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耕三寺耕三が作った東洋径大鋼管製造所、のちの径大鋼
耕三寺耕三が作った東洋径大鋼管製造所、のちの径大鋼管製造所は現在は存在していないみたいですが、耕三寺耕三が死んでからどういう経緯を辿って現在に至るのか東洋径大鋼管製造所の社歴というか歴史を教えてください。
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>耕三寺耕三が作った東洋径大鋼管製造所 日本スチール管株式会社⇒日本特殊鋼管合資会社⇒東洋径大鋼管製造所ですね。 >どういう経緯を辿って現在に至るのか東洋径大鋼管製造所の社歴というか歴史を教えてください。 日本特殊鋼管合資会社時代、共同出資者と「喧嘩」したようです。 そこで、新たに(昭和元年)東洋径大鋼管製造所を設立。 社名を径大鋼管製造所に変更。 昭和45年。耕三寺耕三氏逝去。 まぁ、不思議な方ですよね。 戦艦の砲筒で有名になったと思えば、戦後は西日光と揶揄される「耕三寺」で有名になりました。 しまなみ街道で陸続きになりましたが、橋ができるまでは参拝は「フェリーの時間に合わせて参拝」する時間との戦いでした。^^;
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- geeser
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回答No.1
そんな会社はありません。
お礼
有難う御座います 径大という会社ってもう無くないですか? 径大の後の話が知りたいのです。