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数学教育におけるコンピュータの利用について
こんばんわ。 題名の通りなんですが、皆さんはどう思われますか? (なんかすごい題名だ・・・) 高校ではコンピュータのプログラムや言語についてすこしですが 学習します。中学校でも数学の時間、JAVAなどで 空間図形や2次関数のグラフでコンピュータを使ったりします。 でも、私的に言えば、「あまり意味のないもの」のように 思えてなりません。 鉛筆と紙があれば数学の問題は解けます。 それを何故、あえて学習指導要領に位置づけているのか わけわかりません。 コンピュータのしくみや用語、プログラミングを数学として 履修するのはどうしてなんでしょう。 中学校で道具としてコンピュータを使うことは わかるとしても、高校でのコンピュータの位置づけには 納得いきません。 私だけがそう考えているのでしょうか。
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先生の教え方に問題があるのかもしれませんね。 コンピュータ数学と呼ばれる分野があるくらい、 コンピュータなしには答えが出ない分野がある んです。 >鉛筆と紙があれば数学の問題は解けます。 1950年代くらいまでは一部の数学の専門家 以外はみなそう考えていたんです。 勿論そう簡単な事でないことは、19世紀の 数学者たちが指摘していたのですが、当時は アイザック・ニュートン流の、式を立てて、 初期値を入れて惑星の軌道を計算するといった 方法が主流だったこともあり、物事は理解 できれば式がつくれる。式に数値を入れれば 正しい答えが出てくる。式も代入する数値も 正しいのに、間違った答えが出ることなど ありえないと思われていたんです。 これに対して、数学者アンリ・ポアンカレは 惑星の軌道計算で、現在3体問題と言われる 問題の論文を発表し、ある程度評価されたものの その重要性は理解されませんでした。 1960年にエドワード・ローレンツと いう学者が、コンピュータを使って 気象予測をするための基礎研究をしていて、 現在カオス力と呼ばれている現象が起こる ことをコンピュータの計算結果から見つけたんです。 明日の天気は、はれか曇りかといった 気象現象は、大気の循環を、空気の流れを 数学的に表す流体力学と、熱の流れを数学的に 表す熱力学の考え方で式を作り、そこに 観測所で得られた、気圧、風速、温度といった 気象データを入れれば予測できると考えられて いました。 正確に予測できないのは、現象が正しく理解 されていないので、正しい式が立てられていないか、 観測所ほの観測データの精度が悪いからだと思われて いたのですが、そうではなかったんです。 現在、気象現象は数学的に予測不可能という 証明がされていますが、実際にはコンピュータ を使い、いろいろな予測がされています。 ここでは説明しきれませんが、コンピュータは 計算の手間を省いたり、人間より計算を早くやって くれる道具としての使い道他に、人間の理論的 考えで回答不可能な数学的問題を解いてくれる 能力があるんです。 またコンピュータは人間とは違う、2進数で 計算を行うので、10進数から2進数に変換して、 計算結果を人間にわかりやすいようにまた10進数に 変換するので、この際、数値に変換誤差が生じ ます。 正しい計算結果が出ない場合、こうったコンピュータ 独特の計算方法による場合もあるので、コンピュータを 使った数学的計算には、コンピュータそのものの深い 理解が必要不可欠になってきます。
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- tenro
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プログラミングを数学の授業の中で行うことがよいかどうかは別問題として、プログラミングの学習の1つの目的として「プログラミングを通して問題の解決能力や論理的能力を養う」ということも挙げられると思います。紙と鉛筆を使って解ける問題の解法を、プログラムで具現化することは意味のないことではなく、より深くその問題を理解するために役に立ちます。また、他の方が述べられているように、四色問題のようにコンピュータでしか解けない数学的な問題もありますので、今役に立たなくとも、将来数学それ自身を学んだりもしくは研究したりする上で役に立つ可能性もあります。あまり、紙と鉛筆を使うことを美化する必要は無いように思えます。もっと柔軟に何でも学習しておくことが、将来の可能性を広げるのに大切であると思います。
お礼
回答、ありがとうございます。私も「柔軟に」何でも学習しておく必要があるようです。
本当の学ってのは、わかってることを解くんじゃなくって、まだ解ってないことを解くことなんです。 解りきった高校やら大学やら大学院レベルの数学を計算機にやらせて理論に集中させても、何も残念なことなどありません。しかし、使えない旧世代の人は学問とは呼べないような単純作業的思考に時間をとられて先に進むことができません。 計算機の構造からして、紙が半導体に、鉛筆が電子に変わったに過ぎないというのに。
お礼
回答、ありがとうございます。
- ranx
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私の高校時代にはコンピュータはありませんでしたので、 現在の学習指導要領がどのようになっているかも知らない私には ピンとこない部分もありますが、 「鉛筆と紙があれば数学の問題は解ける」というのは、その通りだと思います。 円周率を1億桁まで計算するのはコンピュータでなければできませんが、 それは数学ではありません。どうやったら円周率の値を求められるかを 紙と鉛筆で考えることこそが数学のはずです。 学習指導要領においてコンピュータが数学の中に位置づけられているとすれば、 結局のところ、現代の数学教育に求められているものがそういうものなのだと 考えるしかないでしょう。教育には人間形成のための教養を身につけさせる部分と 役に立つ技術を身につけさせる部分とがあると思いますが、後者の比重が大きく なってきているということなのだと思います。残念なことだとは思います。
お礼
回答、ありがとうございます。同感です。
計算が高等になればなるほどコンピュータは力を発揮します。鉛筆と紙があれば問題が解けるのは、それで事足りる問題しか出してないからです。 高度な理論計算をしなくてはならないレベルで、コンピュータが必要ないことはあまりありません。 今でこそいろいろ娯楽用途にも使いますけれど、鉛筆ではやりきれない大量計算こそがコンピュータ(計算機)の真価です。 まあ、紙と鉛筆で解ける程度の問題しかやらないならまだまだ役には立ちそうにありませんし、意味ないものです。とはいうものの、高校数学やるまえに中学の数学やるのと同じなんでしょうね。
お礼
回答、ありがとうございました。
お礼
具体的な回答、ありがとうございます。何だか、レポートのようですね(笑)