※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:森林の所有権)
森林の所有権の歴史とは?
このQ&Aのポイント
日本の国土の多くを占める森林の所有権について、いつ頃意識され始めたのか疑問があります。
弥生時代には森林は共同の狩猟の場や木の実の採取の場であり、所有権の概念は確立されていませんでした。
戦国時代や江戸時代には領土や藩の森林という意識があったかについても疑問があります。
日本史のことをボーっと考えているうちに、田畑や、そこから生産される食べ物については、すでに弥生時代から争奪が行われていたようで、このことは裏を返せば「所有権」というものが確立されていた、あるいは、強く意識されていたと理解してもよいのではないか???と感じたのですが、ふと、日本の国土のかなりの部分を占める森林の「所有権」というのは、いつ頃意識されはじめ、確立していったのだろうか???という疑問が湧いてきました。
それでネットで調べると、よく分かりませんが、今では、全国の森林は、木の生えていないところまで、くまなく、それこそ富士山の山頂まで、国有林だとか、都道府県有林だとか、あるいは個人所有の森林とかに区分されているようです。なかには、名義上の所有者ははっきりしているのだけど、その所有者がどこにいるのかわからないという、私のような貧乏人からすると、ずいぶんともったいない事例もあるようです。
しかし、弥生時代には、森林は共同の狩猟の場、木の実などの採取の場であって、「所有権」というものは確立されていなかったのではないかと、私は理解しています。
このことが正しければ、弥生時代から、現代までの間のいつかの時点で、「森林の所有権」というものが芽生え、成熟してきたのではないかと感じたのですが、このことについて、日本史に詳しい方、興味を持たれている方の、「こんなことがあるよ」というのを教えていただきたいと思い、質問させていただきました。
例えば、私の想像なのですが、戦国時代というのは、大名には「○○家の領土」という意識があっただろうし、その観点からは、全国くまなく、余った土地などなかっただろうと思うけど、「所有権」という意識があったのか???疑問に感じます。森林なんて、木材を取り出せればよいのであって、木材を利用できる範囲が治める範囲、所有する範囲という程度のものだったのではないかと???領土を争うといったって、富士山の山頂で戦をするわけでもないしと。
江戸時代にも、「○○藩の領土」という意識があっただろうし、調べると「藩有林」というのもあったようです。しかし、「藩有林=○○藩の森林、木の生えていない高山まで含めて全部」ということだったのか、木材を利用できる範囲にとどまっていたのか???よく分かりません。しかも、平和の時代が到来しており、境界をめぐって争いごとなど起こして、おとりつぶしにあってはたまらない、という意識もあったのではないかと。
「森林の所有権」というものが意識され始めたのはいつ頃だったのか???、あるいは、個人として森林を所有したのは、何時の時代、誰だったのか???疑問は尽きません。
お礼
ありがとうございました。 「所有権の根拠はどうするのか」といったら、それは「文字で記録する」ってことになると思います。口頭だけでは権利の証明ができませんよね。……確かに、そうかも知れませんね。質問しながらも、「所有権」という使い方が良いのか???とも頭に浮かんだのですが、勢いで質問してしまいました。 ということは、所有権が明確になっているということは、文字で記録されていてそれを読める人が一定数以上存在する、というのが大前提となるかなと思います。……「本領安堵」ということが鎌倉幕府の大きな役割としたら、田畑ばかりでなく、「森林の所有権」ということについても、そこに一つの転機があったのではないか???とも考えたのですが、当時の武士は、文字を読めなかったということを何かで読んだ記憶があります。当然書けなかったでしょうから、そういう意味では、「所有権を文字で記録する」という段階に至っていなかったのかもしれません。 暴力の支配圏に所有権があるといえるのではないでしょうか。……考えてみます。 さて日本史に話を戻せば、かつては日本の山地ではサンカと呼ばれた放浪民がいました。……日本に放浪民がいたというのは、頭の片隅に、微かに残ってはいたのですが「サンカ」というのですね。Wikで調べたのですが、その生態は、大変興味深いですね。私は九州の片田舎で生まれ、高校まで、そこで育ったのですが、昭和30年代、小学校に通う道の横に小さな小屋があって、いつも老人が竹で、ザルやエブ(土を入れて、運ぶ道具。私たち少年はそれをもって、川に行き、魚やエビをすくい採っていました。笑)などの竹細工用品を作っていました。優しい老人だったのですが、差別的に扱われていたように記憶しています。もしかしたら、同化した「サンカ」の末裔だったのかも。 だから現代人の価値観で「昔はどうだったのだろう?」って考えてしまうと理解は難しくなると思います。……某教授も、「現代の感覚で歴史を見てはならない。」というような趣旨のことを書いていましたし、これまでも、eroero4649さんに、幾度か教えていただいた教訓ですが、視野が狭いものですから、ついつい。ただ、「その時代の価値観を理解したうえで、日本史を自学する」には、もう残された時間が少ないように思います。70の手習いです。泣 暴力で支配圏が及ばない場所は、すべからく誰のものでもないということですね。……考えてみます。「土地」ばかりでなく、何か「歴史を考える視点」があるような気がします。