- ベストアンサー
心を動かされるとは?
物語を読んで感動する、泣くのは分りますが、ストーリーもないクラッシック音楽を聴いて、心を揺さぶられるような気持ちがするのは、どういう現象なのでしょうか?そんなときに私の心を動かしているのはbeautyなのでしょうか?今の私が演奏者、作曲家に共鳴しているのでしょうか? 宜しくお願いいたします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは 例えば感情を人に伝える時、初めに「情動」があり、それを表す「言葉」はそれを他者に伝えるための手段でしかありません。 芸術家はその自己の内部のパワー(情動)を色々な媒体に込めて世に出します。 音楽が得意な人は音楽を使って伝えるでしょうし、言語が得意な人は言語を使って伝えるでしょう。 でも、音も言葉もそのパワーを伝える為の手段でしかないのです。 伝わるのはその音の中に込められたパワー、芸術家の心のエネルギーです。 例えば「愛」という言葉を聞いて何を感じますか? それを言葉だけで理解することは不可能です。その言葉が意味するものを想像し、感じる事で、初めてその意味が伝わったと言えるのです。 音楽も同じです。音を聞いているのではなく、その音から伝わるパワー、芸術家の「情動」を感じているのです。 心の中の情動に対応するようなパワーが音に込められていた時、あなたはその情動を想像し、感動します。 バッハのメロディーに感動するならば、そのメロディーがあなたの心の中の何かを呼び覚ますキーワードとなって、あなたは感動しているのだと思います。 そういったキーワードを沢山持っている人を、一般に感受性が強い、と言うのでしょう。 そしてまた、自分の情動を別の形に変換する事が出来る人のことを「芸術家」と呼ぶのだと思います(勿論暴力などは違います。あくまで何かの「形」になることです)。 というわけで、人が音楽に感動するのは言葉から意味を感じるのと同じく、音から何かの情動を引き出されて感動しているのだと思います。 それは「芸術的な言語」なのではないでしょうか。
その他の回答 (4)
- sowow
- ベストアンサー率20% (18/90)
ぼくは、芸術といわれているものは基本的に個人的なものだと思っています。 送り手に共感共鳴しているのではなく、自分と自分が共鳴しているにすぎない。 というと、言いすぎですが、そういう面は大きいとおもいます。 「自分」といってもいろいろ居ますよね。 過去の自分、無意識の自分、仕事時の自分、音楽聴いている時の自分。 それらが共鳴する。 自分同士ですから、ほとんど完璧に。 そこに強い感動が生まれると。 たとえば、maria00033さんがもう忘れてしまっている昔の感情・感動が、その音楽によって呼覚まされるというような・・・。 もちろん送り手に共感して感動するってのもありますよ。それは「物語」に近い感動のしかたじゃないでしょうか?
お礼
自分に共鳴する場合ですか。 なるほどです。 でも今までにないほどの増幅された響き方はどうなるので しょう? ありがとうございます!
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考程度に おそらくmaria00033さんの心の奥の奥にバッハの音楽が刻み込まれているのですね。魂に刻み込むほど幾度となく以前に弾かれていたか聞いておられたんですね。もし、maria00033さんが初めて聞かれた時に心の琴線に触れたとおっしゃるならその経験はmaria00033さんが日本に生まれる前のことですね。おそらくバッハの時代にヨーロッパで別の名前で存在いされていたということですね。輪廻転生ですね。転生の記憶はありませんが誰しも琴線に触れる記憶はあるのですね。 それは宗教的な気づきの一歩でもありますね。
お礼
どうもありがとうございます。 バッハはもともと好きではありましたが、もっとはるかに 好きという状態があることに気付いたのは、グールドを初めて聴いた瞬間からです。 もう他の誰が弾くバッハも味気なく感じるようになりました。バッハとグールドのコンビネーションがここまで響く理由を知りたいと思ったのです。
- seiso
- ベストアンサー率20% (73/352)
こんばんは。 先日TVでの興味深かった内容で、そこからの情報ですけれども、 1/f(f分の1)”ゆらぎ”が、人間にとって一番リラックス、心地良いのだそうですよ。 クラッシク音楽にはこの”ゆらぎ”を出すそうで、仕事などで疲れた時に聴くと効果があって、とても良いとのことらしいです。 >そんなときに私の心を動かしているのはbeautyなのでしょうか?今の私が演奏者、作曲家に共鳴しているのでしょうか? こういうふうににその人に与えられた天分ということからでも、モーツワァルトですと、彼の曲は人だけでなく、花やトマト栽培、体の不自由な人の神経作用にも働きかける程の効果が見込まれていると解説していましたが、共鳴出来ると言う事は、花や木とお話できる方もおられますが、それにも当てはまるということではないでしょうか。 真、善、美を求めるのが人の常ならば、beauty=美、本物、美しいものは、感動、心地良さを感じさせてくれる(与えてくれる)、と考えてもいいんじゃないかな、と思います。。 御質問の意図とそぐわないようでしたら、申し訳ありませんが、参考にして頂ければ幸いです。
お礼
ありがとうございます。 確かにゆらぎがあるから、いい感じになる、逆に、ゆらぎがないから平板に感じる、ということがありますね。
- ticomyheart
- ベストアンサー率36% (18/50)
専門家ではありませんが、音楽好きとして回答します。 >ストーリーもないクラッシック音楽を聴いて とありますが、 クラシックにストーリーがないことはないのです。 作曲者には「あることを表現したい」という衝動があって、はじめて作曲という行動にでるのです。 その「表現したいもの」を音にするのが作曲者なのですが、音がもたらすイメージを基本にしながら、ふさわしい音色・音の強弱・速度・etcで表していった結果が「曲」になると思うのです。 そして、その大部分は聴き手のイメージと合致するので、そこに「感動」が沸き起こるのだと思います。 ところが、難しいのは作曲者の意図が100%きちんと伝わるかどうかです。 大体は伝わるんです。雰囲気で。 でもさすがに完璧100%というのは難しいと思います。 そこらへんに、人それぞれの感想の違いが生まれるのかもしれませんね。 作曲者の意図や時代背景などを知ってから鑑賞した場合とそうでない場合でも、結構印象が異なります。 解説などを読んだ後のほうが、「ああ、こういうことを表現したかったんだ」と納得できます。 というわけで、私の場合は、パンフレットやCDの解説を見て作曲者の意図を知った上で鑑賞しています。 ちなみに、ラジオなんかで流れる曲でも先入観無しに「ああ、いいメロディーだなあ・・・」と思うことがあります。 それは多分、私の精神に「心地よいメロディー展開」がインプットされているからだと思います。 そういう共鳴の仕方もあるのかもしれませんね。 とりとめない話になりましたが、ちょっとでも参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 グールドの弾くバッハが好きなのですが、いつ聴いても、 何度聴いても、言葉を介さずに心や脳に直接何かがぶつかってくる感じで、衝撃、涙が止まりません。 宗教音楽を聴いているわけではないのですが、ひょっとするとこれは宗教的経験の諸相の一つなのではないかとも思いました。彼らの意図と関係なく、コネクトしてしまうような感じというか、、すみません、上手く説明できませんが、ありがとうございました。
お礼
どうもありがとうございます。 情動ですか。なるほどです。 メロディーに加え、リズム、ビートもトランス状態を作り出しているのかもしれません。