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関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いについてお尋ね致します。最初に東軍の福島正則の部隊が西軍・宇喜多秀家の部隊に突撃して行ったそうですが、福島正則の部隊は、宇喜多秀家の部隊だと知って突撃して行ったのが、または、突撃して行ったところが、たまたま宇喜多秀家の部隊だったのか、どちらでしょうか?
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戦闘機や戦車には、敵味方識別のために国旗が描かれています。ヨーロッパの国々なんてのは似たような三色旗が多くて分かりづらいですけれど、ある程度慣れている人ならドイツとフランスとイタリアの見分けぐらいはつきます。北欧も同じデザインだけど、スウェーデンとフィンランドとノルウェーの違いが分かる人は多いでしょう。 戦国時代の国旗にあたるのが、家紋です。大河ドラマや映画で家紋を入れた旗をみんな背負っていますよね。 あれを見ればその軍団がどこの家のものなのかは一目瞭然です。
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- jkpawapuro
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回答No.1
その明治の参謀部の研究に基づいた関が原の戦いの旧説は近年間違いだと思われてますけどね。 その旧説に基づけば、福島は当然相手が誰かを把握し手いたはずですよ。 双方陣立てをして霧が晴れるとともに先陣を承った福島は戦端を開く、おたがい物見を放ち相手を認識し予定通り戦いをはじめた形でしょう。 攻撃を仕掛ける場所も小早川の北上と挟撃をしかける場所になっていますし。
質問者
お礼
確かに、そのような配陣でしたね。なるほど。よくわかりました。ありがとうございました。
お礼
そう言えば、そのようなシーンを見たことがありますね。やはり、戦略を立てて突撃して行ったんでしょうね。ありがとうございました。