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盲信は危険・・・

●たとえば、デカルトはこう言った、ニーチェはこんな事を考えていたと言う事を無批判に盲信するのは危険でしょうか?(ニーチェはキリスト教を批判しましたが、仏教を批判した人はいますか・・・)

みんなの回答

回答No.4

2番の話だけどね、口伝伝承だけで文字のなかった時代だと尊敬も明らかだろ。 古い学問には何かと残る伝統だよ。 聖書の神聖化のいきさつも文字にされることがそれだけで貴重だったかもしれないし、文盲率の高い地域では知恵や徳の高い人より忠実な伝承者の役割は大きいだろう。 丸暗記棒読みの方が社会に貢献するんだ。 古い学者といえば坊さんが代表だけど当てはまるだろ。

HAKAIJU
質問者

お礼

ん?なところもありますが、今でも、キリスト教は絶大な人気があります、不思議ですね。

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回答No.3

よく自説の根拠に、「(過去の権威者)がこう言ったから」 と主張する人がいるが、もし本当にその考えを自分の ものにしたのであれば、(誰が言ったかは関係なく) その内容だけを主張すればいい話だ。 ひるがえって何かの言明を自己の説にするにあたり、 物事の本質を知りたいという好奇心によってではなく、 自己の感情や自己顕示のための道具として上辺だけの 理解をする時、それを「盲信」と言えるだろう。 それは、自分が何を知らないかを知る「無知の知」を 阻害し、真の認識の深まりを阻害する。

HAKAIJU
質問者

お礼

内容が難しいです、ご回答ありがとうございます。

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回答No.2

哲学の場合は君の言う妄信とはね、 記憶力のいい人が、故事をできるだけ私心を挟まないように努力しながら、暗記するというただそれだけのことだ。 学習法の話だよ。 そのままだとAIのオートアンサーみたいな知恵袋になり便利なので尊敬される。 私はそれを電卓じみた知性的反射だと受け止めていて、知性であるとは認めていない。

HAKAIJU
質問者

お礼

内容が理解できません、ご回答ありがとうございます。

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回答No.1

こんにちは。 そう言えるなら、そうでないとも言えるので、何も信じないのがいいです。相対主義的懐疑主義かな。これも信じなくていいです。 馬鹿になって信じるのも、賢く批判をするのも、徹底的にやるとどちらも面倒くさそうなのでほどほどに。というところですかね。

HAKAIJU
質問者

お礼

参考になりました、ご回答ありがとうございます。

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