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行為が存在するなら、行為の主体の存在も確実ですか?
ある行為の存在が確実な場合、かならずその行為をした何かが存在すると言えると思うのですが、いかがでしょうか? 歩くという行為は、その主体(人とかロボットとか)なしには存在できません。 歩く行為だけ存在して、その行為をしている者が存在しないというのはありないと思います。 不思議の国のアリスでチェシャ猫が消えてニヤニヤ笑いだけ残ったという描写がありますが、それはありえないですよね。 つまり、思考が存在するなら、思考している主体(何者か)が存在すると言えるのではないでしょうか?
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- 雪中庵(@psytex)
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- 雪中庵(@psytex)
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- 雪中庵(@psytex)
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>psytexさんはどんな本で物理学を学びましたか? >参考にしたいので教えてください。 あなたが読むべき本は、あなたが何を知らないかによります。 私が数十年間に読んだ何百冊の本の、どれがあなたに必要 かは私には分かりません。(最も読むだけではだめですが) ご健闘を祈ります。
お礼
回答ありがとうございます。 それではpsytexさんがよく貼っているミンコフスキー空間の図の出典の本を教えてください。読んで勉強したいと思いますので。
- chachaboxx
- ベストアンサー率23% (412/1777)
追伸です シュレーディンガーの猫を取り上げたのは、事実上の事象と思考上の事象の相違に似た感覚を覚えたからです。 例えば、夜中に部屋を真っ暗にして目の前に在るモノを凝視するようにしているときに、スタンドライトを一瞬点灯しすぐ消してまた真っ暗にすると、網膜に焼き付いた目の前にあったモノが眼球に追従して飛び回って見えます。もちろん実際のモノは飛び回るわけないのですが、眼には確かに偽りなくそのように 見えて います。 これは、網膜ないしは視覚連合野の働きにより誘発した事象で、経験上は事実ですが、現実の有り様とは違います。幻覚です。 同じように、視野狭窄という障害がありますが、時系列と経験洞察から、視覚中枢が視野にない(見えてない)領域の画像情報を補完してしまうので、同障害の自覚症状が少ないということがあります。 なので、意識興味の集中により、大脳が視覚中枢を誘導することがあれば 'ニヤニヤ'(していると感じる事)はあり得ます。 そもそも猫が本当に ニヤニヤするのか論にもなりますが。 シュレーディンガーの猫 は、本当は生きているかそうでないかの二者しかあり得ない生命の値に、中間値を与えたキモチ悪い例です。 アリスの描写が優れているのは、伝えたい(不思議な)感覚を文字で明瞭に導く為の手段として、意図的に主体の存在を消すことで、在るはずのモノがない'キモチ悪さ' を表せたことなのだと思います。
- 雪中庵(@psytex)
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>何もないならなんでpsytexさんは毎日ご飯を食べたり、寝たりしているのですか? あなたは、「ご飯を食べたり、寝たり」を知っていますか? 宇宙は脳内の現象だと理解していますか? 『宇宙は自分の外にある独立した外部だ』と思っていませんか? それは幼稚な「素朴唯物論」と呼ばれているものです。 もっと物理を学んで下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 >あなたは、「ご飯を食べたり、寝たり」を知っていますか? 知ってますよ。 >宇宙は脳内の現象だと理解していますか? それは違うと思いますよ。 >『宇宙は自分の外にある独立した外部だ』と思っていませんか? はい。そうですね。 >もっと物理を学んで下さい。 私からするとpsytexさんはあんまり物理学を知らないようにみえます。 ちなみにpsytexさんはどんな本で物理学を学びましたか? 参考にしたいので教えてください。
- 雪中庵(@psytex)
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>その場合どれが確実な行為に相当するのですか 全ての存在は量子に還元され、量子は仮想的時空の 広がりへの無の射影です。 仮想=何かあるんじゃないか?という疑問に対する、 「何もないんだけどね」という答え。
お礼
回答ありがとうございます。 そうすると最初から何もないという話ですか? よくわからないですね。いろいろと疑問が湧きます。 1)量子の効果は素粒子では発揮されるけど、人間みたいな巨大なものでは無視していいと高校で習いましたよ。電子と野球ボールでどのくらい量子効果が違うか計算してみたことがあります。 2)量子だからといって何もないということとは違いますよね 3)何もないならなんでpsytexさんは毎日ご飯を食べたり、寝たりしているのですか?
- 雪中庵(@psytex)
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- uga1414
- ベストアンサー率25% (1/4)
考え方はその通りだと思います。 〇〇をする(した)→〇〇 という言葉や概念が生まれます。 会話をした→ここでようやく言葉でやり取りをすることを会話と認識することができると思います。 ただ、今回の場合不思議の国のアリスでチェシャ猫が消えてニヤニヤ笑いだけ残ったという描写は、チェシェ猫視点ではなく、第二視点での描写に思えます。 ニヤニヤ笑いというのはチェシェ猫がニヤニヤ笑ったから存在するわけですが、チェシェ猫が消えるとニヤニヤと不気味に笑う印象(空気)がその場に残っているようだ、という視点での描写だと考えられます。 なのでこの場合は、不自然な描写ではないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 行為があるなら行為者(主体)は存在するということですね。 チェシャ猫に関しては作者としては読者に不自然だと思ってもらいたかったと思いますよ。だってアリスの反応は「ねこなしのニヤニヤわらいとはね! 生まれて見た中で、一番へんてこなしろものだわ!」なんですから。 「それは不自然じゃない」と言われたら作者としてはがっかりでしょう。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
日本人には昔から、自我とか主体が存在しませんから、考えるときも、喋るときも、行為をする時も、自我・主体無しに、無主体で考え、喋り、そして行為しています。 西欧人なら、自我・主体で考え、喋り、行為していると考えるかもしれませんが。 西欧人は何事も人間中心に考えるのに対し、日本人は自然中心に、おのずから考えると思っていますので。 その西欧も、20世紀のポスト・モダンで、自我・主体の存在が否定されました。 ポスト・モダンと言っていますが、日本は昔から自我・主体がありませんので、西欧に先駆けてポスト・モダンだったと言っていいと思います。 もっとも、日本の場合は、モダンなき、ポスト・モダンですが(笑)! あなたは「ある行為の存在が確実な場合、必ずその行為をした何ものかが存在すると言えると思うのですが、いかがでしょうか?」 ・・・・・と言っていますが、何ものも存在しなくても、それとは無関係に行為できると思います。 そして歩くという行為も、その主体がなくても、行為できると思います。 そして、「思考が存在するなら、思考している主体(何ものか)が存在すると言えるのではないでしょうか?」 ・・・・・・と言っていますが、西欧人はともかく、日本人は自然を主体と考えていますので、思考している主体と言ったら、自然だと思います。 西欧人と違って、日本人はこの世界の主役は自然であって、人間は「わき役」だと思っておりますので。 もっとも、最近は日本人も西欧化してきて、自我・主体で、人間中心に考える人が増えてきましたが(笑)! もしかして、質問しているあなたも、その西欧化した日本人の一人ですか(笑)?
お礼
回答ありがとうございます。 もしかすると私の考えている主体とkoosakaさんの考えている主体は違うものなのかもしれないですね。私は単に行為者を主体と言っていました。 例えば、AさんがBさんを殴ったとします。当然、BさんはAさんに対して怒りますますよね。でも昔の日本人だったら主体はそんざいしないから別にBさんに対して怒らないということですか?それは変ですよね。
- chachaboxx
- ベストアンサー率23% (412/1777)
思考している主体の存在を意識している存在があるということだと思います。 「シュレーディンガーの猫」に近いモノがありますね。人間はアナログな様でけっこうデジタルです。
お礼
回答ありがとうございます。 あまりよく理解できなかったのですけど、行為があるなら主体が存在するということでいいのでしょうか? シュレーディンガーの猫は関係ありますかね?
補足
チェシャ猫と猫つながりでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。古いもので構いませんので、図の出典となっている元の書籍を紹介してもらえませんか?あるいはお読みになっている論文集を紹介していただけませんか?参考にされている書籍でも結構です。psytexさんが示された図に関するものでお願いします。読んでみたいと思いますので。