弥生時代が500年繰り下げられ事に対する歴史的背景は如何になりますか
2003年,国立歴史民族博物館の研究者は弥生式土器や水田の木杭をC14年代測定法で調べたところ弥生時代の始まりを紀元前400~500年より500年古いとの結論を出しました。
その後の発表では稲作の経路は山東半島から朝鮮半島南部を経由して北九州に伝来したとあります。
日本の稲を遺伝子学に調べてみると,中国・江南種に同定されるところから,稲作の伝来経路ははビルマを起源とした中国・江南説が有力視されていました。その頃の中国は春秋時代であり,江南にあった「呉」が隣の「越」に滅ぼされまた越も「楚」に滅ぼされています。呉や越の難民が稲作や高床式建物や入れ墨の風習等を携えて日本にやってきたと史実的に辻褄が合いました。
記前年1000年と言います商周革命の時代です。商は江南まで勢力を持っていたようですが,商は華北地方ですので,当時としては稲作には不向きと考えられますし,商から見れば僻地であった江南の人が難民になったとも考え辛いです。
弥生時代の始まりに歴史的背景はなかったのでしょうか。
また前述した日本古代の稲を遺伝子学的に解析した結果,2系統があり,そのうち1系統は朝鮮半島には存在しない事でいささか矛盾があります。
ご意見をお待ちしています。
お礼
左伝にあるものが史記にないわけもないか。 ご回答ありがとうございました。