これを考える上では確かホッブズが鍵となると思います。
私自身が若輩なので、なんとも確実なことはいえません。ホッブズは、周知のように「自然状態」というのを想定しました。それによれば、人間は本来的に「万人の万人に対する闘争」だった?か、ともかく人間はリヴァイアサンなる国家が存在せずして、秩序は守れないということなのだそうです。
つまり、人間は国家という抑制者なしには、すぐさま私欲をこらした闘争状態へと陥ってしまって、手がつけられなくなるのだということです。これはあなたも知っているでしょう?
スミスもまた基本的に自然思想というようなものに著しく影響された世代です。自然状態と自然権はちょっと違いますが、根っこのところはつながります。スミスは、何を言ったか?彼の理論はなんといっても、「見えざる手」という一言につきます。
つまり、スミスは見えざる手、すなわち国家が介入しない自由な交換こそが、人間の自然状態であったのであり、それは本来的な自然権であるというわけです。
よって、スミスの言葉からすると、交換は人間の性向なるものであって、これは国家によっては否定しえるものではなく、そしてその介入なしに行なうことで、市場を操作しなくとも、あたかも誰かがうまく市場を適切に調節しているようになる…というのは分かりますね?有名です。
もう想像がつくと思います。
結論はこうです。スミスはその見えざる手という理論を提示したということは積極的に評価されるべきであったのですが、ただ見失ったというか、非常に楽観的であったのが、国家の必要性に関してだったのです。
彼は国家の市場への介入を拒否しました。これはホッブズを克服したのではなく、無視したような状況で、実際彼は後々に噴出する多大な失業問題などの社会問題の対処に関して、厳密には言及しなかったわけです。
その意味ではホッブズは国家の働きとは何か、どうあるべきかということに積極的に取り組んだのであり、スミスはその点、楽観的でありすぎたことは否定できないのです。
これがやがてケインズ的な問題となって、現れることはご存知でしょう。簡潔に言えば、大恐慌時の自由主義者・限界学派の答えはこうだったわけです。これは一時的な風邪をこじらせたようなもので、ほっとけば見えざる手によって、調整され治るよ、と。