織田信長の首はね
織田信長は利己的な反面、楽市開設や関所撤廃など誰も当時では誰も考えもしなかったことを次々開拓していくパイオニアでもありました。戦さに於いても機転が効き英断力もあり、鉄砲の導入、兵農分離など、時代の背景情勢を見抜く観察眼に優れた人物だったように思えます。
自らを第六天魔王と呼びその象徴とも言うべき豪華絢爛な城を建てたうえカリスマ性、畏怖にも似た凄まじいパワーで家臣を引っ張っていったように感じます。
そこで質問ですが気性の荒いことで知られる信長は実際、その場(畳敷きの間)で我慢ならず家臣や小姓の首をはねていたのでしょうか?そしてそういった行動が事実としてあったならばそれはただ単に彼の安直的な感情の爆発からくるだけの衝動だったのでしょうか?(後々の人事、政策などのことをちゃんと計算して首をはねていたのか?または他の家臣に精神的に与えるそうゆうパフォーマンス行為だったのでしょうか?)
またそういったことをした、と解明できる実証力のある文書って残っているものでしょうか?
ドラマや映画ではよく怒ると謁見の間で刀を抜き、部下の首筋に当ててたりするシーン多いですが人を首から斬ろうものなら辺りは血の海ですよね。その後始末も本人がしないとしても相当大変な気がします。外まで連れていってはねていたのかしら?
色んな回答お待ちしております。
お礼
ありがとうございます