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生きる意味ってなんですか?
生きる意味ってなんでしょうか? 関係あるかないか分かりませんが、最近まで鬱病でした。ようやく働けるようになったんですが仕事がイヤでしょうがありません。 イヤな思いまでして働く意味ってなんでしょうか? それは「食べていく」為に「生きる」為に必要なコトだからイヤな思いを我慢するのは仕方ないんでしょうか? 「自分を殺す」コトが耐えられないなのです。そこまでして働かなきゃ人間は生きていけないんでしょうか? 「働くコト」とは一体なんのコトなのでしょうか? こんな風にしか考えられない私は「おかしい」んでしょうか? こんな自分でも勤まる仕事ってありますか? 凄く感情的な文章で申し訳ありません。
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- K-1
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「生きる理由」と「働く理由」は別です。 働く理由は ・食べるため ・モノを作り出すことが楽しい ・退屈しのぎ 生きる理由は ・死んだあと、何かを残すため ここに自分がいた証を残すためです。 働かないで食べていけて、退屈しないならそれもいいですが、自分には出来ません。 自分的には生きる理由の「何かを残す」のと「モノを作り出す」ことはリンクしています。 何かを残すために働いていて、副産物としてお金が入ってきているイメージですね。
ピントはずれかもしれませんが、、、 edaさんの文章を読んでいると『生きること』と『働くこと』が同一、若しくは非常に近い始点で捉えられている気がします。真面目な方なんですね。 『働く』事が『生きる』上での義務のような。 仕事以外で趣味やオフタイムに生きがいをなかなか見出せないんですよね。差こそあれ、みんな同じことを感じて生きているんではないでしょうか。割り切れている人は少ないと思いますよ。 以前読んだ本(タイトル忘れました)の中で、面白い解釈がありました。 『仕事』=『(人に)仕える事』 『働く』=『傍(他人)を楽にする』 人に使われてやる仕事は面白くありません。日本の社会の中では下積みが多く、『使える(仕える?)』人間を認めたがる傾向にありますが、時代は変わってきているんじゃないでしょうか。 最初は勇気が要りますが、ポジティブに『働』いてみてはいかがでしょうか。 職場で受け入れられなかったら、それは自分が悪いんじゃありません。合わなかったんです。単なるミスマッチ。今度はピッタリはまる職場を探せばいいんじゃないでしょうか。 『石の上にも3年』とはいいますが、普通の人は耐えられません。あまり真剣すぎると息が詰まりますよ。
- Syo-ya
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「生き方」を学習するためだと思います。 心理的に苦痛を感じているということは、やはり生き方が間違っていんでしょう。 選ばなければ、出来る仕事なんて、山ほどあります。 出来る仕事をやっていれば、自分を殺すことも無いんです。 自分を殺しているのは「こだわり」を持って生きているからです。 「俺にはこの仕事しか出来ない」 「なんのための今日までの苦労だ」とか こだわりを持っているから生き辛くなるんです。 で、そのこだわりが、自分を殺しているんです。 「こだわり」なんて後天的なものばかりです。 学歴や、ステータスや、世間体や、プライドや、みんな、こういう資本主義の社会の特定の枠組みの中で生まれたものであって、天然、自然な生き物としての人間の発想では無いんです。 ですから、人間らしい生き方をするならば、こういう後天的に植え付けられてしまった価値観、こだわりを捨てて、「無心」になってしまえば、できる仕事は山のようにありますし、何処にだって青山はあるんです。 こだわりを捨てた生き方。 無心、無我、無邪気な人間。生き方が、理想の生き方ですし、人をそういう方向(正しい生き方)に導くために心理的な苦痛があるんだと思います。 ですから心理的苦痛は警告音です。 「このまま船が進むと、岩にぶつかるぞ~」という警告です。 岩にぶつかったのがうつ病です。 心理的苦痛の無い生き方を選択しなさいという警告です。 無心、無垢、無邪気な人間本来の生き方を選択しなさいという警告だと思います。 哲学も良いと思いますし、禅の勉強をすると良いと思います。 お釈迦様の居た時代の原始仏教の教えは、極めてシンプルですから、学びやすいと思います。禅宗の勉強もお勧めです。
- norikunny
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生きる意味 ・文化の継承 ・子孫繁栄 だと思います。
- konstellation
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edaさん、こんばんは もう何年も人生の意義について悩まれているようですね。 失礼とは思いましたが、数年前の同様の質問も拝見しました。ただし、今回は哲学的に、ということでしょう。 さて、哲学的にみて、普遍妥当性のある「生きる意味」はないと思います。「生きる意味」が考えられるとすれば、人それぞれの経験によってさまざま違う意味となるのではないでしょうか。 しかし、誰にでも共通していることは、簡単なことばかりをクリアーしていくだけでは、生き甲斐(a reason for living)は見つけられない、ということです。難しい課題やゲームでなければ、たとえそれを克服しても、満足感、又は達成感は得られないはずです(独断的?)。 ここで私は「生きる意味」を「生き甲斐」と解しましたが、これを得るには、困難な課題に取り組むべきだと思います。たとえば、勉強はできるけど逆上がりができない人にとっての困難な課題は、逆上がりができるようになることです。それができることに何の意味もありませんが、苦労してできるようになった時には、テストで満点を取ったときと同様、もしくはそれ以上の大きな達成感が得られはず。 その意味では、「自分を殺す」こと、すなわち、今の自分を否定して、より高次の段階へ至る、という弁証法的思考と実践が必要かもしれませんね(非常に浅薄な弁証法理解ですが・・・笑)。上の例で言えば、逆上がりができない自分を否定して、それと矛盾する自分を肯定することで、より高次の段階で、勉強も逆上がりもできる自分になることです。 絶対的に自分は正しい立場にいる、と考えるとき、実は他の立場と比較して、第三の立場に立ってみると、それまで見えなかったものが見えるようになることが多々あります。なぜこれまでこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう~、と特に勉強しているときには頻繁に起こります。でも、この発見が面白いし、また勉強しようという一つの「生き甲斐」になっているのだと思います。難しくなければ、勉強する意味もありませんしね。もちろん、本を開いて読み始めてから一ページも経たずに、殴って・蹴って・破いて・丸めてしまいたくなるような名著もありますが(笑。 edaさんが仕事においてどのような「イヤ」なことがあるのかがわかりませんが、どうしてもその自分を克服できない場合は、他にまったく違う困難な課題を見つけて、それを一つ一つ達成していく、ということも「生き甲斐」を見つける有効な手段かもしれません。たとえば、外国語を学ぶということも考えられます。ドイツ語はお勧めしませんが(笑・・・
- miyapu
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私は適用障害で2ヶ月会社を休んで6月から復帰しています。edaさんはここに質問できるまで回復されたんですね。良かったじゃないですか、自分が満足しようと望んでますよ。自己満足の為に生きてるんじゃないかな~鬱病のひどい時ってそれすらも考えられなかったんじゃないかな? 働くコトについても自分はどう考えてますか? 人はいろんなことを思ってるとおもいます。 地位、名声、お金、生活、達成感などなど、でも自分が満足する何かがあるから働いてると思いますよ。 そして満足しようと思って働いているはずです。 edaさんが満足できないんだったら転職するなりやめるなり考えてみてはどうでしょうか? 木の実を食べて生活していた時代とは違い、自分の意思とは異なる力や意思がまわりにいっぱいあるのが今の環境ですから自分の気持ちを純粋に外に出して生きていくことは困難ですよね。 あとは自分のその時々の精神状態を自覚して受け入れましょう。弱ってる時は弱ってると(笑) そうすることで負の方向へ考えが向くのが抑えられるんじゃないかな~ 私自身は給料もさることながら何かすごい経験ができるんじゃないかな~と期待を持って働いています。 そこに満足を求めているんでしょうね。 こういう問答って答えは無いようなものなのでアドバイスはアドバイスとして受け止め、自分の考えてる事と照らし合わせてみるぐらいがいいと思いますよ。 勝手なことばかり書いてすいませんね~ それではお元気で!
- nande2kotaemasu
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『生きる意味も、自分の中身も、みんなの中にある』のではないのでしょうか。 権利やお金を得ても充たされるわけじゃない。 誰だって、人に期待されて、応えて、評価されて、生きている実感=充足を得たいんじゃないのでしょうか。 仕事をしてお金を得ることは何も否定することではありません。だって今の世の中、何をするにもお金がかかる市場(取引)社会なのだから、その現実を生きていくにはお金は当然必要です。 でも所詮お金は、現実の必要度を測るものさしに過ぎません。だから仕事によって得られるお金は、その仕事(労働力)に対する評価なのです。何か物を買う時、お金を払うのも必要度に見合う対価を出しているし、必要でなければ買わなければいいだけです。 私は、男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在しているし、人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待と応望することであると思います。 だから、子供でも、老人でも、障害者でも、誰でも、一番根源的な所でみんなの力になれる=役に立てる=存在理由があるのです。 なのに、「自分」や「個性」という言葉はまるで、それを求めないと人間としてダメである(生きる価値がない)かのように、人を追い詰めてゆくだけです。 自分の中に答えを探しても何も見つかりません。 現実は人々の意識=自分の意識なのです。だから現実を否定することは、天に唾を吐くようなものであり、まずは現実を100%肯定視することが重要です。
>イヤな思いまでして働く意味ってなんでしょうか? 働かなければ収入がなく、もっと悲惨でツライ思いをしなければならない。だから働くのではないのかな。物乞いの方がマシだと仰る方は別ですが。 >自分を殺すコトが耐えられないなのです。そこまでして働かなきゃ人間は生きていけないんでしょうか? ある程度は必要なことなのかも知れません。でも、そこまで自分を殺さなくてはいけない職場なら違う仕事を探されてはいかがですか? >「働くコト」とは一体なんのコトなのでしょうか? あなたはすでに気づいておられます。 現代社会においての >「食べていく」為に「生きる」為に必要なコト ですよ。 >こんな風にしか考えられない私は「おかしい」んでしょうか? おかしくないと思います。誰でも一度は考えたり悩んだりしたことがあるのではないでしょうか。 >こんな自分でも勤まる仕事ってありますか? あなた次第では無限にあるでしょう。 簡単でスミマセン。頑張って生きてってくださいね!
- tiltilmitil
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「生きる意味」というのに何かすごく高尚なものを求めているように感じますが、わたしはただ単に 「生きていること、そのこと自体が意味のあること」 だと思ってますよ。
- iczer
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「生きる意味」となると難しくなりますが、単純に「物事を感じ、行動することができる」ことだと私は思っています。 生きていなければ喜怒哀楽を感じることもできないですし、生きていなければ、何も行動できません。 「生きる意味」と捉えずに「生きる糧」と考えませんか? 異性を追っかけても良いですし、おいしい物を食べるのも良い。ギャンブルだって立派な糧になります。 「働く」ことだって、状況さえ許せば今は無理に働かなくても良いと思います。「働く」ことはあくまで「手段」であって「目的」ではないですから。 まずは自分にとっての楽しみを見つけることから始めてはいかがでしょう。 義務や責任にしばられず、興味のあることだけを考えてみませんか?