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真珠湾攻撃時の訓示
真珠湾攻撃直前、飛び立つ搭乗員にどのような訓示をしたのか、教えてください。 直前には訓示しないのであれば、前日でもいいですが、何か訓示したのですか。 よろしくお願いします。
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真珠湾攻撃時の旗艦赤城には、日本海海戦以来の36年ぶりに「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」を意味するZ旗を掲揚したそうです。 (正確にはDG旗(D→Gの順で並べて掲揚)をZ旗の代わりとして(DG旗はZ旗と同意味で用いられる)を掲揚した。) 当時の海軍軍人ならその旗の意味は説明する必要は無いでしょう。 なお昭和16年12月7日(真珠湾攻撃の前日)午前10時半(日本時間)、連合艦隊司令長官山本五十六より「皇国の興廃繋りて此の征戦に在り、粉骨砕身各員その任を完うせよ」と言う訓示を発しています。 因みに山本長官の真珠湾攻撃前の訓示を並べると 11/13 岩国航空基地で連合艦隊の最後の打ち合わせ時 「全軍将兵は本職と生死をともにせよ」 11/17 佐伯湾にあった赤城を訪れ、機動部隊将兵を激励時 「この作戦の成否は、その後のわがすべての作戦の運命を決する」 11/22 出航直前に空母赤城に搭乗員達を集合させ、南雲がアメリカ太平洋艦隊を攻撃を告げ、赤城艦長が山本長官の下記の訓示を代読 「諸子十年養うは、一日これ用いんが為なり」
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- ketsuro8da
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当時父が空母赤城に下士官として乗り組んでいましたが、択捉島に空母などの機動部隊が集められて出撃したわけですが、出港後どこへ何の目的で行くのかは全く知らされていなかったと聞いています。 おそらく真珠湾攻撃の直前まで訓示とかは無かったのでしょうね。赤城はミッドウェイで米軍の攻撃で大破したのに沈没はせず味方駆逐艦の魚雷で沈められたのですが、余程嫌な思い出であったようで戦後ほとんど何も語りませんでした。
お礼
貴重な体験談を教えてくださって真にありがとうございます。 「出港後どこへ何の目的で行くのかは全く知らされていなかったと聞いています」 とのこと、この話は重要だと思います。 南方戦線へ駆り出された兵士も、むせかえるような船倉に押し込まれて、行く先も知らさ れず、着いた所で、いきなり「さあ戦え」と言われた、という話を聞いたことがあります。 これでは、やったるぞ!という意欲も湧かないと思っていました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 真珠湾攻撃の前日の12月7日に訓示したのですね。 放送したのかもしれません。 日本海海戦の東郷元帥の訓示とそっくりです。 DG旗が掲揚されているから全員が奮い立ったことでしょう。