• ベストアンサー

弥生時代が500年繰り下げられ事に対する歴史的背景は如何になりますか

2003年,国立歴史民族博物館の研究者は弥生式土器や水田の木杭をC14年代測定法で調べたところ弥生時代の始まりを紀元前400~500年より500年古いとの結論を出しました。 その後の発表では稲作の経路は山東半島から朝鮮半島南部を経由して北九州に伝来したとあります。 日本の稲を遺伝子学に調べてみると,中国・江南種に同定されるところから,稲作の伝来経路ははビルマを起源とした中国・江南説が有力視されていました。その頃の中国は春秋時代であり,江南にあった「呉」が隣の「越」に滅ぼされまた越も「楚」に滅ぼされています。呉や越の難民が稲作や高床式建物や入れ墨の風習等を携えて日本にやってきたと史実的に辻褄が合いました。 記前年1000年と言います商周革命の時代です。商は江南まで勢力を持っていたようですが,商は華北地方ですので,当時としては稲作には不向きと考えられますし,商から見れば僻地であった江南の人が難民になったとも考え辛いです。 弥生時代の始まりに歴史的背景はなかったのでしょうか。 また前述した日本古代の稲を遺伝子学的に解析した結果,2系統があり,そのうち1系統は朝鮮半島には存在しない事でいささか矛盾があります。 ご意見をお待ちしています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.2

歴史、特に考古学において科学的技法はとても有意義な手段の一つではあります。しかし、科学的技法にも限界がありますし完璧ではありません。 例として、くだんの弥生時代開始年代が500年遡る問題について説明します。 まず、この研究に使用された「AMS法(加速器質量分析法)による炭素一四年代測定法」の分析の特徴についてです。 自然界には、炭素一二・炭素一三・炭素一四と三種類の炭素同位体が混じり合って存在しています。そのうち、炭素一四は不安定な放射性同位体であり、そのため、大気と現在成育している生物との間では炭素のやりとりが行われてます。また、時や場所を問わず一定の濃度を示しています。 しかし、生物が死ぬとやりとりが行われなくなり、一定期間をかけて減少していきます(約五七三〇年で半減)。この性質を利用して、生物起源の遺物やその炭化物の中に残っている炭素濃度から、その生物が死んで何年経過したかを算出するのが、炭素一四年代測定法という科学技法です。AMS法というのは、その一つで現在主流になりつつある方法で、物質に含まれる炭素一四の濃度を直接測る方法です。 しかし、炭素一四年代測定の前提条件とされていた「炭素一四の濃度は経年変化は無い」との仮説が覆され、地球磁場や太陽の黒点活動などの影響から、時期によって炭素一四の濃度は変動していたことが解明されました。そのため、測定によって得られたデータの数値は補正が必要となります。この補正には、近年研究が進み国際的にデータが蓄積されてきた樹木の年輪を用いた『年輪年代法』が用いられています。 これは、樹木の年輪を数えて歴史年代を決定する方法です。 国立歴史民族博物館の研究チームは、九州で出土した土器や杭の炭素年代を測定しました。 しかし、土器自体には炭素が存在していませんし、杭については樹齢何年の樹をいつ切り倒したかが分かりません。 土器をC14で測定する場合は、土器に付着したススを計測することになります。 その土器を使って煮炊きをしたときの煮焦げや吹きこぼれ、つまり、調理された木の実や動物なわけです。 すなわち、調理された動植物の死んだ年代を測定することになります。そこから、土器が「使用」されていた年代が割り出せることになります。 しかし、土器につくススはこれだけではありません。実は煮炊きするときの薪のススも付くことになります。 薪については、杭と同じように、いつ切り倒した樹木であるのかが分かりません。(C14で出るのは、薪として使われた年代ではなく、樹木が死んだ年代) それらを考慮すると、そのまま歴博の研究結果を鵜呑みにすることは出来ないと言うことです。 科学的技法は、まだまだ発展途上であり色々と問題があります。 一つの客観的な判断材料になり得ますが、それも他の史料と同様、判断時に主観が入る余地が十分にあります。 歴史的事実を決定するには、科学的技法と歴史学的技法、そして考古学的技法を複合的に使って分析して行かなければなりません。 そこで矛盾が出る場合は、まだまだ研究の余地があるということです。 弥生時代の場合、日本にはまだ文字による歴史叙述が無いので、考古学的技法に依るところが大きいと言えます。 しかし、相対的に中国(日本よりもはるかに早い時期から、文字が使用されている)や周辺国の歴史も判断材料にして歴史的事実を突き止めようと研究が行われています。 特に、中国での考古学の発展が進めば日本史にも役に立つ新たな史料が出てくるとも考えられます。 くだんの歴博の研究も、今後は歴史的事実との辻褄合わせが行われると思われますし、それが出来なければ研究自体が否定されても文句は言えません。 事実、「年代幅を土器の型式が存続する年代幅と誤解しているのではないか。統計学の基本である確率論の原則から逸脱している。」と批判してる人も居ますしね。

hideMUU
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご回答者は専門家、あるいはそれに近い方と推察されます。 私は考古学会が捏造問題で揺れた時期に歴史民族博物博物館の研究者が科学的手法で証明という事実を発表した事に敬意を示した訳です 歴史の転換には必ず原因があるはずです。紀元1000年前に日本を弥生時代に導いた起源が何かという素朴な質問です。

その他の回答 (1)

  • yumihiko
  • ベストアンサー率50% (76/152)
回答No.1

B.C.1000年頃の江南地方:  御説のとおり、B.C.400年ころだと呉越抗争の頃と辻褄が合うわけですが、それより以前については「わかっていない」としか言いようがないように思われます。  楚の歴史や神話などに詳しい方の補足をお待ちしたいところですが、華北の動乱に連動して何か江南でも動きがあったということでしょう。 稲作の経路:  従来も朝鮮半島伝来説・琉球列島経由説・東シナ海直接横断説、などが立てられていたことですし、敢えて1つのルートに絞ることもないのではないでしょうか、と思うのですが……如何なものでしょうか。

hideMUU
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は人類の起源,日本人の起源,各論では邪馬台国や大和国家の前身,に非常に興味があり随分と著書を読みましたが,諸説があって何を信じるかは個人の感性によるかしかないと感じていました。 この件の立証や人類学のミトコンドリア・イブ説のように科学的解析と歴史上の史実が噛み合わない事に何か違和感を感じています。 専門家の皆様には科学的事象と歴史との整合性を説明される事を切望いたします。

関連するQ&A