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氏族とは?
http://mfj.co.jp/hoshinoshinorekishi/ 星野氏のサイトです。これに載ってる全ての人(星野氏(千秋氏?)は熱田大神宮家の神官の子孫なんですか? みなさん、いろんな地方にいて、家紋もばらばらですが 氏族とありますが、あまり聞いたことないですが、親戚とは違うんですか? それと日本に苗字が星野の人はたくさんいますが星野の苗字の人、全員が氏族にあてはまるわけではないですよね?
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No.3です。 補足を頂戴しました。 補足の文章が「~みたい」「~可能性もあります」「~気がします」となっています。 これでは何をお知りになりたいのかが分かりません 足立区関係の星野氏については下記のURLがあります。 参考 南蔵院|足立区神明にある真言宗智山派寺院 - 猫の足あと http://tesshow.jp/adachi/temple_shinmei_nanzo.html 抜粋 「ブックレット足立風土記花畑地区」による南蔵院の縁起 墓地には、久左衛門新田を開発した星野彦六の墓と伝えられる1630(寛永7)年の墓碑があります。 中略 足立区仏教会資料による南蔵院の縁起 慶長15年(1610)名主星野彦六の先祖星の又太郎は、福島正則の家臣で、本郡笹目邨より当地に来り開墾せし所を土合村(現在の神明町、辰沼町)と命名する。菩提寺として南蔵院を開創し、寛永7年(1630)逝去。二代目星野久左衛門の願いにより正保年間(1644)に久左衛門新田及び辰沼新田と改む。江戸より三里にあり、東西12町(1308米)南北20町(2180米)の持分であった。以来16代「彦六」を名乗り代々名主を務め徳川の末期まで続いた。又星野家三代彦六が氏神に天祖神社を奉斎せり。所有せし農地は広大にして、小溜井は元の綾瀬川であり、八代将軍吉宗の綾瀬川改修後は大名松平陸奥守の命により、名主彦六所有となり貯水用水として使用、浮塚側堤防幅6尺の道路までを彦六見廻り道と称されて、淵江領八ヶ村の水源となる(「足立区仏教会資料」より) 上記URLに「星野家三代彦六が氏神に天祖神社を奉斎せり」とあります。 天祖神社というのは伊勢神宮を本宮とする神社です。 三代目彦六氏に熱田神宮の神官の子孫であるという自覚があるとすると不可思議な行動です。 熱田神宮は草薙の剣と天照大御神を祭神とする神社です。 わざわざ伊勢神宮から天照大御神を招請する意味がわかりません。 上記URLにある二代目星野久左衛門と補足にある星野勘左衛門との関係が良く分かりません。 足立区立の郷土博物館を拠点とする足立史談会という郷土史家の会合があるようです。 こちらへ問い合わせてみて下さい。 参考 地域のちから推進部郷土博物館 電話番号:03-3620-9393 ファクス:03-5697-6562 Eメール:hakubutsukan@city.adachi.tokyo.jp
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- ichikawa2017
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>これに載ってる全ての人(星野氏(千秋氏?)は熱田大神宮家の神官の子孫なんですか? ご指摘のサイトの冒頭に 1.熱田大宮司家の星野氏 2.藤原姓の諸流星野氏 3.江戸幕臣の星野氏 4.筑後国の星野氏 5.諸国諸流の星野氏 と五つの星野氏の流れを書いていますが、この五つが一つに収斂するのかしないのかということには触れていませんので何とも言えません。 >みなさん、いろんな地方にいて、家紋もばらばらですが 一般的に源平時代の武士は自分が統治している土地の地名を名乗り(苗字)にしていました。 現在も家族の間で札幌の伯父さんとか鹿児島の叔母さんなどというのと同じです。 足利尊氏の足利も源義家の四男義國が足利に住み着き義国の次男義康が足利を名乗ったのがはじまりです。 尊氏にとっては苗字は足利ですが源氏の一族であることに変わりがありません。 武士にとっての家紋は元々戦場で身に着けていた旗の旗印でした。 混戦状態の戦場で見分けるために身に着けていましたのでそれぞれが違う紋を使っていました。 このようなこともあり武士に限らず家紋は各自勝手にきめることができました。 >氏族とありますが、あまり聞いたことないですが、親戚とは違うんですか? 言葉の定義の問題です。 氏族も親戚も定義があやふやな用語です。 違うと言えば違い同じと言えば同じだと言えます。 参考 親戚の範囲とは?家系図で解説! - 家系図物語 http;//kakeizu.official.jp/article-shinseki-range/ 考え方次第で範囲が広がることが直感的に分かる図があります。 氏族(しぞく)とは - 氏族の読み方・歴史民俗用語 Weblio辞書 http;//www.weblio.jp/content/氏族 抜粋 氏族とは 祖先を同じくするという認識のもとに構成される血縁集団。 しばしば外婚の単位となっている。 一般には,父系もしくは母系の単系血縁集団である。 親戚も祖先を同じくする人がいますので氏族も親戚も同じだということができる場合があります。. >それと日本に苗字が星野の人はたくさんいますが星野の苗字の人、全員が氏族にあてはまるわけではないですよね? 苗字(名字)は勝手に名乗ることがありましたので、あてはまるとは言い切れないと考えた方が無難でしょう。 秀吉は木下、羽柴、豊臣と変えていました。 家康は本来松平ですが途中から徳川を名乗っています。 明治に入ると国民全員が名字を登録するようにさせられましたが、このときに新しく名字を作った人や以前のものを変えて登録した人もいました。 桂小五郎のように8歳以前が「和田」、8歳以後が「桂」で後に毛利敬親から木戸の名字を下賜されて維新後には木戸孝允と名乗っていました。
- D-Gabacho
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藤原南家の流れをくむ熱田大神宮家の神官の子孫の星野氏について書かれているのは、そのサイトの「1.熱田大宮司家の星野氏」のところだけです。歴史上確認できる星野の苗字をもつ人たちの所在や血統について網羅した記事のようで、ほかに藤原北家系、醍醐源氏系、宇多源氏系、紀氏系、系統不明の各地の星野氏など、さまざまな星野氏が紹介されています。おっしゃる通り、全員が星野氏というひとつの氏族だというわけではありません。
- hoho557
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氏族で検索すればいいだけの話
補足
5番目の諸国諸流の星野家で、福島正則の旧家臣の星野又太郎って人は辿ると、熱田大神宮の神官に関係する血族の人みたいです。でも、何で読んだかは忘れましたが、それを書いた人が間違ってる可能性もあります 因みに福島正則の家臣には熱田大神宮家の子孫の星野勘左衛門がいたような気がします