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近代以前の皇室の金銭面について
現在の皇室の支出は国民の税金からなされていると思うのですが、近代以前はどうなっていたのでしょうか。幕府等が財政面を支えていたのでしょうか。突然ふと気になったので、詳しい方がいれば、教えてください。
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11078/34525)
江戸時代の天皇家はド貧乏。それでも格は保たないといけないので本来は食膳に鮑とかがないといけない。でも買う金はないので、お膳の上に「鮑」と書いた紙をのせて鮑が出ていることにしたとかそのくらいの聞くも涙、語るも涙の貧乏物語でした。いうまでもなく、幕府が天皇家に力をつけさせないためです。 天皇家だってそうなのですから、公家も推して知るべし。岩倉具視は絵を描いて生計を立てていたといいますが、その絵ってのは花札だったそうです・笑。 それで当時の寺社ってのはある種の治外法権を受けていたので「御開帳」ということで賭場が開かれていたという話がありますが、実は公家の家もそういう特権が認められていたので、アルバイトで作った花札は、そこで使われていたというね・笑。 だから、岩倉具視の肖像画ってどえらい目つきが悪いですよね。公家の目じゃなくて、親分の目ですよね。それはそういうことなんですよ。鉄火場育ちなので・笑。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
ちなみに現代の皇族は税金ではありませんよ? 大多数の日本人が誤解してる事実ですが 天皇・皇族は歴代天皇の遺産で生活しています 近代以前だと 時の権力者の寄付ですね 戦国時代なら官位をもらうために大名が朝廷に莫大な金額を寄付しましたし 江戸時代は幕府の寄付ですね あとはお抱えの商人なども居ましたので 明治以前の皇族はそこそこ金持ちでした(戦国時代は武士に養われてたので貧乏でしたが)
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
Directioさん、こんにちは。 〇〇万石を有するということは、それが利益(年貢?)を生むということなのでしょうか。それとも逆に、むしろそれだけ費用(給料を払う?)がかかるということなのでしょうか。 3万石として4割、1万2千石が実収ですね。年貢になります。ほかに大きな儀式があるごとに幕府は財政支援をしていたということです。
お礼
二度も回答してくださったので、ベストアンサーに選ばせていただきます。ありがとうございました。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5117)
>現在の皇室の支出は国民の税金からなされていると思うのです その通りですね。 御所も東宮御所も、全て国が所有して宮内庁が管理しています。 生活費に関しても、税金から支払われていますよ。 例えば、愛子さまには毎月300万円(税別)が支給となっています。 もちろん、所得税は不要です。 >幕府等が財政面を支えていたのでしょうか。 江戸時代初期は、本当に「貧乏」だった様です。 (京都)御所にしても、信長・秀吉・家康が建築しています。 現在の(京都)御所は、松平定信をトップとして1790年に再建したものです。 信長・秀吉・徳川家も、外見を飾るだけで皇室に関しての生活援助に重きをなしていませんでした。 他にも回答がありますが、江戸時代初期は「朝廷費用」は3万石です。 この3万石で、天皇・皇后など天皇家から下級公家までの生活のめんどうを見る必要があったのです。 度々、朝廷側から幕府に対して「もっとお金を出せ!」と要望していますが「考慮する」との回答だけで幕末まで実現していません。 幕末、京都では興味深い話が残っています。 孝明天皇と幼い祐宮(後の明治天皇)が店先を通る時、その通りの店は「暖簾を下ろした」そうです。 祐宮(病弱体質+右利き)が「父ちゃん、飴が欲しい」と駄々をこねても、飴が買えなかったのですねぇ。 ※何故か、明治天皇は体格の良い大男で左利き。ここに、明治天皇替え玉説発生。 ※長州藩は、御所周辺に火を放って孝明天皇・祐宮を誘拐(長州へ幽閉)する計画を持っていました。 幕末になると、公武合体など幕府の方針で「10万石に加増」しました。 ※加増との言い方は、正しくありませんがね。 それでも、天皇家から下級公家の生活は苦しかった様です。 朝廷に支給する年間経費よりも、大奥での年間経費の方が数倍多いのですから・・・。
お礼
今の天皇以前は、天皇とその子供は別々に分けられて生活し、一緒に行動することができなかったと聞いたことがあるのですが、飴が買えなかった逸話と整合性が取れませんね。飴すら買えなかったとか、店がわざわざ暖簾を下すというのは誇張っぽいですね。 回答ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
Directioさん、こんばんは。 皇室だけで3万石です。公家領を入れると10万石の大名並みでした。しかし、警戒のためにその領地は幕府が代官を置いて管理したため、直接管理したわけではありません。日本全国3000万石のうち、2250万石は大名領です。幕府は700万石で旗本領300万石を除くと天領は400万石でした。 皇室領地 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3#%E8%BF%91%E4%B8%96
お礼
回答ありがとうございます。
補足
〇〇万石を有するということは、それが利益(年貢?)を生むということなのでしょうか。それとも逆に、むしろそれだけ費用(給料を払う?)がかかるということなのでしょうか。
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
領地も持っていましたし、豊かな商人からの 寄附もありましたし、家庭教師のようなバイトも していました。 公家全体では3万石ぐらいの収入がありました。 明治になってからは、天皇は世界有数のお金持ち になりましたが、先の大戦で、財産のほとんどは 国有化されました。
お礼
勉強になりました。ありがとうございました。
お礼
皇室経済法によれば、皇室の支出は国民の税金で賄われていることになると思うのですが・・・。azuki-7さんは、そういった法律があることを分かった上で別の解釈をお持ちということなのでしょうか。 いずれにしろ、回答ありがとうございました。