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『こころ』主人公の存在意義は?
高校の読書感想文の宿題の為に夏目漱石の『こころ』を読んだのですが、どうにもわからないことがあります。 それは、何故主人公が「先生」ではなく「私」なのか、ということです。 最終章は「先生」の遺書で話が進みますよね。 なんだか最終章だけでもよくできた話に思えるし、この作品のテーマである「エゴイズム」もこの章だけでしっかり描かれている気もしますし。 その前の「先生と私」「両親と私」は何故この作品に必要なの?!と思ってしまったのです。 でも無いと無いで寂しいような…。 ・主人公が「先生」ではなく「私」であるのは何故?(「私」の存在意義は?) ・「先生と私」「両親と私」は「先生と遺書」にどんな影響を与えている? 以上の2点、どうかわかりやすく解説をお願いします。
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noname#9152
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お礼
回答ありがとうございます。 青年と奥さんの文、以前別の質問で回答されていたものですよね。質問を調べているときに読ませていただきました。興味の沸くお話です。 そして、とても面白い考え方をなさる先生ですね。 私が去年教えてもらっていた先生も「国語は先生によって読み解き方が違うから、いろいろな先生から教えてもらうと面白い」と話していたことがあります。 青年と奥さん、2人があの後どんな会話をしたのか、考えるとキリがなさそうですね。 その先生に一度教えていただきたいと思いました。 青年にとっても先生は特別で、先生にとっても青年が特別だったのはわかります。 そして、先生は「私」に遺書を残した。 逆に考えれば、先生は「私」だから遺書を残してまで事実を明かすことを決心した、ということでしょうか。 それはつまり、「私」は先生にとってなんだったんでしょうか。変わるきっかけ?それとも別の…? あ、なんとなく考え方がつかめてきました。整理すれば、文章にもできそうな気がします。 ありがとうございました。