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他人は結局、責任の擦り付け合い

結局、他人は責任の擦り付け合いだと思いました。 マスコミでも、批判的な記事を出しても責任は取らない。 トラブルが起こっても、見逃す人もいる。 自分の責任においても他人に擦り付ける。 知人でも、何でも擦り付けられた。 当の責任者は知らぬ存ぜぬ。 世の中はそのようだと思いました。 また、矛先を自分に抜かないように他人に擦り付ける。 匿名をいいことに言いたい放題。 結局、白を切ったほうが得だと思いました。 自己責任において、心に自己負担したほうが損だと思いました。 インタ-ネット上だと匿名だから言いたい放題。 某サイトは荒れ放題。 自己責任論を言っても、当の本人は責任は取らない。 世の中、図太い方が得だと思いました。 皆さんは世の中どうおもいますか?

みんなの回答

noname#241355
noname#241355
回答No.6

下の方が非常にいい回答をなさっているので、わたしがしゃしゃり出ることはないかもしれませんが、軽くということで。 不安でいるくらいなら不幸に身を浸している方がある意味では楽です。 精神に受けるダメージも現実とのギャップが少ない分、軽度で済むことが多いからです。 実際そのような心的傾向の方は近年の日本人には多いと思われます。 図太い方が得なことはある面では確かですが、これに限らず癇癪や敵意を積もり積もらせながらの人生を選ぶと、誰も寄ってこなくなるし、仕事もプライベートも上手くいきません。 仮に集まってくる人がいても、狡猾な人、犯罪者もしくはその予備軍ばかりになってしまいます。 図太くあることに限らずなんでもそうですが、楽しいこと、嬉しいことがついてくるようにしたいものですよね。 masatoshioさんがおっしゃる通り、誰の責任でもないことがほとんどです。そういえば、大学の政治学専門の先生がこう言っていました。「政治は駆け引きだ」と。現代社会の時事的な問題から個人的な問題まで、いわゆる社会的正義を隠れ蓑にした駆け引きの道具の一つです。 「責任取れ!責任取れ!」って連呼しても結局望むような満足感はなく、虚しかったりします。 社会的正義とかそう言ったものは捨ててしまいましょう。 書きだした中に「こうでないといけない」、「こうするべきだ」があるなら、要チェック。 それは裏を返せば「こうしてほしい」、「こんなふうにしてほしい」という貴方の素直な本音です。

回答No.5

わたしは、世の中素晴らしいとおもいますよ。 確かに、そういう人もいますけど、それと同じくらい他人に優しい人たちもいます。 どちらに焦点を当てるか?じゃないですか? 悪い人たちばかり探して歩けば、世の中は地獄ですよ。 そして、そんな人たちが集まってきます。 でも、悪い人たちは無視して、いい人を探して歩けばたくさんいます。 そんな中に身を置けば、世の中は素敵な人ばっかりですよ。 それに、何でも表と裏があります。 責任を擦り付ける人の後ろには、その人を必要としている家族がいるかもしれません。 擦り付けなくては会社をクビになってしまい、子供を育てられない人かもしれません。 その人の子供から見れば、社会では悪い人間でも素晴らしい親だと見えるはずです。 どこからその人を見るか?でも変わってきます。 もう少し、視野を広げて色んな角度から人を見てみると、そんなに世の中を悲観することはなくなるかもしれません。 匿名で言いたい放題な人たちでも、そういう環境だから言っているだけで、実際は困った人をたくさん助けているかもしれませんよ。 ただ目の前で起きていることだけが全てではありませんからね。

回答No.4

日本人は、昔から礼節を重んじ、忍耐する国民性がありました。 近年、生活レベルが上昇し、物があふれるようになってきてから、それが崩れてきた感じがします。 言った者勝ち的なところがあり、自己中心的な人が増えてきました。 それと同時に引きこもりやニートも増えていますが、彼らは自己中心的な人たちの被害者かもしれません。本当は繊細でやさしい気持ちを持っているのに、ひどい言葉に傷ついて、立ち直れず、そういう状況におかれているのかもしれませんね。 話がそれましたが、責任感のある人間が、最後までこの社会で生き残っていけます。無責任な発言をしている人は、会社でも家庭においてもいいかげんになっていき、人生堕落していきます。 開き直らず、信念を貫いて下さい。責任ある人がいるからこそ、こんな小さな島国でも、ご飯が食べられて戦争の無い平和な国が存在しているのです。

  • youchan37
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回答No.3
noname#155097
noname#155097
回答No.2

>結局、他人は責任の擦り付け合いだと思いました。 私は弱いものに強いものが責任を擦り付けていると感じています。

回答No.1

何かの問題は、「誰かが責任を取らねばならないものである」と思い込んでいると、世の中のやり取りは全てそう「見える」ことがあります。 実は、世の中の殆どのものごとは「誰の責任でもない」のかもしれません。 「誰かに責任を押し付けているフリをして、力関係の逆転をはかっている」だけであって、実は、その「責任」とやらは、別に何の意味もないのかもしれません。そういう意味では、「責任を押し付けて」たり「説得を試みて」たり「強引にすすめ」たり「反省してい」たりする事ごと、全てそのような単なる「小道具」なのかもしれませんね。