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18世紀の大学制度と数学者レオンハルト・オイラーの職名について
- 18世紀の大学制度と数学者レオンハルト・オイラーの職名について調査すると、彼は「Professore Regio Berolinensi, Academia Imperialis Scientiarum Petropolitarae」と表記されていました。これはベルリン王立大学の教授という意味です。
- オイラーはスイスのバーゼルを中心に活動していましたが、当時の大学制度では異なる地域の大学でも教授の職名が付与されることがありました。
- また、オイラーの著書「Introductio in Analysin Infinitorum」の発行についても調査しました。発行年は1747年で、MDCCXLVIIと表記されています。[L]の意味については特定されていません。
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×Petropolitarae→PetropolitaNae Petro → Peter(s), politan → burg ベルリンが読めて、ペテルスブルクは届かずでしたね。 Berolinensi, の直後の記号は、接続詞 et がデザイン化して &記号になりかかる途中段階のようです。 ベルリンは、当時プロイセン王国の首都で、 ペテルスブルクは、ロシア帝国の首都でした。 神聖ローマ帝国は、首都ウィーンで、オーストリア大公国や プロイセンが領邦を構成してました。実際の統治は各領邦です。 Imperialis は、神聖ローマ帝国ではなくロシア帝国をさす。 Professore Regio ≒ regius professor ≒ 欽定講座担任教授 と訳すのは、この場合は、適切ではないでしょう。イギリスの 大学なら欽定講座担任教授になるのでしょうが。訳例あれば どなたか示していただきたいですね。 アカデミーと大学は、違います。教育機関としての役割です。 アカデミーは、学術の権威機関で、付属の学校があっても なくてもいいのです。 ベルリンでは、後にフンボルトがベルリン大学を設置します。 Regio BerolinensiS の方が結びつきが強いようです。 regio と region 語源的につながってるんで、ややこしい。 Regio Berolinensi の前に Academia を補って、プロイセン 王国とロシア帝国の2つのアカデミアの教授でしょう。 18世紀の大学制度ってタイトルですが、広すぎるし、 大学でもないし、内容は、オイラーの肩書だけですよね。 国の統治体制まで追加するのは、地上げがひどいですね。 オイラーの住所 21歳までは、バーゼルと隣町リーエンで過ごす。 以降スイスには帰らず。 (14年)ペテルブルクのアカデミー(ロシア帝国) (15年)ベルリンのアカデミー(プロイセン) (17年)ペテルブルクに戻る
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- kifimi
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No.1です。補足をありがとうございました。 私は詳しくはないのですが、Professore Regioの意味は、No.2さんが仰る意味のほうが合っていると思います。 regio Berolinensiで「ベルリン地方」の用法もあるのでそちらと思い込んでしまいましたが、ここはやはり「Professore Regio」でひとまとまりと見るべきでしたね。 拙い知識で失礼いたしました。 ちなみにオイラーの経歴や、各アカデミーのラテン語名は、Google検索で確認した程度です。逆に言えば、検索と情報の繋ぎ方次第である程度の情報にはたどり着けると言うことです。(ローマ数字とピリオドの見間違いは、16世紀以降のヨーロッパの印刷物を見ていると、わりとあることです)
- GIANTOFGANYMEDE
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"Professore Regio"は欽定講座担任教授です。 "MDCCXLVIIL"の”L”は"I"の間違いです。 なぜなら"Introductio in Analysin Infinitorum"の発行は1748年ですから。
補足
GIANTOFGANYMEDEさん、kifimiさん (お二人あてに書くのは、可笑しいかもしれませんが。) 有り難うございます。 たかが表紙を読むのにこの様に苦労するとは思いませんでした。 申し訳ありませんが、もう少しお付き合い下さい。 1.欽定講座はプロイセンの王制が設けた講座でしょうね。regio とは rex (王)から来た言葉でしょうか。 2. Academia Imperialis の Imperialis は皇帝に関連する言葉ですね。ドイツ帝国関連でしょうか。神聖ローマ帝国関連でしょうか。上記 regio との関連は? 3.そもそも、王と皇帝は区別されていたのでしょうか。この表紙を日本語訳にするときにどう訳し分けるのでしょう。 よろしく。 実は最初のお答えをいただいたときに、質問を閉じようかと思ったのです。しかし、多くの方々の知恵は後から後から出てくるので、暫く待っているのが現状です。しつこくて申し訳ありません。
- kifimi
- ベストアンサー率72% (425/586)
>Professore Regio Berolinensi, Academia Imperialis Scientiarum Petropolitarae 正確には「Professore Regio Berolinensi,」と「Academia Imperialis Scientiarum Petropolitarae」の間に「&」があります。 「Regio Berolinensi」で「ベルリン地域の」の意味ですから、「Professore Regio Berolinensi」は「ベルリンの教授」くらいの意味じゃないでしょうか。 この本が出版された1748年当時、オイラーはベルリンにあるプロイセン科学アカデミー(通称ベルリン・アカデミー)の会員になっていますので、そのことを指していると思います。 > Academia Imperialis Scientiarum Petropolitarae これはロシア帝国のペテルスブルク科学アカデミー(現在のロシア科学アカデミー)です。オイラーはこのアカデミーの会員でもありましたから、それでしょう。 つまり、意訳すれば、「ベルリン(のプロイセン科学アカデミー)と(ロシアの)帝国ペテルスブルク科学アカデミーの会員(=教授)」ということでしょう。 >本の発行がMDCCXLVIIL となっています。 画像の文字が小さくてはっきりはしませんが、おそらくこれは「MDCCXLVIII.」です。最後の「I」とピリオドがくっついて「L」見えたのでしょう。 したがってこれは「1748年」です。
補足
完全なお答えをいただき、感謝すると同時に、驚いております。 Gratias ago vos pro vestri velox responsum!! お礼の欄に記入すると、後から追加が書きにくいので、先ずは補足欄に書きます。 オイラーの経歴を詳しくご存じな事。 二つの職名の間にある【 & 】を見落とさない注意深さ。 MDCCXLVIII.のピリオッドに気付かれた臨機応変の柔軟さ。 見事です。 本の原本をダウンロードしたものを拡大し、MDCCXLVIII.の最後は ピリオッドであることを確認いたしました。 なお、古典のダウンロードには GoogleBooks を愛用しております。 (暇な リケロ(理系老人)が素人丸出しで、やっております。) 今後ともよろしく。
お礼
有り難うございます。 ご指摘の内容はその通りだと思います。 単語の解説は、プロイセンとロシアの対比、王国と帝国の対比でスッキリいたしました。 et を図案化した記号とは 理解しておりませんでした。 ==== 元に戻って、わたくしの意図を申し上げます。 オイラーの無限解析を序文だけでも原文で読もうと思いました。 表紙もキチッと読めないことに気付いて、皆様のご助力をお願いしたのです。 そもそもの内容、ラテン語、歴史的背景のいずれにも知りたいことが多く、 表題と質問内容が離れました。 表紙を卒業したら、序文に入ります。 この質問サイトには、丸投げ質問は禁止と書いてありますが、 時々素人の愚問が出ますので、よろしく。 【脱線】や【地上げ】もご容赦を。
補足
お礼と補足が前後しますが、お許し下さい。 半日格闘いたしましたが、先に進めませんので。 1.politan → burg この部分を、辞書(紙/ネット)で探しましたが、見つかりませんでした。 英語やドイツ語の burg を考えましたが。 2.職名の最後に socio とありますがどのような意味でしょう。 3.Berolinensi および Petropolitanae の格変化をご存じですか。 固有名詞の格変化は探しにくいので助けて下さい。 4.図案化された記号【 et 】は何処かにハッキリ見えるサイトがありますか。 いろいろ勝手な質問をいたしますが、よろしく。