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森林の所有権の歴史とは?
- 日本の国土の多くを占める森林の所有権について、いつ頃意識され始めたのか疑問があります。
- 弥生時代には森林は共同の狩猟の場や木の実の採取の場であり、所有権の概念は確立されていませんでした。
- 戦国時代や江戸時代には領土や藩の森林という意識があったかについても疑問があります。
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「所有権の根拠はどうするのか」といったら、それは「文字で記録する」ってことになると思います。口頭だけでは権利の証明ができませんよね。 ということは、所有権が明確になっているということは、文字で記録されていてそれを読める人が一定数以上存在する、というのが大前提となるかなと思います。縄文時代や弥生時代も所有権はあったかもしれませんが、彼らはそれを文字で記録として残していませんから、我々はその権利を認めていないわけです。 またその所有権が維持できるのは、それを担保する組織があればこそとなります。現代日本で勝手に人の土地などに住めば当然警察がやってきて逮捕されることだってあります。日本の司法が行き渡っているからこそ、その所有権は担保されるわけですよね。逮捕やらなにやらというのは最終的には暴力ですから、暴力の支配圏に所有権があるといえるのではないでしょうか。シベリアやアラスカの山奥は名目上は国家による権利が存在しているはずですが、あまりに山奥になれば国家権力も支配が及ばず、そういう地域なら所有権は有名無実といってもいいでしょう。 さて日本史に話を戻せば、かつては日本の山地ではサンカと呼ばれた放浪民がいました。狩猟採集民というのは「私的所有権」という概念がないのです。これはサンカに限らず、世界中の狩猟採集民でそうです。手に入れた獲物などはリーダーによって山分けにされて、それで終わりです。私的所有権はないから、そこにあるものは何でも持って行って構わないのです。我々はそれを「盗み」といいますけどね。そういう人々が、少なくとも江戸時代末期には何十万人という単位で全国の山地に住んでいたといわれています。 そういう曖昧な状況が限りなくなくなって、官僚化された組織によりきちんと法の下で管理されているのが近代国家というやつです。この近代国家が成立するまでは社会というのはかなり曖昧かつナアナアで存在していたんですね。 だから現代人の価値観で「昔はどうだったのだろう?」って考えてしまうと理解は難しくなると思います。 ひとついえることは、20世紀以前の世界は、基本的に都市などのごく一部を除けば土地は余っていたってことです。暴力で支配圏が及ばない場所は、すべからく誰のものでもないということですね。
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- -ruin-
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>その意味で弥生時代には、森林の所有という認識はなかったのではないか??? ……単なる「本能」ではないかと思うのですが 認識がないということと概念が無いということを同立に考えるべきかどうかという問題かと思います。彼らはその場所の木の実なんかを掌握したいわけですから仮に猿に権利と所有の概念があれば自らのテリトリーにそれを主張するであろうことは理解できるかと思います。 それを認識ではない或いは単なる本能とするのであれば、逆説的に権利という概念が提唱される17世紀以前、日本で言う江戸時代以前にはその認識はありえないとも言えるかと思います。 とは言えおそらく質問者さんが言いたいことはそういうことではないでしょうし、論法としても強引な感じはありますが。ただこれを無視すると結局個人がこの時代のは所有権ぽいとかいう単なる主観での認識の話になってしまうので、論理的に時期を定義しようとすれば他にやりようはないかと思いますので、あとは質問者さんがその辺りをどう認識されるか次第ではないかと。
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再度、ありがとうございました。 年齢のせいか、もともと文章の理解力が乏しく、抽象的というか、哲学的な文章というのは理解できなくなっています。すみません。
- rikimatu
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土地の所有に関しては奈良時代に墾田永年私財法が出るまでは国、弥生時代まではコミュニティーというか村単位での所有だったと思うので、 想像の範囲で言うと森林に関しては奈良時代辺りからだと思います。森林を開拓して自分の田畑を作って働かして利益を出そうと考える人もいたかと。
お礼
ありがとうございました。 森林を開拓して自分の田畑を作って働かして利益を出そうと考える人もいたかと。……このことは、森林の所有者がいなかったからできたのだと理解できませんか。
- -ruin-
- ベストアンサー率31% (239/770)
いくつかの段階に分かれるかと思いますが、まず 国有林は、明治初期に藩有林や社寺有林、地租改正により所有者が明らかにならなかった奥地の森林等が母体となって成立しました。 つまりこの時点でどこにも属さない山林はあったということです。 つぎに「森林の所有権」というものが意識され始めたのはいつ頃だったのかについては戦国時代かと思います。この時期には建築や燃料のために明確に所有権を決めることがあったようです。 ただ、弥生時代からすべての人間が農耕をしていたわけではないので、当然山林に暮らす人もいました。そういう人たちは当然周囲を自らの土地と認識していたでしょうし、もっと言うなら猿にも縄張りはあります。 そういう意味では所有権という言葉が生まれた時期が所有権という意識が生まれた時期とも言えます。名前がついていないあるいは認識がないだけで猿の縄張りも彼らにとっては所有権でしょうから。
お礼
ありがとうございました。 つまりこの時点でどこにも属さない山林はあったということです。……納得できます。 つぎに「森林の所有権」というものが意識され始めたのはいつ頃だったのかについては戦国時代かと思います。この時期には建築や燃料のために明確に所有権を決めることがあったようです。……そうですか。「ポイントとなる時代かな」という気がするし、「一所懸命」の鎌倉時代というのも気になります。 当然山林に暮らす人もいました。そういう人たちは当然周囲を自らの土地と認識していたでしょうし、……だとは思いますが、「所有」の意識というのは、所有権を争う事態が生じることとセットのような気がするのです。その意味で弥生時代には、森林の所有という認識はなかったのではないか???と感じています。 猿の縄張りも彼らにとっては所有権でしょうから。……単なる「本能」ではないかと思うのですが、考えてみます。
- unnoun
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山の事ですよね。山に所有者はいますよ。5合目には神社があるので所有者です。区切る所有はよくある事です。山一個丸々所有もめずらしいのでは。
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ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 「所有権の根拠はどうするのか」といったら、それは「文字で記録する」ってことになると思います。口頭だけでは権利の証明ができませんよね。……確かに、そうかも知れませんね。質問しながらも、「所有権」という使い方が良いのか???とも頭に浮かんだのですが、勢いで質問してしまいました。 ということは、所有権が明確になっているということは、文字で記録されていてそれを読める人が一定数以上存在する、というのが大前提となるかなと思います。……「本領安堵」ということが鎌倉幕府の大きな役割としたら、田畑ばかりでなく、「森林の所有権」ということについても、そこに一つの転機があったのではないか???とも考えたのですが、当時の武士は、文字を読めなかったということを何かで読んだ記憶があります。当然書けなかったでしょうから、そういう意味では、「所有権を文字で記録する」という段階に至っていなかったのかもしれません。 暴力の支配圏に所有権があるといえるのではないでしょうか。……考えてみます。 さて日本史に話を戻せば、かつては日本の山地ではサンカと呼ばれた放浪民がいました。……日本に放浪民がいたというのは、頭の片隅に、微かに残ってはいたのですが「サンカ」というのですね。Wikで調べたのですが、その生態は、大変興味深いですね。私は九州の片田舎で生まれ、高校まで、そこで育ったのですが、昭和30年代、小学校に通う道の横に小さな小屋があって、いつも老人が竹で、ザルやエブ(土を入れて、運ぶ道具。私たち少年はそれをもって、川に行き、魚やエビをすくい採っていました。笑)などの竹細工用品を作っていました。優しい老人だったのですが、差別的に扱われていたように記憶しています。もしかしたら、同化した「サンカ」の末裔だったのかも。 だから現代人の価値観で「昔はどうだったのだろう?」って考えてしまうと理解は難しくなると思います。……某教授も、「現代の感覚で歴史を見てはならない。」というような趣旨のことを書いていましたし、これまでも、eroero4649さんに、幾度か教えていただいた教訓ですが、視野が狭いものですから、ついつい。ただ、「その時代の価値観を理解したうえで、日本史を自学する」には、もう残された時間が少ないように思います。70の手習いです。泣 暴力で支配圏が及ばない場所は、すべからく誰のものでもないということですね。……考えてみます。「土地」ばかりでなく、何か「歴史を考える視点」があるような気がします。