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人間(生物)の心は何で出来ているんですか?
人間(生物)の心は何で出来ているんですか? 原子や分子に心はないのになぜその集合体である生物には心があって自立して考えたり動いたりできるんですか? これを哲学的にではなく科学的に説明いただけると嬉しいです。 宜しくお願いします。
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- 雪中庵(@psytex)
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「心は何で出来ているか?」という問いには、 まず物体があり、後から心が生じるという 素朴唯物論的な考えが先入している。 その実、量子論的にいえば、存在的有限性は 認識される事で派生している(宇宙は心の中に のみ生じている)のだ。 そこには、時間軸=自我仮説(記憶=過去=超光速) と空間軸=環境仮説(予測=未来=光速下)の相補 分化(仮想と錯覚の対発生)がある。 その「仮想(超光速と光速下の派生)」とは、 原理的に超弦(量子定常波=光速)に還元される ものを、階層現象(超弦<クォーク<素粒子<原子 <分子<細胞<個体(脳))を表面的に(いい加減に) 捉える事で、仮想的に派生しており、本質的実体を 持たない。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、 無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限 の闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の 運動(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮= 宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、 自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識 するのです。
- raiden787
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心というものは情報の処理システムです。 コンピューターは原子できていますが計算や演算ができますよね。 心というのはそういう計算能力がすごく発達したものです。 原子で出来た微小スイッチ群であるコンピューターが計算能力を発揮するように、人間の脳も情報処理能力を発揮するように設計されています。 その情報処理の際に発生する人間の反応が心です。
- cwdecoder
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人間は、多数の生物(細胞)の集合体です。 単細胞生物が集まってまるで一つの生物であるかのようにふるまっているのです。
- hkhk1450
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その後、もう一度、生物と心について考えてみました。以下は、 私なりの解釈です。 我々が心と思っているものそれは、生存本能が進化したものである。 本能は、神経細胞が生存の為に無意識に反応することで成り立つ。 脳は神経細胞の塊である。人間は、進化した巨大な脳を持っている。 それは、生存本能(恐怖⇔逃避)や繁殖本能(嫌悪⇔愛情)などの 基礎的な反射神経細胞を補っても十分に余りがある。人間の脳より 小さな脳を持つ生物でも、自己を守り繁殖する為の能力は十分ある。 しかし、音声での意志の伝達や、感情の様な仕草を見せる生物は、 限られている。例えば、犬や猿、或いはイルカや鯨も脳は、大きい。 これらには、感情はありそうであるが、心があるとは言えないだろう。 しかし、もし個々の意思表示や自己認識が種の生存に必要ならば 余裕ある神経細胞は、心と呼べるものにも進化するのかも知れない。 生物は、地球の長い歴史のなかで淘汰を繰り返してきた。現在その 進化の頂点(進化の解釈によっては、違うが。)に人間は居ると思う。 それは、自己認識と心、愛を持っことができた唯一の生物だからだ。 ここで、海亀の産卵を想像してみよう。母亀は大変な苦労をして産卵 する。浜辺に這い上がり砂を掘り、そして涙を流しながら産み埋める。 この時流す涙は、眼が乾くのを防ぐためだとか言われている。しかし、 本当にそれだけなのだろうか?人間以外の生物には、組み込まれた 本能以外の感情や心は、本当に絶対無いと言い切れるのだろうか? 生物の神経細胞が絶えず進化している以上、微かな芽生えがあると それが有利に働く場合もあるかも知れない。それが遺伝子で伝えられ 種が繁栄するのに役立つたとしたら、進化した本能行動は確立する。 人間や生物は、何の為に生まれてくるのだろう?私は、自己意識が あるなしに係らず、1つの個体として幸せに生きる為だと思っている。 個々の生物には、欲求がある。それは、環境や食量や社会的条件 が異なるからである。全ての個体が、生存維持できるわけではない。 生きるための最低限を求める欲求から、最高の幸せまでを追求する。 虫は過酷な条件でも生存が可能だが、人間が生きて行くためには、 多くの条件を必要とする。「いじめ。」で自殺することもあるくらいだ。 人間は、食物と便利さの欲求を満たしたが、社会性はまだ不十分と いうことだろう。幸せの追求は限がない。自己が満足する点それは、 自分が幸せだと思えるかどうかにかかっている。私の人生は幸せだ。 心は、脳にある。脳は、神経細胞の塊である。神経細胞は、条件反射 から進化した。条件反射は、本能である。故に本能の進化が心である。 的は、本能時にあり。 以上、私の考えを偉そうに書きましたが自信があるわけではありません。 恥じています。やっぱり、専門家の書いた本を多く読むべきでしょうね。
- hkhk1450
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まず貴方の考えている心とは何でしょうか?五感以外のものや 嫌悪、愛のような感情でしょうか?自己認識のことでしょうか? 人間、生物には、生存のため自己を守る本能が備わっています。 本能は、原子、分子から成る神経細胞で維持されていますよね。 なぜなら、 自己を守る行動>恐怖、嫌悪、逃げる。繁殖行動>好む、愛情。 のような行動は、神経細胞が筋肉で体をコントロールすること で成りたちます。心も神経細胞の集まりの脳が感じるものです。 でもなぜ、複雑な感情や自己認識が存在するようになったのか? それは、長い生存淘汰の歴史で進化してきたからだと思います。 例えば、他の生物より優れた自己認識や独立心は、人間が地球 上で最も進化の頂点にある証拠でしょう。 人間が心と思っているもの、それは本能から進化した神経細胞 だと私は思います。
- nagata2017
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電気信号です。
- kaitara1
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人間の心を自我意識とすれば意識水準を決定する脳の場所は特定されているようです。しかしこの場所の神経回路の活動度がどうして意識を生みだすかについてはほとんどわかっていないと思います。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
この話は、感想を訊くのではなく、研究をしている人の本を読んでみてください。 あなたは原子や分子に心がないと断定していますが、それはなぜですか。 高分子には間違いなく心がありますよ。 哲学的なことがいやであれば、 ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書) 森山 徹 を一度お読みください。 あの下等動物と扱われるダンゴムシが、要するにいやなことをいやがり歩くのでもよい悪いを判断して歩こうとするという観察です。しっかり学習し痛い目には 繰り返して出会わないようにしている。そして、絶対に不可能だとなったら本来できない能力を発揮して、泳いででも(つまり命をかけて)あちらに渡ろうとするのです。 これが心のないものにできるか。 もちろん知性とか論理はないかもしれないけど、命というものが、生き延びるためにいろいろな方策をたてており、そこに快不快の感覚がでてくるわけです。 つまり心は知性や教養よりもはるかに原始的で命そのものの性質なんです。 脳の仕業のわけはありません。体全体の仕業なんです。 体は分子でできています。生命自体が分子の組み合わせで成り立っているものなんです。 で、この森山先生は革命的なことを言っています。 長いスパンで見た場合、岩にも心があるんではないか。 ここで哲学的になり宗教的になるとつまらないからあるところで説明を止めていますけど、何十億年という時間で星や星雲を考えたら星たちにも意思があるんじゃないかと感じませんか。 つまり、存在がその存在であり続けようとする性質、それが心なんです。
補足
ダンゴムシに心が無いなんて誰が言いました?
- nanashisan_
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難しい問題ですね。普通の人は脳と答えるでしょう。 しかし脳を機械的に「完全に」再現できたとしてもそこには傍からは心に見える「心もどき」しかありません。 心を心のように振る舞うものと定義するならば、それは脳の中にあります。
- eroero4649
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脳は細胞でできていて、細胞はタンパク質と水分でできているので、人間の心は何でできているか科学的に回答せよとなりますと、タンパク質と水分でできているとなります。心がタンパク質と水分でできているなら、水に溶かしたプロテインは心なのかというような難解な問答は勘弁願います。 では我々のいろいろと考えるその発想は何からできているのか、となるとこれはもう「現代科学では、不明」となります。脳細胞の活動は、神経による電気活動であるということは分かっていますが、その電気が何がどう知的活動になるのかについては分かっていないのです。 ものすごく科学的に冷静に回答するならば、我々が「心」と読んでいるものは科学的にその存在を証明することができないので、存在しない。となります。極端な物理学者は、完全に証明されていないから宇宙も、他人も、自分も、世の中の証明されていないものは錯覚であるという人もいます。こうなるともう科学者なのか頭がおかしくなっているのか分からなくなりますね。
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補足
コピペ乙‼