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そもそも日本語に5W1Hが美しいかと言うとそんな事

そもそも日本語に5W1Hが美しいかと言うとそんな事は無い。読み易いか訳し易いかと言うだけのことです。 日本語のあるべき姿は5W1Hに縮尺できたとして、全貌は語られないと考えます。 だから、誤字は少なくしたいし、乱文もできるだけ丁寧に語りたい。拘束されない美しい文章に出会える日が来ると信じて…。 日本語にも独特の英語や外国語にも美しさや面白みがあります。 自慢話しや有益な情報を得る為にはそれなりの時間と努力が必要です。いかにも下手な文にヒントがあり魅力的な内容がある事があります。確かに語学堪能な文章であれば、それなりに伝わるし、読み手の時間も少なくて済みます。点数に表せば、よい成績とは、良い学力によるものでしょう。 しかし、日本語や文学は正論ばかりでは語り尽くされ使い古されるでしょう。魅力なんて、数日後には忘れ去られます。 面白味ある内容を含むのに5W1Hという如何にも大層にもいや基本にも思える事は必要でしょうか? 勿論、基本となる表現ですし、、。しかし、固定観念なんて優等生発言だし、出来高制みたいな話し、いくら語ったって、出来上がりありき。無い話しをしろというのはむりですが、表現とは自由度がなければいけませんよね。勝手気ままでもいけませんが。 回答される場合、Q&Aみたいには5W1Hなのだとして、もっと言えば、表現や…、相手に伝える・答えを返してもらうには何が必要不可欠でしょうか? 回答よろしくお願いします。

みんなの回答

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  • ベストアンサー率26% (385/1478)
回答No.3

そもそも日本語は…5W1Hは最小限の情報を最大限に相手に伝える手法ですから、必ずしも美しい日本語とは言い切れません。 行間に潜められたニュアンスや作者の意図は読む相手により違ってきます。 例えばある福祉系専門学校で提出された1200字のレポート。書き手はいつも授業中に寝ている男子。丁度桜が咲く頃に彼がお年寄の車椅子を押して桜を見に行った。満開を迎えようとしている桜はひらひらと車椅子やお年寄の全身に落ち溢れては風に舞っている。3月下旬は決して暖かくはない。心配した彼はブランケットを1枚取り出しそっとお年寄の膝にかけようとした。するともう言語表現が難しくなっていたお年寄が強く首を横に振った。その時彼は、自分は来年も美しい桜を見る事が出来るだろう。じつと車椅子に乗っているこの人には、もう来年の桜はないかもしれないと悟る。なんて残酷なんだと。来年自分は車椅子をもう押せないかもしれない、、、その瞬間若者の瞳からまるでひとひらの透明な花びらのような雫がとどめなく溢れては溢れ落ちた。このレポートは実は誤字脱字だらけだった。一気に書き上げたかのような勢いがあった。レポートとしては最低レベルだが、自分の心に寄り沿った感動的な表現に満点をつけたいと指導教員は話していた。一般的に専門学校のレポートで100点という評価はありえない。 美しい文章とは体裁が整った文面を言うのではない。 作者の魂が人の心に強く訴えたとき、魂が呼応して感動を生むのだと思う。

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  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.2

 最低限、自分の意図を誤解なく相手に伝える事だと思います。それが5W1Hの運用です。  5W1Hという言い方自体は、戦後の英語教育の影響だと思いますが、戦前だって基本は同じだったと思いますよ。自分の意図や目的を、明確に相手に伝える事を、日本語で教えていたと思います。  ただ日本語は、例えば英語やドイツ語に比べて、非常に「文脈」を伝えやすい言語ではあります。だって主語不在で、意味が通じたりするんだもの(^^)。  その典型は俳句でしょう。でもこれは、5W1Hの訓練の果てに体得できるものだと思います。

noname#229064
noname#229064
回答No.1

相手に答えを返してもらうには、もっとわかりやすく質問願えませんか? あなたの言う面白みのある内容がわからない。ジョークのことを言っているのか?あなたの文章のことを言っている(興味深い)か全く理解できません。 また、5W1Hの解釈も矛盾していますし、さらにいえば間違っています。 5W1Hは、レポートの時に極めて有効であり、広義にいえば人の説明することです。 大層に思わなくても良いので、もう少し使い方を勉強なさってください。これができないと、社会人になってから一人前に扱ってもらえませんよ。