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「他人の足を引っ張らないと生きていけない」とは?
お世話になります。 先日、ある知り合いグループとのチャットに参加し、テレビ番組の話題になりました。そこで、最近は電話クレーマーが多いので番組もCM作成も大変らしい、という話になりました。 ある人が「最近不謹慎をタテにする人が増えた」「全然関係ないのにクレーム入れたりする人がいる」と言うと、別の人は「正義という名の下に反撃出来ない相手をいたぶるのが好きな人がいる」と強調しました。 そして「他人の足を引っ張るのが楽しいんだろうね」と言ったので、私はふと疑問に思い、「なぜ他人の足を引っ張ると楽しいのか」と聞いたところ、「多分それが楽だからでは」という返答が得られました。 そのあたりの根底心理が知りたかったので、さらに尋ねたところ、「自分で高級車を買おうと努力するより、他人の高級車に10円でキズつけるほうが楽やろ(笑)」と回答をもらいました。これはちょっとよく分かりませんでした。 しばらくして、別の人から、丁寧な回答が得られました。 1.物事は何かしらの過程を経る必要があるが、他人の足を引っ張りたい人は、その過程を他者に求めてしまう 2.例としては、自分が貧乏なのは国が悪い、あるいは上司が悪い、会社が悪いと言う 3.自分は悪く無いのに自分が悲惨な境遇にあるのは許せない。なら、他の人を下げないと、自分とバランスが取れない 4.よって、他人に責任転嫁するのが一番楽 とのことでした。 説明してくれた人に感謝してその話題は終わったのですが、「楽」とは何か?ということについて考えさせられました。 「楽」というのは、肉体的にきつくないということではなく、精神的なストレスが無い、ということと思います。しかし、よく考えると、他人に責任転嫁しても、当人のかかえている根本的な解決をしているわけではないので、一時的なストレス解消にすぎません。 けっきょく根本的な問題を解決するのが「楽」ということになるのでは?、と思いますが・・・ とはいえ、もし当人の問題の解決が難しい場合(家族や仕事など)は、確かに精神的なストレスがあり、救われたいと思うはずです。そういう人が、ガス抜きというかストレス解消を求めるのは自然なことです。 ここで分からないのが、なぜそのストレス解消の矛先に、自分ではなく他人に向いてしまうのか、という点です。 私見ですが、自分自身を作っているのが環境や他人にあると思うために、その解消も他人にもとめているのでは?と思いました。もしそのストレスが自分によるもの、という認識であれば、自己解決を求めるはずですので。 心理学などは全く知識がないのですが、このあたりの考えが、私が日本に住んでいて一番理解できないところの一つです。 もちろん海外でも同様に考える人もいるでしょうが、どちらかというと自己責任論が強い人が多いです。そのぶん他人に無関心で、社会問題化している国もありますが・・・ 日本人は他人に足並みを揃えるのが得意ですが、それによってマナーが良かったり、社会秩序が保たれているのは素晴らしいと思います。「他人の足を引っ張らないと生きていけない」というのは、そうしたメリットが裏目に出ているのでしょうか? こうしたことはエドワード・ホールの近接学でも触れられていましたが、やはり日本という国は、集団組織における自己と他人の距離感が近いといえるでしょうか。 もしそうだとすれば、それは戦後教育によるものでしょうか? もしくは、江戸時代から根付いた大衆意識のようなものでしょうか? 乱雑な文になってしまい申し訳ありませんでしたが、このあたり、心理学・比較文化論どちらのアプローチでも良いので、ご私見頂けましたら幸いです。また、参考になりそうな書籍ございましたらご紹介頂けますと助かります。
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- g27xxxxx
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学問的な事は分かりませんが、 論点は 「他人の足を引っ張る」 「楽」 その2点でしょうか。 *「他人の足を引っ張る」 …人は多くの面で他者より優位であろうとします。 ストレスを避ける手段として、優位に立つことで安堵感を求めようとします。 通常は努力によって優位性を手にしようとするのですが、 そこに短絡的思考が介在すれば、極力少ない労力で他者に失意を与えることで、自身の比較優位性が得られると考えます。 能動的に他者の失意を求める手段が、足を引っ張るという行為につながります。 *「楽」… 労力が結果に繋がらなければストレスになることを、人は本能的に認識しています。 欲求を満足させる手段の選択段階で、ストレスは避けたいと考えます。 そこに、労力が少なければストレスも少なく抑えられると、短絡的な逃避思考が働きます。 「楽」(省力)=「快楽」(欲求満足)ではないのですが、その認識には至ってません。 *「他人に矛先」… 比較優位であれば自己満足は得られます。 自己解決には労力を必要とします。 「楽」と同義の「省力」を求めた時に(これが誤りなのですが)、それが回答に有った3番の「他人を下げる」という短絡思考に繋がります。
- SPS700
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1。やはり日本という国は、集団組織における自己と他人の距離感が近いといえるでしょうか。 北欧型よりは近く、エスキモー型より遠いような気がします。 2。もしそうだとすれば、それは戦後教育によるものでしょうか? 戦後は距離の遠さが加速したように思います。10人組>隣組>隣は何をする人ぞ、ねんねこにおんぶからストローラーへとスキンシップの消滅もあるでしょう。 3。もしくは、江戸時代から根付いた大衆意識のようなものでしょうか? はい、ただ距離は静的なものではなく、始終変わっています。大家族制度・多産・雑魚寝から、核家族化・少子化・個室・ベッドへ、と今も変わっている動的なものだと思います。