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無念無想
眠らずに何も考えない、何も思わない ということは可能であろうか?
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自分でも本当に無念無想かどうかはわかりませんが、私は3000メートル級の山を登りますが、時々、その状態になりますよ 確かに酸素が薄くなったり、疲労が蓄積されてるのでよくわかりませんが、俗に言う"ゾーン"の様な状態になります
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- hiro-hiro-hiro
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こんばんは!(^ ^) たとえば道を歩いてるとき,調べてみてください.向こうから来る人を見て,あー思ったり,こー思ったりして,反応したり,対処したり,感情を感じたりしてると思います.それは今まで技術を習得し,磨きをかけ,試行錯誤しながら努力し,成功した結果の状態です.人間として自然な状態です.変える必要はないです. ●方法 死を受け入れれば,なりやすいのでないか?と思います.具体的に言えば,(今,この瞬間死んでいい!...いやもう死んでる,かつて死んだ.)などと思えばなりやすいような気がします. でも人間やりたいことがあります.たとえば他人との約束があるし,世話する動植物はいるし,他人に生きてて欲しいと言われるし,単純に死ぬのは嫌だし,もし死なないで明日も生きてたとしたら,備えなければならないし,,,いろんな理由でなかなか(今,死んでいい)とは思えないような気がします.死ぬための強い動機がなく,上記の人間として自然な状態を維持したまま,漠然と死を受け入れようとしても,難しいような気がします.そこで生きることをあきらめると決め,死ぬための準備を実際に積極的に行為することで,死を受け入れやすくなると思います. オレが勧めるのは,シンプルに(次眠ると死ぬ!)と考えることです.次眠りにつくまでなので,時間がないので,多くはやれないです.優先順位をつけ,最重要な事柄から順番に片付けていくと思います.最初のうちは慣れないので,一晩に 1 個できるかできないくらいかもしれません.やってるうちに技術が上がり,スピードが上がり,一晩にいくつものことを片付けれるようになってくると思います. 時間がないので,様子を見てとか,結果が出るまで数か月時間がかるからとかで,できないとかあとにまわそうなどと悠長なことは言ってられないです.達成が困難な目標なら,時短のため短時間で達成できる劣化版の目標に変えて,達成したら演繹して困難なほうの目標を達成したと同じと思ってやめるのが効率的と思います.重要な事柄は個人的なことなので,質問者さんは(オレさえ満足すればよい.)と思うでしょう.質問者さんが死を受け入れることが目的で,社会的なことでないので,やった結果について,他人に証明する必要はありません.数学の証明にたとえると,数学的帰納法で 1 とか 2 を代入して証明したい式が成り立って,その時点で質問者さんが式が成り立つと納得すれば,普遍的な証明までしなくても OK です. 途中までやって個人的に結果,やり終えたときの達成感,その後の流れなどについて想像がついて,やったと同じと質問者さんがと思えば,動機がなくなると思います.極端に言えば,やりたいことを思いついた時点で,やったらだいたいどういうことになるか想像がついて(やった!)と思えれば,やりたいことは消えると思います. このようにして,集中して,短期間でやらねばならないと思ってること,死ぬまでにぜひやりたいことを片っ端から片付けていくと,死ぬことへ近づけると思います.するとなりやすいでしょう!(^ ^) 興味があれば,効果があると思うのでぜひやってみてください!(^o^)
お礼
ありがとうございました。 ちょいと難解ですが、こういう考えもあるんですね。
- fujic-1990
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おそらく無理ですが、仏教はそれを目指しています。 興味はないかもしれないんで詳しい説明は避けますが、仏教では、世界を下から「欲界」「色界」「無色界」の3つに分けます。 余談ですが、我々タダの人間の世界(地上)は、「欲界」の中程、 瞻部洲にあることになっています。 無色界は、さらに下から4つに分かれるのですが、その最高天、つまり3つの天界の本当の最高天として「非想非非想処」という天界を想定して禅で目指すのですが、この「非想非非想処」こそ、「何も考えていないようで、何かを考えているような、曖昧模糊とした瞑想の世界」です。 残念ながら、そこまで到達したと証明された人はいません。もしかしたら、お釈迦様が唯一かもしれません。
お礼
ありがとうございました。 根源界で安心立命すれば、思考はは必要なくなりますね。 一切を受け入れ、奉仕精進祈り捧げる。
- nijjin
- ベストアンサー率27% (4811/17777)
無理です。 眠らないという事には限界があり ある程度の日数を眠らずにいると幻覚や幻聴が起こります。 そして、何も思わないとは暖かいとか寒いとか今何時だろうとかそういったことさえも思わない事です。 そして、それは思考だけでなく音などに対しても働きます。 叩かれようが突かれようが、金切り音を聞こうが目の前に車が迫ってくる音が聞こえても何も思わないという事です。 それは無心を超えており人間には短時間しかできません。
お礼
ありがとうございました。 その通りですね。 仏教などの言う心頭滅却とか、火なお涼しい。 なんて中々できないですね。
- alterd
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何かにびっくりして、一瞬、我を忘れることはあっても ずっとは無理でしょうね。 というか、考えたり思ったりすることは生きることそのものであるように感じます。 ついでに言えば、「感じる」ことも。 所謂、「無念無想」とは、くだらない雑念を払い、己にとって最重要なことに打ち込んでいる状態ではないかと考えます。 それには、自己の内面に集中する瞑想も含まれる気がします。
お礼
ありがとうございました。 その通りですね。
お礼
私もRājāヨガの勤行の後、呼吸を吐き切って無呼吸になると無思考無感覚でなお、意識がありますね。 とても気持ちがいい。