• ベストアンサー

強い表現になる理由は?

(1)There is no way I can be there on time. 時間通りに行くなんて不可能だよ。 (2)There is no way I could go tonight. 今夜は絶対に行けないよ。 (2)の文のように仮定のcouldやwouldを用いた文は「どんな状況にあっても絶対に無理」という意味になるそうですが、どうして仮定にすると「絶対無理」という、強い表現になるのでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.3

以下のとおりお答えします。(面白いご質問ですね。) >(1)There is no way I can be there on time. 時間通りに行くなんて不可能だよ。 >(2)There is no way I could go tonight. 今夜は絶対に行けないよ。 >(2)の文のように仮定のcouldやwouldを用いた文は「どんな状況にあっても絶対に無理」という意味になるそうですが、どうして仮定にすると「絶対無理」という、強い表現になるのでしょうか? ⇒「絶対無理」の根拠 (1)のような直説法を使った言い方は、ご存知のとおり、多少なりとも実現の可能性を含む表現法ですね。これに対して仮定法というのは、「事実に反する、または事実とは反対のことを仮定して」述べる述べ方です。ということは、表現の裏に《事実や実現性の否定》が含まれることになるわけで、それが「絶対無理」という、強い表現の根拠でしょう。 ☆法(Mood)とは これもご存知のとおり、直説法とか仮定法とかの、「何々法」というのは、「話者が発話する際の心的態度(=述べ方・述べる際の姿勢)」を表します。つまり、「事実として述べる」つもりで使うのが直説法で、「事実でないこと、事実と反対のことを述べる」のが仮定法です。couldやwouldが使われている文を読むときは、この2つの法のどちらであるかを見分けることが性格な解釈のために重要な要件になります。 ☆仮定法のもと(前身) ところで、歴史をさかのぼって仮定法の前身(古英語)を見ると、それは「接続法」というものでした。接続法とは、「事実かどうか分からない、もしくは疑わしいような場合に、発話者が自己の主観に基づいて単に《考えられたこと》として述べる」述べ方(叙法)です。それで、簡単な理解のために便宜上これを「叙想法」(=事実でなく《想い》を述べる)と言うこともあります。そうすると、さしずめ直説法は「叙実法」(=事実そのものを述べる)とも言えることになります。 ということは、接続法は「事実かどうかは分からないけど、私が考えたことです」という態度で、仮定法は「事実じゃないけど、仮にそうだとすれば(どうなるか)」という態度で述べるわけです。確かに、この2つの法は似ていますね。 ☆法に関する英語の特殊性 多くのヨーロッパの言語にはこの接続法がありますが、英語ではこれが消えて、接続法の一部を担う仮定法に変わったわけです。つまり、現代英語には直説法(事実を述べる)、仮定法(事実でないことを仮定して述べる)、命令法(文字通り命令を述べる)の3つの法があることになります。 かつては、すべての法ごとに異なる語形の活用形が使われていました。それが、現在ではみな同じ活用形になってしまいましたので、仮定法ではせめてもの違いを表す表現形式として(現在・未来のことなのに)過去を使うわけです。なお、If I were a birdなどのwereが、唯一接続法の名残りと言われます。(今ではwereでなくwasを使うことがよくあります)。 ☆日本語の表現と比べる ところで、日本語には「おとといおいで」のような言い方がありますね。このように「すでに終ってしまったこと、取り返しがきかないこと、絶対に無理なこと」を述べるのに、日本語のように過ぎ去ってしまった時を表す語句を使う方法と、英語のように過去形を利用する方法とがあります。この両者の間には一脈通じるものがあるような気がしますね。「すでに決まって、終ってしまったこと」は変更がきかないので、これを「今後の可能性のないこと」の表現として代用する、という発想でしょう。

panachaz
質問者

お礼

表現の裏に《事実や実現性の否定》が含まれることになるわけで、それが「絶対無理」という、強い表現の根拠でしょう。 なるほど!この感覚を理解しておくことはとても重要ですね。とても勉強になりました。 could は文脈によっていろいろな意味になるので苦手なのですが、直説法なのか仮定法なのかを、すんなりと見分けられる感覚が身につけば、英語のレベルがグンと上がる気がします。確かに、意識せずに使っている日本語にも過去形を用いて無理を表すという、同じような使い方がありましたね! 法に関しての詳しい解説までしてくださってどうもありがとうございます。こういった知識が頭にあると、これからの勉強の際の大きな手助けになりそうです。 いつも素晴らしい回答を下さることに感謝しています。 どうもありがとうございます。

その他の回答 (2)

回答No.2

could や would は仮定法です。 「行こうとしても」という条件のニュアンスが出ます。 (行こうたって、)行けやしないよ。 (頑張ったって、)行けるわけない。 can は客観的です。 単に「行けるわけない」「行けやしない」と言っているだけです。 その分、ちょっと弱くなります。

panachaz
質問者

お礼

条件のニュアンスが出るほうが強くなることがよく理解できました。 回答下さってありがとうございます。

回答No.1

形式的に過去形にすると,強い「ありえね~」感がでるのでしょう。  こんな料理,食えるもんじゃない。  こんな料理,食えたもんじゃない。 日本語でも同様なのは,ヒトの脳味噌に共通する機能なのか?

panachaz
質問者

お礼

なるほど、日本語に置き換えてみると分かりやすいですね。 どうもありがとうございます!

関連するQ&A