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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:本能寺の変。明智方の武将・ホンジョウ・カクエモン)

ホンジョウ・カクエモンとは誰か?

このQ&Aのポイント
  • 明智方の武将・ホンジョウ・カクエモンとは、本能寺の変に関与した大将であり、彼の覚書によれば、なぜか明智方には抵抗しない相手ばかりで、信長の寝所へと進んだとされています。
  • ホンジョウ・カクエモンの覚書によると、本能寺の変の際、明智方には抵抗する者がおらず、信長の寝所に進んでいったとのことです。
  • ホンジョウ・カクエモンは明智方の一員であり、本能寺の変の際には抵抗する者がおらず、信長の寝所まで進んでいったとされています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
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回答No.2

「本城惣右衛門」と「本城惣右衛門覚書」のことではないかと考えられます。 ただし、本城惣右衛門は「明智方の大将の一人」ではなく下級の武士で、本能寺の変の直後に書かれたのではなく、高齢の最晩年に若いころの体験を書き残したもののようなので、「リアルな記録」と考えるかどうかは微妙ですが。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E6%83%A3%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E6%83%A3%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E8%A6%9A%E6%9B%B8

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ホンジョウ・カクエモンとは「本城惣右衛門」のことで、実在の人物なのですね。 覚書は、本能寺の変60年後に書かれたものらしいですが、日ごろからちょっとした備忘録をつける習慣のある人なら、晩年になっても備忘録片手に記憶をたどることはできるでしょう。 本城惣右衛門がそんな人であったとは言い切れませんが…。 実在の人物ということが分かってすっきりしました。

その他の回答 (1)

  • eroero4649
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回答No.1

URLのものを読みましたが、これは講演の内容を筆記したもののようですね。そのホンジョウ・カクエモンがわざわざカタカナで表記されている点から考えても、元ネタになる人物が見つからなかったということだと思います。 本能寺の変の、特に信長の最後については太田牛一の「信長公記」に詳しく書いてあります。作者の太田牛一は信長の右筆(秘書)だった人です。 そこで有名なのが、本能寺に押し寄せた軍勢が明智勢だと知ったときに信長が「是非もない(しょうがない)」と語ったというくだりです。 太田牛一は本能寺の変のときには居合わせてはいなかったので、なぜそのことを知っているのかという話ですが、なんでも信長公記を書くにあたって各地に取材して、その中で本能寺の変の生き残りだった女中を見つけることができたそうです。そのときに女中をインタビューして「そういった」という話を聞いたそうなのですね。本能寺の変からずいぶん経ってからのことだったというので、記憶違いとか創作したという可能性も捨てきれはしませんが、信憑性は高いと思います。 ですからその信長公記の内容とホンジョウ・カクエモンの話はかなり違うので、「後世の創作話を読んで実話と勘違いした」のか「坂口安吾自身が創作した」かのどちらかではないかなと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、うまく逃げ延びた女中から聞き取ったという話は、私も何かの本で読んだことがあります。

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