れば、ある程度捉え得ることであると言えるかも知れませんね。ただしその実態をよく把握するためには、単なる枠組み論のみならず、多様な相貌に目を配る言語社会学のような見方が要求されるに違いありません。
@ネイティブチェックを受けたことがありました。その時の文ははっきりとは覚えていませんが、たぶん現在完了とup to nowを組み合わせたものだったと思います。(…)その時in the pastの方がup to nowよりbetterだとか、そのようなことを言われたのだと思います。
⇒in the pastの代わりにup to nowとした気持ち分かります。現在完了と共起する時の副詞としてeverやbeforeがありますが、この「かつて」や「以前」が、until now/up to now「今まで」の同類とみなす心理が働くからではないでしょうか。本当は、理屈の上では「今のちょっと前まで/今になる直前まで」と言わなければならないところ、心理的に(煩わしさもあって?)、気持ちの上で同一視してしまうからかも知れません。こうして、本来あるはずの歴然たる不連続に「gradationをつけて」段階的に移行する行為を無意識にやってしまうことは、特に日常会話レベルで起こりそうな気がします。
@(in the pastと現在完了)両者が共起する理由として他に考えつかなかったのでいわば苦し紛れの理屈づけでした。
⇒すでに述べたとおり、第1の枠組み(原理的区分)論に関連させた形でin the pastと現在完了との共起現象を説明しようとする限り、そこには無理があり、もっと広い観点から考えなければならないように思われます。それをやるためには、第2の枠組みの中で、しかも上に見たように発話者の心理、語義の変化、パロールの意味論、個人語・俗語…などの視点も動員しなければならなくなるに違いありません。
@なぜin the presentが「これまで(up to now)」を表すことができて、in the futureが「これから先(from now on)」を表すことができるのかについては白紙に戻りました。<指示範囲に関しては「全体」を表す>ということは、in the pastは過去の全体を包摂するがゆえに、<今>とも接点を持っているということなのでしょうか。もしそうであるなら、現在完了との共起も可能ということになりそうな気がします。
⇒「in the pastは過去の全体を包摂するがゆえに、<今>とも接点を持っているということ」に繋がるのか、とのお尋ねですね。第1の枠組みにおいては、「全体」と「今」との間に厳格な不連続があるはずだからです。一方、第2の枠組みの中では、発話者の心理がそのように(定冠詞つきのin the pastは過去の全体を包摂するがゆえに、それは「今」につながるというように)見立てることがなきにしもあらず、と思うわけです。
先に引用された"I don't mind what you have done in the past, but I don't want you to be unfaithful in the future."のwhat you have done in the pastも、(発話者が意識しているか否かは別として)上に述べたようなスライド的移行の結果かも知れません。(ここで、なぜか高浜虚子の「白牡丹と言ふと言へども紅ほのか」という句を思い起こしました。)
@どうも「全体」の意味がよくわかっていないようです。
⇒in the pastと<今>との間に厳格な不連続性があるはずですが、第2の枠組みの中で、「発話者の心理がそのように見立てる」という可能性が考えられることは上に見たとおりです。
ところで、この第1の枠組みは{the past, the present, the future}ですが、第2の枠組みとしては{in (the) past, at present, in future}と考えるのがよろしいかも知れません。どういうことかと言いますと、過去は、必然的に何らかの限定を伴うので定冠詞を付けざるを得ませんが、「発話者の心理としては、それはin pastの意味することと同じである、少なくとも大差ない」という意識を持つのではないでしょうか。また、逆に未来については、「未分化な(未来の)状況に対応して言語概念も未分化」なので、それに対応して(すべての意味合いをin futureで表すという)心理的バイアスがかかった結果である、という推測が成り立ちます。
ということで、この際私は、in the pastと<今>とをつなぐ可能性のある場として、{in (the) past, at present, in future}とする第2の枠組みをご提案する次第です。
不十分ながら、以上ご返信まで。
質問者
お礼
ありがとうございました。
質問者
補足
何度もお手数をかけてすみませんでした。
@ ⇒in the pastと<今>との間に厳格な不連続性があるはずですが、第2の枠組みの中で、「発話者の心理がそのように見立てる」という可能性が考えられることは上に見たとおりです。
ところで、この第1の枠組みは{the past, the present, the future}ですが、第2の枠組みとしては{in (the) past, at present, in future}と考えるのがよろしいかも知れません。どういうことかと言いますと、過去は、必然的に何らかの限定を伴うので定冠詞を付けざるを得ませんが、「発話者の心理としては、それはin pastの意味することと同じである、少なくとも大差ない」という意識を持つのではないでしょうか。また、逆に未来については、「未分化な(未来の)状況に対応して言語概念も未分化」なので、それに対応して(すべての意味合いをin futureで表すという)心理的バイアスがかかった結果である、という推測が成り立ちます。
ということで、この際私は、in the pastと<今>とをつなぐ可能性のある場として、{in (the) past, at present, in future}とする第2の枠組みをご提案する次第です。
---納得です。そう考えるしかありませんね。この第2の枠組みの中でin the futureはin futureの派生態として扱えばいいわけですね。大変勉強になりました。ありがとうございました。
なお、定冠詞が指示範囲として全体を表すことについて私自身よくわかっていない点があるので、そのうち質問させて頂くことになると思います。今回は、長くなりましたのでスレッドをあらためようと思います。どうもありがとうございました。
再再度の「補足」を拝見しました。
>--「枠組み」というのは{the past, the present, the future}という抽象的で、かつ具体的に何かが存在したり生きたりすることのない時間の集合のことです。Think of the present, not the past. という文なら作ることができます。よって、ここでは"Our country has tried to absorb Western culture in the past." というような具体性を帯びた文を作ることができないという意味だったのです。
⇒内容の適否は別として、この種の話題(時制とそれを修飾する時を表す副詞との関係)は、この「枠組み」内だけでなく、一般論として扱い得るし、扱うべきことではありませんか?
>-- in the pastを副詞句として使ったつもりでいました。不注意による凡ミスです。In the past, our country has tried to absorb Western culture. とすべきでした。
⇒確かに、Our country has tried to absorb Western culture in the past. は可能ですが、In the past, our country has tried to absorb Western culture. は不可能ですね。
もしこの種の文があったとしたら、おそらく「非論理的構文」とされるかも知れません。一方、例えば、From the past to the present, our country has tried to absorb Western culture.のように言うなら、ごく自然な言表と言えるでしょう。
>in the pastという表現において、pastはpresentとの間に明確な境界をもてないのでin the pastと現在完了が共起してもおかしくないのではないかと言いたかったわけです。この考えはいかかがでしょうか。両者が共起する理由として他に考えつかないのです。
⇒お言葉ですが、この件のお説は、恣意的に過ぎるのではないかと感じます。自然原理に基づく物理的時間の観念と人間原理に基づく心理的時間の観念とをごっちゃにしているように思われるからです。
ということで、in the pastと現在完了とは、(英語法の一般論から言って)この両要素が共起することはないと言わざるを得ません。ということで、両者が共起することはあり得ないとしたら、「理由として他に考えつかない」のも当然ですよね。
すでに述べたとおり、共起すると見えるのは、このin the pastなる副詞句が、主動詞(の現在完了)以外にかかる場合だけです。もし、in the pastが直接現在完了にかかるような文例があるなら、ぜひお目にかかりたいです。新聞でもネットでもいいです、実際のcorporaに当たってみていただけませんか。そして、もし妥当するような文例が見当たりましたら、出典を付して引用していただけるとありがたいです。
>≒「永劫未来」という感じはどうなのでしょうね。
⇒確かに…。実は最初「無色未来」としましたが、抽象的過ぎると思い、やむなく、不本意ながら「永劫(性)未来」としました。「永劫のもつ無限性」が「非限定」や「全体」に通じると考えたのですが、こじつけだったかも知れません。ということで、これはあまり適切な表現でなかったことを認めます。といっても、代案もありませんが…。何かもっと適切な、気のきいた言葉があるといいですね。
>in futureについては私も同じような感じを持っています。(…)漠然と覆われた未来は具体的な未来の一時点や一時期の集まりによって構成されるわけでしょうから、in futureが「未来の一時点や一時期」を表すことができると言えそうに思います。この考えでいいのでしょうか。 <漠然と全体を覆うということは、「一定の期間を限定することもないが、期間限定の措定を禁じることもしない」という属性も合わせ持つとする分析です。>とおっしゃられたことと同じような考えなのでしょうか。
⇒はい、仰せのとおりだと思います。この問題については、お互い完全に一致しているようで、嬉しいです。
以上、「in the pastと現在完了問題」での反論と、「永劫未来」発言の撤回と、「in futureの射程範囲」説での共感について申しあげました。
質問者
お礼
ありがとうございました。
質問者
補足
再再度のコメントありがとうございます。
<--- >--「枠組み」というのは{the past, the present, the future}という抽象的で、かつ具体的に何かが存在したり生きたりすることのない時間の集合のことです。Think of the present, not the past. という文なら作ることができます。よって、ここでは"Our country has tried to absorb Western culture in the past." というような具体性を帯びた文を作ることができないという意味だったのです。
⇒内容の適否は別として、この種の話題(時制とそれを修飾する時を表す副詞との関係)は、この「枠組み」内だけでなく、一般論として扱い得るし、扱うべきことではありませんか?>
--- この枠組みだけで扱おうとしているわけではありません。{過去・現在・未来}という枠組みは
{the past, the present, the future}という抽象的な枠組みと、{in the past, at present, in the future}という実際に何かが生きたり存在したりすることを表す枠組みとの2つがあるだけで、それですべてだと思います。それ以外の時の表現は2番目の枠組み内の表現のvariationでしかないと思います。もちろん多少意味の異なるものでしょうが。例えば、right now, currentlyはat presentとほぼ同意です。these days, nowadaysにはat presentよりも時間幅を持たせてあります。
結局、基本的には{the past, the present, the future}と{in the past, at present, in the future}の2つの枠組みで事が足りる(ただし、細かなニュアンスまでは出せません)のではないかと思うのです。ですから、まず{the past, the present, the future}という抽象的な枠組において、現在完了の使用が可能かどうかを問題にしたわけです。
ところが、ここで私は早とちりをしました。てっきり、完了時制がこの枠組みでは意味的に成り立たないと思いこんでしまったのです。でも、よく考えたら、使えないことはないですね。ネットで拾ってきたのですが、I don't mind what you have done in the past, but I don't want you to be unfaithful in the future.” というのがありました。というわけで、この枠組みでなぜin the pastが現在完了と共起するのかは不明のままです。
というか、そもそもin the pastと現在完了が共起できないのなら、上の例文は不可です。
次に、{in the past, at present, in the future}という枠組みの中で現在完了が共起するかという問題があるわけです。Our country has tried to absorb Western culture in the past. についてですが、かなり昔(20年ほど前)に英作文のモデル(上の英文とは少し異なります)を作ってネイティブチェックを受けたことがありました。その時の文ははっきりとは覚えていませんが、たぶん現在完了とup to nowを組み合わせたものだったと思います。次の日本文は「ところが、今では---」で始まるものだったと思います。モデルの判定はOKだったのですが、たぶん、その時in the pastの方がup to nowよりbetterだとか、そのようなことを言われたのだと思います。
私としてはin the pastが現在完了と共起することに驚いたはずですが、その時のそのネイティブとの折衝がどのようなものだったかほとんど覚えていません。ネイティブは形容詞句として判定したのに、私の方で第一文の日本文の「これまで」という副詞表現につられてin the pastを副詞句だと勘違いしたということなのでしょうんね。汗顔の至りとはこのことです。
その後、私はこの件を深く考えることなく、少し堅めの継続を表す文中で現在完了をin the pastと共起させて使ってきました。もっとしっかり考究すべきでした。
<From the past to the present, our country has tried to absorb Western culture.のように言うなら、ごく自然な言表と言えるでしょう。>
---納得です。
<--->in the pastという表現において、pastはpresentとの間に明確な境界をもてないのでin the pastと現在完了が共起してもおかしくないのではないかと言いたかったわけです。この考えはいかかがでしょうか。両者が共起する理由として他に考えつかないのです。
⇒お言葉ですが、この件のお説は、恣意的に過ぎるのではないかと感じます。自然原理に基づく物理的時間の観念と人間原理に基づく心理的時間の観念とをごっちゃにしているように思われるからです。--->
-おっしゃる通りです。両者が共起する理由として他に考えつかなかったのでいわば苦し紛れの理屈づけでした。
<in the pastが直接現在完了にかかるような文例があるなら、ぜひお目にかかりたいです。新聞でもネットでもいいです、実際のcorporaに当たってみていただけませんか。そして、もし妥当するような文例が見当たりましたら、出典を付して引用していただけるとありがたいです。>
--- have done * in the pastをGoogleで検索すると、そこそこの数でヒットします。明らかに副詞句として使われている例があります。誤用から始まってそのまま定着しているのだろうと思います。BNCとはつながらなくなっていて検索できませんでした。英米の主な辞書をonlineであたってみましたが、in the pastが現在完了と共起する文はありませんでした。
というわけで、なぜin the presentが「これまで(up to now)」を表すことができて、in the futureが「これから先(from now on)」を表すことができるのかについては白紙に戻りました。
<--- ⇒「in the pastは「過去のある時点において、または過去のある期間において」を表すが、同時に「ある過去の時点からこれまでずっと」の意味も持つ、というネイティブの説に共感します。なぜなら、定冠詞theは、指示方法に関しては「限定」を表し、指示範囲に関しては「全体」を表すからです。>
-<指示範囲に関しては「全体」を表す>ということは、in the pastは過去の全体を包摂するがゆえに、<今>とも接点を持っているということなのでしょうか。もしそうであるなら、現在完了との共起も可能ということになりそうな気がします。また、in the futureは未来の全体を包摂するがゆえに、<今>とも接点を持っているということなのでしょうか。そうであるなら、from now onの意味も持つことになります。どうも「全体」の意味がよくわかっていないようです。
よろしくご教示下さい。
---「永劫未来」についてもう少しだけ。in futureにおけるfutureは、過去から未来へと流れる時間ではあるものの、未来を漠然と覆っているもやのような時だと思います。前置詞inの目的語として使われているわけですから、永劫までは届かないものとされているのではないかと思います。遙か未来についての思考に限界があるものと想定されているという気がします。
「補足」を拝見しました。
お互いにほとんど共通の前提を容認し、それに立脚していると思いますので共感することが多いです。もちろん、例外がないわけではありません。ただ、例外と言いましても、ちょっとした行き違いのようなもので、大方「舌足らず」に由来するように思います。
>incarnateされた実感ということですが、まさに私が言いたかったことです。それは私にとって前客体的状況ということと関わりを持ちます。例えば、<私>が今、何かに没頭している時、今という時間を客体化して期間としてとらえることができません。また、それは言語使用者にとって生きられる時間だということです。
⇒そういうことですね。「前客体的状況」といい、「生きられる時間」といい、適切な表現によって、言わんとしていることがよく分かりました。
>{past, present, future}という枠組みとして実際の文中で使われるようになった時、永久の時の流れではなく、流れることのない3つの固定された時間帯として言い表されるようになったのではないかと思います。この時、客体的な見方が導入されたというふうに見ています。
⇒この節もよく納得できます。特に、「流れることのない3つの固定された時間帯として言い表されるようになった」は、まさに正鵠を射た喩えだと思います。
>the pastが現在完了形の文中で使われるのが非文法的だというのが私の思いこみに過ぎないのであれば、the pastについての理解を間違えていたことになります。だとすると、時間について根本的に考え直す必要があるように思います。
⇒「根本的に考え直す必要がある」ようなことではないと思いますが、「in the pastが現在完了形とどのように関わる状況を指しているのか」ということに関して、若干認識の行き違いがあるかも知れません。「the pastが現在完了形の文中で使われる」とはどういうことか、これさえ明確になれば、決して「the pastについての理解を間違えていた」わけではないことが、はっきりするに違いありません。詳細は次項で申しあげます。
>この枠組み内のpastを使ったin the pastは現在完了で使われることはありません。
⇒これを語るのに「枠組み」を持ち出す必要はないでしょう。むしろ、問題になるのは、「in the pastは現在完了で使われることがない」と言うときの、「状況や内容の説明不足」だと思います。
前便で挙げられた例文を見てみましょう。「Our country has tried to absorb Western culture in the past.」→この場合のin the pastは形容詞句で、直前のcultureにかかりますね:「過去の/過去における西欧文化」。前便で私は、このことなども踏まえて、「the pastが現在完了形の文中で使われても、何の不思議もありません」と述べた次第です。
ところが、feedersさんの「この枠組み内のpastを使ったin the pastは現在完了で使われることはありません」というご説明は、具体的に何を言わんとしているのか、いまいちよく分かりません。本当は、「in the pastは、動詞の現在完了を直接修飾することはない」と言いたいのではありませんか? そういう説明だとすれば、何ら矛盾なく、すんなり容認することができます。なぜなら、現在完了は過去を示す副詞(句)と相関的に共起しないことが通則ですし、主動詞が現在完了でも、過去を示す副詞(句)が目的語や補語に関わる場合、または従属節に関わる場合などは何ら問題にならないことも自明だからです。(上例の場合、in the past、はhas triedにかかるのでなく、absorbの目的語Western cultureにかかっているのですから、当然問題外の部類です。)
>なぜイギリスでin the futureではなくin futureという表現が使われるのかということと、form now onを意味するin futureがなぜ「未来のある時点において、または未来のある期間において」をも同時に表すことができるのか。
⇒このin the futureとin futureの関係に関する私の見方はこうです。すなわち、前便でも述べたとおり、《in futureは、「質」のみを表すことで、漠然と全体を覆う。そして、漠然と全体を覆うということは、「一定の期間を限定することもないが、期間限定の措定を禁じることもしない」という属性も合わせ持つ》とする分析です。in futureに付与されたこのBriticism特有の「質」は、「非限定」であって「反限定」ではないので、「弱い限定」を許容し、「質、限定、全体」の表現能を包摂するという解釈です。
>昔は、イギリスでもin the futureが使われていた(そしてin futureという言い方はなかった)のに、ある時期にtheが脱落してしまって、in futureがそれまでのin the futureの役目を引き継いだという仮説を立てるしかなさそうに思えるのですが、いかがでしょうか(→in futureがin the futureより先)。今回の説明も穿ち過ぎでしょうか。
⇒定冠詞theは、古英語の時代に指示詞から派生したとされています。ということは、「in the futureよりも in futureの方が古い」ということになりますが、上の仮説はこの事実とはベクトルが逆ですよね。ゆえに、「in futureがそれまでのin the futureの役目を引き継いだ」という仮説の成立する可能性は極めて低い、ということになりませんか? この事実はまた、前便や前項で述べた《in futureが「質」のみを表すことで全体や限定など、あらゆる意味機能の表現に対応していたのではないか》とする推測を補強する要素の一つになり得るとも考えらます。
>何でもかんでも合理的な説明をしなければ気が済まないというわけでもないのですが、合理的な説明が可能であれば努力してみたいと思うのです。
⇒「合理的な説明が可能であれば努力してみたい」というお気持ち、よく分かります。私もまったく共感です。自然のからくりや法則や体系は、自ら姿を現わしてはくれませんからね。
以上、2つの異論を述べましたが、ここに触れなかった部分は概ね賛同できるという意味です。いや、それどころか、示唆に富んだお説からいろいろ啓発を受けました。
質問者
お礼
ありがとうございました。
質問者
補足
再再度のコメント、ありがとうございます。私の不注意によって議論をわかりにくくしてしまっている箇所があります。
<--->この枠組み内のpastを使ったin the pastは現在完了で使われることはありません。
⇒これを語るのに「枠組み」を持ち出す必要はないでしょう。--->
<feedersさんの「この枠組み内のpastを使ったin the pastは現在完了で使われることはありません」というご説明は、具体的に何を言わんとしているのか、いまいちよく分かりません。>
--「枠組み」というのは{the past, the present, the future}という抽象的で、かつ具体的に何かが存在したり生きたりすることのない時間の集合のことです。Think of the present, not the past. という文なら作ることができます。よって、ここでは"Our country has tried to absorb Western culture in the past." というような具体性を帯びた文を作ることができないという意味だったのです。
<むしろ、問題になるのは、「in the pastは現在完了で使われることがない」と言うときの、「状況や内容の説明不足」だと思います。前便で挙げられた例文を見てみましょう。「Our country has tried to absorb Western culture in the past.」→この場合のin the pastは形容詞句で、直前のcultureにかかりますね:「過去の/過去における西欧文化」。前便で私は、このことなども踏まえて、「the pastが現在完了形の文中で使われても、何の不思議もありません」と述べた次第です。>
-- in the pastを副詞句として使ったつもりでいました。不注意による凡ミスです。In the past, our country has tried to absorb Western culture. とすべきでした。
<本当は、「in the pastは、動詞の現在完了を直接修飾することはない」と言いたいのではありませんか?>
--そういうことです。ただし、{the past, the present, the future}という名詞句の集合ではなく、{in the past, at present, in the future} という副詞句の集合としての時間(現実に過去において存在し、今も存在し、未来においても存在するはずの時間)を考えた場合のことです。
では、なぜIn the past, our country has tried to absorb Western culture. において、現在完了が過去を示す副詞句と共するのかが問題となるわけです。
そこで考えついたことですが、補足にこう記しました。
--the pastとthe futureの領域ですが、双方とも最縁辺に境界を持ってはいても<今>との間に境界を持つことがありません。先ほども述べましたが、<今>だと意識した瞬間にその時間はもう過去になってしまい、近い未来だと思ったその時間が次の瞬間に<今>になるからです。ですから、in the pastが現在完了と共起し、in the futureがfrom now onの意味を持つことは、たしかに不思議ではありません。--
要するに、in the pastという表現において、pastはpresentとの間に明確な境界をもてないのでin the pastと現在完了が共起してもおかしくないのではないかと言いたかったわけです。この考えはいかかがでしょうか。両者が共起する理由として他に考えつかないのです。
<--->昔は、イギリスでもin the futureが使われていた(そしてin futureという言い方はなかった)のに、ある時期にtheが脱落してしまって、in futureがそれまでのin the futureの役目を引き継いだという仮説を立てるしかなさそうに思えるのですが、いかがでしょうか。
⇒定冠詞theは、古英語の時代に指示詞から派生したとされています。ということは、「in the futureよりも in futureの方が古い」ということになりますが、上の仮説はこの事実とはベクトルが逆ですよね。ゆえに、「in futureがそれまでのin the futureの役目を引き継いだ」という仮説の成立する可能性は極めて低い、ということになりませんか?>
-たしかに、そう言われてみるとそうですね。
<この事実はまた、前便や前項で述べた《in futureが「質」のみを表すことで全体や限定など、あらゆる意味機能の表現に対応していたのではないか》とする推測を補強する要素の一つになり得るとも考えらます。
前回の補足内のnakayさんによる記述------in futureは《質のみを表すことで漠然と全体を覆う》という手法だと思います。他方、不定冠詞aが部分を表すのに対応して定冠詞the には全体を表す機能があるということから、in the future(辞書にAmericanism米語法とあります)は、《「すべての」と限定することで積極的に全体を覆う》という手法、と言えそうですね。
奇しくも、Briticismは「質」(非限定)で、Americanismは「全体」(強い限定)という正反対の機能用法で同じような意味を表すところが面白いですね。漢字熟語で表せば、Briticismの言い方≒「永劫未来」、Americanismの言い方≒「全未来」といった感じでしょうか。>
前回(再送分)の補足内のnakayさんによる記述------《in futureは、「質」のみを表すことで、漠然と全体を覆う。そして、漠然と全体を覆うということは、「一定の期間を限定することもないが、期間限定の措定を禁じることもしない」という属性も合わせ持つ》とする分析です。in futureに付与されたこのBriticism特有の「質」は、「非限定」であって「反限定」ではないので、「弱い限定」を許容し、「質、限定、全体」の表現能を包摂するという解釈です。>
--in futureは私の語感からすると、言語使用者から切り離されていないというふうに感じるので、from now onの意味を持つことには納得です。また、futureは抽象概念なので《質のみを表すことで漠然と全体を覆う》というふうにも感じます。 もとろん、未来の全体を漠然と覆うということですよね。
でも、≒「永劫未来」という感じはどうなのでしょうね。無限ということは想像力のカバー範囲のことかも知れませんが、人間の思考の限界を超えているように思います。思考の限界を設定する方が(つまり時間の領域を確定する方が)合理的だという気がします。ともあれ、in futureについては私も同じような感じを持っています。
残った問題は、in futureが「未来の一時点や一時期」を表すことができるかということです。
in futureという表現が「言語使用者から切り離されていない」と感じることと、「未来の全体を漠然と覆う」と感じることを異なる位相のこととして、後者の方だけを考えてみます。そうすると、漠然と覆われた未来は具体的な未来の一時点や一時期の集まりによって構成されるわけでしょうから、in futureが「未来の一時点や一時期」を表すことができると言えそうに思います。この考えでいいのでしょうか。
<漠然と全体を覆うということは、「一定の期間を限定することもないが、期間限定の措定を禁じることもしない」という属性も合わせ持つ》とする分析です。>とおっしゃられたことと同じような考えなのでしょうか。
何度もコメントをいただいて感謝しております。今回もよろしくお願いします。
前便でfeedersさんのお尋ねに答えるつもりで、いつの間にか言葉の端々が自己主張の口調なっていることに気づきました。ところどころ、始めに考えていた言葉に戻して、再送いたします。
(再送分)
>一般に無冠詞の名詞は概念を表すとされています。(…)概念は、そのもの自身がひとまとまりのものとして単独で存在するのではなく、別の概念との何らかの結びつきを持つと考えられます。または、言語使用者との結びつきを持つと考えられます。
⇒例えば、{past, present, future}という枠組みが、paradigmatic relation「語彙項目間の関係」の諸要素として相互に結びつき、一つ一つの要素のもつ内包が、「可能性という形で言語使用者に働きかける(結びつく)」わけですね。そう理解しました。
>{past, present, future}は枠組みを作ることによって言語使用者の便宜を図るという点で共通点を持ちます。
⇒その{past, present, future}という、いわば「語彙連合体」なる小体系の要員が言語使用者の選択に供され、表現に組み込まれると、その結果としてsyntactic relation「構文上の統合関係」が構成される、という構図ですね。共感です。
>それらは概念的なものではあっても、言語使用者にとっては客体的なものなので、(…)発話者が現実に生きている(と感じられる)時間ではありません。
>一方、past, present, futureは(pastを例外として)概念として無冠詞でも使われます。例えばat presentという使い方があります。theがついていないということは(…)、言語使用者と結びついたということだと思われます。
⇒語彙のパラダイムとしての{past, present, future}は、いわば待機要員であって、内部で語義体系を成しつつ発話者に対しては意味機能の可能性を提示する。例えて言えば、これは織物の横糸であり、ひとたびそれがシンタックスを構成すると今度は縦糸に変身することになります。横糸の時は内包であったものが、縦糸になると、似てはいますが、内包そのものではありませんね。これを便宜上「準内包」と呼んでおきましょうか。(準内包は、内包に最も近いが、後に見るin the futureなどからは最も遠い。)
>ここまでの記述内容に疑問な点があればご指摘をお願いします。
⇒{past, present, future}という体系的なparadigmatic relation「(語彙一覧表内の)選択関係」の要素として取り出された冠詞つきの、例えばin the presentやin the futureは、発話者にとってはある意味疎遠な客体であるという見立てですね。他方、体系とは無関係に発話者の感覚から飛び出したat presentや in futureは、前者と同じようにsyntactic relation「(構文上の)統合関係」の一要素として運用に供された結果であっても、それは発話者にとっては、いわばincarnateされた実感(準内包)である、という解釈ですね。そういう意味で賛同できます。
ところで、なぜ、変形生成文法理論の用語まで借りてゴテゴテ申したかといいますと、1つにはfeedersさんの所説をよく理解して混乱を防ぐためですが、もう1つあって、それは、上のように原理的な方法論を把握しておくことが、個々の運用例の理解のための「照準器」になるからです。あ、それから忘れてはならないこと、何よりも、このように見ると、ここまでのお説をよく納得できると思ったからでした。
>(…)in pastという表現を作るべきだったのに作らなかったので、幻のin pastが仮に存在していたら持っていたはずの働きをin the pastが肩代わりしたのではないかということです。いかがでしょうか。
⇒the pastが現在完了形の文中で使われても、何の不思議もありません。それは、「過去の出来事の結果が現在まで及んでいる」ということの表白に過ぎません。また、すでに過ぎ去った時には必ず「何らかの限定がかかる」ので、in past でなくin the pastが使われるだけのことだと思います。ということで、失礼ながら、この段落のお説は若干穿ち過ぎの感があるように思います。
>in the pastとin the futureの意味について数人のネイティブに尋ねてみましたが、各人が好き勝手なことを答えて、どれが正しいのかよくわからないのです。
⇒「in the pastは「過去のある時点において、または過去のある期間において」を表すが、同時に「ある過去の時点からこれまでずっと」の意味も持つ、というネイティブの説に共感します。なぜなら、定冠詞theは、指示方法に関しては「限定」を表し、指示範囲に関しては「全体」(=「強い限定」とも言える)を表すからです。
>地域差があって、イギリスではin futureが好まれる傾向にあり(in the futureも使います)、アメリカではin the futureが好まれます。地域によっては両方とも使うことがあるようです。
⇒地域・個人によって違いがあるのは当然ですが、それでもこの場合未来の話から逸脱するわけでなし、いずれの場合もそれなりの後追い説明が可能であるということは面白いところですね。つまり、in futureは《質のみを表すことで漠然と全体を覆う》という手法だと思います。他方、不定冠詞aが部分を表すのに対応して定冠詞the には全体を表す機能があるということから、in the future(辞書にAmericanism米語法とあります)は、《「すべての」と限定することで積極的に全体を覆う》という手法、と言えそうですね。
奇しくも、Briticismは「質」(非限定)で、Americanismは「全体」(強い限定)という正反対の機能用法で同じような意味を表すところが面白いですね。漢字熟語で表せば、Briticismの言い方≒「永劫未来」、Americanismの言い方≒「全未来」といった感じでしょうか。
>in futureしか使わない地域では、in futureが文脈に応じて「これから先ずっと」の意味と、「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表す。in the futureしか使わない地域でも同様です。 両方とも使われている地域では、in futureが「これから先ずっと」を表し、in the futureが「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表す。 この考えに賛同するネイティブスピーカーもいますが、異論を唱える人もいます。いかがでしょうか。ご意見を伺えるとありがたいです。
⇒ネイティブは、翻訳や通訳問題では大いに頼りになりますが、この種の問題を尋ねるときほど当惑することはありませんね。もっとも、idiolectの本性や限界からしてそれは無理からぬことではありますが。さらに、そのネイティブが英語以外の外国語を知っている人か否かで大いに違いがあるでしょう。「外国語を知らぬ者は自国語をも知らぬ」(ゲーテ)そうですから。いずれにせよ、ネイティブの情報から、その「内包または共通項」を抽出して文法論的研究に生かそうとすると大変骨が折れる、ということは覚えておいたほうがよさそうですね。
それはさておき、この項のまとめのために、future関連の表現について地域差や個人差を参照しながら最大公約数的な定義づけをすれば、次のように言えるのではないかと私は考えます。すなわち、《in futureは、文脈に応じて「これから先ずっと」(非限定)の意味、および「未来のある時点において、または未来のある期間において」(部分的限定)を表す。in the futureは、文脈に応じて「未来のある時点において、または未来のある期間において」(部分的限定)および「これから先ずっと」(全体的限定)の意味を表す。》
質問者
お礼
ありがとうございました。
質問者
補足
--返信が遅れてすみません。
文法理論を使って説明していただいてありがとうございました。おかげでよく整理されました。
<⇒例えば、{past, present, future}という枠組みが、paradigmatic relation「語彙項目間の関係」の諸要素として相互に結びつき、一つ一つの要素のもつ内包が、「可能性という形で言語使用者に働きかける(結びつく)」わけですね。
他方、体系とは無関係に発話者の感覚から飛び出したat presentや in futureは、前者と同じようにsyntactic relation「(構文上の)統合関係」の一要素として運用に供された結果であっても、それは発話者にとっては、いわばincarnateされた実感に過ぎない、という解釈ですね。>
-incarnateされた実感ということですが、まさに私が言いたかったことです。それは私にとって前客体的状況ということと関わりを持ちます。例えば、<私>が今、何かに没頭している時、今という時間を客体化して期間としてとらえることができません。また、それは言語使用者にとって生きられる時間だということです。
<⇒{past, present, future}という体系的なparadigmatic relation「(語彙一覧表内の)選択関係」の要素として取り出された冠詞つきの、例えばin the presentやin the futureは、発話者にとってはある意味疎遠な客体であるという見立てですね。>
-少なくともincarnateされた実感が伝わってこないものというふうにとらえています。
そもそも近代英語が依拠する<時間>の考え方は、昔ながらの常識的な時間感覚にニュートンの考え(過去・現在・未来へと一方方向に流れてゆく時間)が加わったものだったと思います。
それが、{past, present, future}という枠組みとして実際の文中で使われるようになった時、永久の時の流れではなく、流れることのない3つの固定された時間帯として言い表されるようになったのではないかと思います。この時、客体的な見方が導入されたというふうに見ています。
この先の時間についての議論は、いわゆる<等質で一方方向に流れる時間>を想定して行います。この考えが正しいかどうかは別にして、ともかく近代英語が依って立つ時間はそのようなものだと思います。
<すでに過ぎ去った時には必ず「何らかの限定がかかる」ので、in past でなくin the pastが使われるだけのことだと思います。>
---しかし、sometime / somewhere in the pastという言い方があるので、the pastはやはり時間領域を表すのではないかという気がします。
でも、the pastが現在完了形の文中で使われるのが非文法的だというのが私の思いこみに過ぎないのであれば、the pastについての理解を間違えていたことになります(in the pastが現在完了形の文中で現実に使われていることはもちろん知っています)。
だとすると、時間について根本的に考え直す必要があるように思います。しばらく私の時間論につきあっていただけませんでしょうか。
時間の考え方として2段構えで考察すべきだと思います。
一つ目は{past, present, future}が枠組みを作る場合です。それぞれが抽象的な時間概念です。一方方向に流れてゆく時間でもないし、言語使用者にとって生きられる時間ではありません。その意味では言語使用者にとっては客対物と言っていいと思います。past, present, futureは枠組みのデフォルト要素だし、相互の対立関係からもtheがつきます。
Never mind the present. The future is bright. というふうに少なくとも2つの対立し合う時間領域の表現を文中に治めれば容認されると思います。この枠組み内のpastを使ったin the pastは現在完了で使われることはありません。
二つ目は{past, present, future}が一方方向に流れてゆく時間である場合です。言語使用者が実際に生きられるのはpresentだけですが、<今>だと意識した瞬間にもう過去になってしまい、近い未来だと思ってた時間が次の瞬間に<今>になります。presentの時間幅(時間的な境界)を定めることは不可能です。よって冠詞がつくことはありません。
言語使用者は<今>に没頭すると<今>を客体的に見ることができません。この意味でも冠詞がつきません。また、<今>は一時的な、あるいは短期間の状況を表す文脈で使われやすいので、そのためatと共起しやすいということになります。
pastとfutureはそれぞれ、現在からはるかに隔たった大昔のある時点で、あるいは未来のさい果ての手前のある時点で境界を持つはずです。言語使用者にとって、過去と未来を無限の彼方に延長させてものを考えることは意味がない(言語使用者の思考対象はその境界内の事柄でなければならない)ことだと思います。最縁辺に境界を持つpastとfutureは概念的に互いに対立し合うものなのでtheがつくはずです。
また、この場合のpast, present, futureはそのどれもが具体的に存在した時間なので、主語や目的語の位置で抽象的な意味合いで使われることはないはずです。行為や状態をサポートする文脈で、すなわち時を表す副詞句として使われるものと思われます。そうすると、3つの時間要素はin the past, at present, in the futureという形で使われるはずです。
the pastとthe futureの領域ですが、双方とも最縁辺に境界を持ってはいても<今>との間に境界を持つことがありません。先ほども述べましたが、<今>だと意識した瞬間にその時間はもう過去になってしまい、近い未来だと思ったその時間が次の瞬間に<今>になるからです。
ですから、in the pastが現在完了と共起し、in the futureがfrom now onの意味を持つことは、たしかに不思議ではありません。
また、the pastの中には<今>と隔たっている過去の時点や時期もありますし、the futureの中には<今>と隔たっている未来の時点や時期もあります。
よってin the pastが「過去のある時点において、または過去のある期間において」を表し、同時に「ある過去の時点からこれまでずっと」の意味も持つのは当然です。
また、in the futureが「未来のある時点において、または未来のある期間において」を表し、同時に「これから先ずっと」の意味も持つのも当然です。
さて、最後に残った問題があります。なぜイギリスでin the futureではなくin futureという表現が使われるのかということと、form now onを意味するin futureがなぜ「未来のある時点において、または未来のある期間において」をも同時に表すことができるのか(なぜin the futureと同じ働きを持つのか)という問題です。
この二つの問題を一挙に解決するには手だては一つだけです。昔は、イギリスでもin the futureが使われていた(そしてin futureという言い方はなかった)のに、ある時期にtheが脱落してしまって、in futureがそれまでのin the futureの役目を引き継いだという仮説を立てるしかなさそうに思えるのですが、いかがでしょうか。今回の説明も穿ち過ぎでしょうか。
何でもかんでも合理的な説明をしなければ気が済まないというわけでもないのですが、合理的な説明が可能であれば努力してみたいと思うのです。でもネイティブには嫌がられます。
よろしくお願いします。長くなって申し訳ありません。
やっと書き上げたと思ったらNakayさんから再送文がupされていました。再送文はこれから確認させていただくとして、とりあえず、書き上げた分を補足に書き入れます。
#1です。お詫びと訂正。
途中からpresent がタイポでpresenseになってしまいましたが、全てpresentに置き換えてください。あと、例文としてあげた、
We couldn't communicate with our foreign friend realtime in the past.
のforeign friend はforeign friendsと複数形であるべきでした。
何人かのネイティブに聞かれたのであれば、それに勝る回答がこの場で得られるとは思わないのですが、日頃意識しないで過ごしているネイティブに対して非ネイティブとして客観的に考えるヒントになればと回答します。
まず、the の使われかた事態、それなりに個人差があります。ネイティブ何人かで発表する文を考えている場で、the をつけるつけないで議論している場に何度か参加しましたが、つけるつけないで自分が表現する時のニュアンスの違いは想像できるものも、読む人々に与える印象の変化までは良く理解できませんでした。多分その辺の自分が感じることと受け取る人が感じる事の関係が理解できる様になれば、詩や小説が書けるのだと思いますが遠く及びません。
次に、英語は文法や単語をつなげた意味でしゃべる物では無く、フレーズのリズム感で話す物とネイティブの英語教育関連の人に良く言われます。in future, in the future に関して言うとどこでイギリスとアメリカで分かれたのかわかりませんが、私はアメリカで英語を使っていたので、リズム的にin the future しか感覚に合わず、in futureには違和感を持ちます。アメリカでは周りのみんながin the futureを使うので、in futureと言うちょっと違ったリズム感の物はとっさに出てこず、結果としてin the future で示唆される、in a point of future around some event happens と言うある時点をイメージした上での未来と言うニュアンスだけでなく、from now on を示すこの先ずっとを表す時にも代用するのが当たり前になって言ったのでは無いかと想像します。ネイティブは日頃は意識しないで、しかも個人個人で多少のズレがありながらも気にせずに使っていて問題にもならない言葉を、改めて質問されると論理的に考えてin the future と in future の違いを説明する人と、大雑把に同じと言う人と、一般論として英米で違うと言う人がいるのも肯けます。at presentも、私の感覚的には、at presentとみんなが使うから使うと言うと言うのがまず第一。ただpresentは時間の幅の感覚に差はあっても中心となる自分が生きている、他の人も生きているたった今を言っているので、theをつける必要も無く共通認識です。一方で、at the presenseとtheをつけるケースもありますが、これはat this presenseと同じで、「このたった今」「まさにこの今」と言う事を強調する場合。例えば、I'm a colledge student at the presense, but will graduate next year. と「たったこの今」をあえて強調する時に使う特例と言えると思います。自分や皆んなや人類が共通で生きているたった今を中心とした多少曖昧な時間の幅の広がりをtheをつけることで正確に限定していると言えると思います。
それに対してin the pastも、そう言う風に言うからと言うのが直感的なお答えですが、想像するに認識の上で未来とは話して聞き手が共有する幅が違いすぎるからでは無いかと言う気がします。未来と言った時に想定するのがせいぜい話して聞き手が関わっているレベルの話で、長くても数十年。1000年先の話をin (the) futureと言う人はいないと思います。それに対してpastと言うと1000年、2000年は簡単に遡る事ができるのに対して、話している内容で遡るレベルと言うのは自ずと限定されるし、その事を特定する必要があるのでは無いかと思います。
We couldn't communicate with our foreign friend realtime in the past. と言った時に、まさか原始時代の人たちが外国の友達がいる事を前提としていないのは明らかで、比較できる過去がせいぜい人々が海外と交流して友達が海外にいると言う状況が発生した過去に限定されるからじゃ無いかと思います。もし原始時代まで含めて言うのであれば、in the pastでは無くuntil recent days と言う様な表現になるのだと思います。
何れにしても、前のlionに関しての質問でもお答えした様な気がしますが、theは客観的に見て何かを限定するものでは無く、話し手書き手が自分のイメージの中で限定している場合に使うもので、それを聞き手、読み手が共有できなければ悪い表現で、理解してもらえれば良い表現、と言う物なのだと考えています。日本語で、「あの事件はどうなった?」と言った時に、「ああ、あれね」と言う時もあれば「あのってなんだよ。」と言うこともあるのと同じ、結構曖昧であうんの表現が元なのだと思います。
質問者
お礼
ありがとうございました。
質問者
補足
-回答ありがとうございました。
<それに対してin the pastも、そう言う風に言うからと言うのが直感的なお答えですが、想像するに認識の上で未来とは話して聞き手が共有する幅が違いすぎるからでは無いかと言う気がします。未来と言った時に想定するのがせいぜい話して聞き手が関わっているレベルの話で、長くても数十年。1000年先の話をin (the) futureと言う人はいないと思います>
-しかし、発話者が想像力を駆使して1000年先の話をin (the) futureと言うことはありうると思います。例えば In (the) future, human beings may colonize other planets.
この例でゆくと、何千年先のことでも語れます。
-at the presentは誤用から生じたものだと思います。(そのようにネイティブに言われました)
文法的に考えても、the presentは特定の枠組みを表し、一定の期間を表すのが普通なので前置詞のatとは共起しにくいと思います。
ご回答ありがとうございました。参考にさせていただきます。
お礼
ありがとうございました。
補足
何度もお手数をかけてすみませんでした。 @ ⇒in the pastと<今>との間に厳格な不連続性があるはずですが、第2の枠組みの中で、「発話者の心理がそのように見立てる」という可能性が考えられることは上に見たとおりです。 ところで、この第1の枠組みは{the past, the present, the future}ですが、第2の枠組みとしては{in (the) past, at present, in future}と考えるのがよろしいかも知れません。どういうことかと言いますと、過去は、必然的に何らかの限定を伴うので定冠詞を付けざるを得ませんが、「発話者の心理としては、それはin pastの意味することと同じである、少なくとも大差ない」という意識を持つのではないでしょうか。また、逆に未来については、「未分化な(未来の)状況に対応して言語概念も未分化」なので、それに対応して(すべての意味合いをin futureで表すという)心理的バイアスがかかった結果である、という推測が成り立ちます。 ということで、この際私は、in the pastと<今>とをつなぐ可能性のある場として、{in (the) past, at present, in future}とする第2の枠組みをご提案する次第です。 ---納得です。そう考えるしかありませんね。この第2の枠組みの中でin the futureはin futureの派生態として扱えばいいわけですね。大変勉強になりました。ありがとうございました。 なお、定冠詞が指示範囲として全体を表すことについて私自身よくわかっていない点があるので、そのうち質問させて頂くことになると思います。今回は、長くなりましたのでスレッドをあらためようと思います。どうもありがとうございました。