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【横浜と神戸の街づくりがそっくりな理由を教えてくだ

【横浜と神戸の街づくりがそっくりな理由を教えてください】 横浜港に横浜中華街。 神戸港に神戸中華街。 観覧車やホテルやルミナリエまでそっくりです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • FEX2053
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回答No.1

似てますか? 全然似てないとおもうんですけど。 中華街があるのは、全世界の大きな港町なら共通です。港町に著名なホテルがあるのも共通、観覧車やタワーは、外国船が多く入る古くからの港町ですから、観光施設として作っただけです。 背後に六甲山があって、東西に街が延びてる神戸と、平たい砂浜と低い丘の周囲に街がごちゃごちゃある横浜じゃあ、街中を歩くと全然違う街ですよ。

japanway
質問者

お礼

みなさん回答ありがとうございます

その他の回答 (3)

回答No.4

特に意識して街作りをした訳でもありません。 外国人居留地や外人墓地など共通のものがあるとは言え、地形も異なっていてどこが似ているか具体的に言えといわれると返事に窮しますが、どことなく似ているという印象を醸し出すものがあるのは事実かと思います。 おそらく国際交易港として発達した歴史が影響しているのでしょう。 函館や小樽、下関なども古い交易港として似たような雰囲気を持っています。 長野や甲府とは明らかに違う雰囲気を持っています。 とは言え、港を控えていれば似てくるという訳でもありません。 特に軍港として発達した横須賀や呉とも違う雰囲気です。 これは古い城下町がどことなく似たような雰囲気を持っているのと同じかと思います。 おそらくそこで暮らしていた人達がなにがしかの似たような心情を持っていたことによるものかと思います。 おそらく国際交易港として、外国文化を直接肌で感じながら暮らしていたことによるものでしょう。 神戸が大阪よりも早く外国文化に馴染んだのと同じように、横浜も庶民レベルでは東京よりも早くから外国文化に馴染んでいました。 コーヒーやファッションなども神戸が先鞭をつけたものが沢山ありました。 新橋ー横浜間にいち早く鉄道が敷設されたのも、横浜が外国との交易では東京よりも規模が大きかったことに由来しています。 生糸が最大の輸出品目だった時代には横浜がその窓口でした。 一大消費地であった東京へいち早く外国の情報を届ける必要があったことが原因の一つでした。 これ等の伝統が現在もどこかで受け継がれているためでしょう。

  • ithi
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回答No.3

japanway さん、こんばんは。 共通点としては、新旧の違いはあっても、海外貿易の拠点としての港町だから、海外の文化を進んで取り入れちゃうところでしょうか?そして外国人してもその文化に対しても寛容であることでしょうか?

回答No.2

似てると思うのなら どちらかがどちらかを真似ただけでしょうね・・・ だから国際姉妹都市等が制定されるのだから・・

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