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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神護石はいつ頃作られたものでしょうか。)
神護石とは何時代の遺物なのか?水源を護る役割があるとされている神護石についての考察
このQ&Aのポイント
- 神護石はいつ頃作られたのか、その時代について考えてみました。水門があることや山の中腹にあることから、水源を守る目的で建てられた可能性があります。
- 雷山神護石、鹿毛野馬、杷木、女山、おつぼ山、高良山など、神護石の場所について調査しました。これらの神護石には共通点があり、水門があることや山の中腹にあることが挙げられます。
- 神護石についての遺物や遺跡は7世紀以降のものが多いようです。しかし、他の時代の遺物や遺跡が存在していないかも調べてみましたが、確定的なものは見つかっていません。また、神護石の配置から、敵の潜入を伝え合う役割があったのではないかと考えることもあります。
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- moto_koukousei
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- chiha2525
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- chiha2525
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回答No.1
お礼
ありがとうございます。自分でもいろいろ調べていてお礼が遅くなってすみません。何を調べていたかというと、神籠石に対応した水田遺跡はないかです。神籠石がその中に沢を含み、石垣の一部に水門を持っているのならその下流域に古代の水田があるのではないかという予測からです。大野城は神籠石ではありませんが、かつて神籠石としてあった石垣を山城として作り直したのではないかということです。一つの神籠石に一つの国(あるいは一つの環濠集落)を対応させられないか。大野城に奴国、帯隈山に吉野ヶ里、雷山にいと国、鹿毛野馬にうみ国というふうにならないかな?わたしは東北人なのでそうそう九州には行けません。誰か調べてくれないかなあ。吉野ヶ里ではまだ水田が見つかってないようなので帯隈山の下あたり調べたらどうかなあと思うのですが。