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物事の始まりというのは必ず面白いのはなぜでしょうか
その対象そのものにはあまり興味はなくてもその始まりに関するいきさつは必ず面白いことに気が付きました。これはいわゆるルーツ探しの興味と同じものでしょうが、ちょっと不思議に思います。皆さんはどのようにお感じになりますか。
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質問者が選んだベストアンサー
物事を始める時には、変革の規模が大きいほど、情報操作を見破らなければならない事が多いので、面白いのだと思います。たとえば、情報革命がそうでした。 私が子供の頃は官僚が作り上げた家庭用コンピュータが不可能な事を証明する定説が10以上もあって、それを信じ込んでいた人が多かった時代でしたが、全てが嘘でした。嘘が暴かれて行く過程を描くと、相当に面白い話になるのですが、どのマスコミも放送しようとしないでしょう。マスコミも嘘を宣伝して揉み消していた前科があるからです。 ルーツ探しも同じで、マスコミの情報操作で騙されている事が多く、それを暴いていかないと真実に辿り着けないので、その過程が面白いのです。推理小説などと同じ醍醐味がありますね。 米国がパソコンを発明しなかったら、日本が独自にパソコンを発明出来なかったのは、官僚の作文に騙されていた事実からも明らかですが、ロボットなども同じで、官僚の作文を信じている限り、技術革命は成功出来ないでしょうね。
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- copemaru
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面白いから始めるのです。 面白くなければ、始めません。 習い事は、始めはサーキットキャンペーンで、面白いことから始める様になっています。
お礼
わたしは、野球はあまり好きではありませんでした。しかし野球がどのようなきっかけで始まったかを聞くと俄然面白くなるのです。そして改めて野球のそれほどつまらないものではないななどと考えます。嫌いなものを好きになるうまい方法かななどと妄想いたしております。
それが面白いと感じるのは貴方が興味を持っているからに過ぎない 他の人も皆そうだと言うのは乱暴すぎる話
お礼
おっしゃる通りですね。ただ興味がないものでも、その起源を考えるとそれなりの興味がわくことはどうも本当のように思えるのです。もちろんすべてのかたがそうだというのはおかしいですね。
- seble
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必ず、という前提は必ずしも正しくないと思います。 あなたの知っている範囲、もしくは認識した範囲のみそう思うだけでしょう。 あまりにつまらない、普通すぎるので、そもそも始まりとか認知していない可能性も大いにあると思います。
お礼
算数や数学などでもありそうに思います。初めから存在しているように思うとあまり好きになれないというような感じですね。掛け算の計算方法などどのような形で今のようになったのか普段はかんがえませんね。
お礼
寺田寅彦も彼の随筆の中でやたらに先輩の言うことを信じてはいけないというようなことを書いていますが、にもかくにもその起源を調べてみると自分なりに何かがわかってくることは確かなようですね。