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江戸時代の客船のトイレ事情。
金毘羅船は、大坂から室津、下津井などに寄港して、丸亀には、普通3~5日、早ければ2日ほどで着いたそうです。 この船のように、船中泊を要する客船にはトイレがあったのですか。 北前船にはトイレがあったそうです。 よろしくお願いします。
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>金毘羅船は、大坂から室津、下津井などに寄港して、丸亀には、普通3~5日、早ければ2日ほどで着いたそうです。 風・波の関係もありますがね。 最悪の状況では、「風待ち」「潮待ち」でもっと時間がかかっています。 この質問の場合は、船頭の腕・海上知識が良かったのでしようね。 >この船のように、船中泊を要する客船にはトイレがあったのですか。 質問者さまの言う「トイレ」の意味ですが・・・。 現在の船舶・電車の様なトイレを想像されると困りますが・・・。 通常の金毘羅参りの船には「甲板隅に個室」が付いていました。 個室と言っても、板で囲っただけの粗末な空間。 個室の室内は、2枚の板を渡しています。 この板に跨って(海面に向かって)、便をします。 便は、海の彼方に消え去ります。^^; 落語で有名な「勘定板」の海上版と考えて下さい。 大きな水洗便所!(笑) 余談ですが・・・。 参勤交代に用いるござ船には、立派なトイレが付いています。 当然屋根付き個室で、畳敷き。漆塗の便座。便は、漆塗の紙を敷いた桶(箱)に落ちます。 殿さんが用足しを終えると、専任役人が桶を取り換えます。 殿さんの便も、海の彼方に消え去ります。
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- tzd78886
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回答No.1
当時のトイレというのは、船の一部に足場を置いただけのものでしょう。つまり海中に垂れ流しです。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうだと思います。 丸見えではない程度ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 甲板の隅に板で囲って、丸見えではなかったということですね。 昭和30年代初め頃、南アルプスのある山小屋では(渓流)水洗でした。 使用中であることを小屋から見て分かるように、扉は下半分だけでしゃがんでも頭が出ました。 船もこんな感じですか。