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他人を気遣うことができない…
他人のことを考えられない人の特徴って二通りとあると思います。 ひとつは、 (1)単純に自己中心的な人 もうひとつは、(2)自分の事で精一杯の人 自分は周りの人のことを考えることができない人間です。 たとえば、人の話は聞かないのに自分の話をきいてもらおうとしたり、 人に使うお金はないくせに自分に使うお金はあったりする。 他には、恩を仇で返したり(過去にその逆があったからかもしれませんが) 何事も損得で考えたり… 結果的に、他人を気遣うことができる人って自分に余裕がある人なんだと 思います。 自分のやることが終わってるから、他人に教えることができる。 他人を気遣っても自分に余力があるからできる。 よく、他人の心配をするくらいなら自分の心配をしろと言葉がありますよね。 これを言い直すと、自分の事ができない人に他人への気遣いができないということになりますよね。 世の中、他人に気遣う事ができない人って生きづらいと思う人が多いと思います。 どうしたら他人に気遣う事ができると思いますか? よろしくお願いいたします。
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- Glory_777
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素晴らしい洞察ですね。 結論としてそれが真実です。 また、誤解されているようですが、 他人を気遣うようにという教えは、私が少年時代にはありませんでした。 世の中でおかしなことが沢山起きていますよね? 私が少年の時代には無かったです。 若い方は知りませんが、 いまの学校の道徳教育は、間違っているとして、 大分前に論争になったんですよ。 戦争を経験した世代と、 そのあとに甘やかされた世代で、 思想が違ったという事です。 いまはその甘やかされた世代が主流になり、 理想を語るが、現実に対処する方法を教えていません。 これでは、子供が迷いますし、社会に出て苦労します。 年配の方なら知っている、私の少年時代に流行った言葉。 「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」 これがコマーシャルで流されておりました。 これをみて、どこの父親も、うなづいたものです。 わたしも全く周囲に興味がなく、自己中心的に生きてきました。 当然、父には色々と注意されました。 しかし、さきほどのコマーシャルのあたり。 うち親は「それでいい」と思っており、嬉しかったわけです。 「卑怯なことだけはするな」 これが鉄則です。 卑怯なことは絶対嫌だと思う若者が、 必死に自分だけは生き残ろうともがいたら、 年上から見て、これほど可愛いものがありませんよ。 ですから、 人を助けられる実力どころか、人に馬鹿にされるような実力しかないときは、 見苦しくていいんです。 そうやって誰もがカッコウつけられずに生きてきました。 これがなくて、頼りがいのあるオッサンにはなれません。 自分に自信が持てるまでは、 ときには卑怯に振る舞い、ときには傷ついて、自分だけ助かろうとして生きる。 これが真実です。 しかし、 こうして生き残った後に、 少しだけ余裕が出来たら、その余裕分だけ、気前が良くなるものです。 そうなるとは思っていませんでしたから、 「自分はなんて独りよがりで嫌な性格なんだろう」 「自分は自分が好きではない」 「そんな自分だって生きる権利はある」 「それだけは主張していいはず。否定する人とは戦う」 なんて思っておりましたね。 でまあ、これが正しいですし、先輩方もそうであったと思ってください。 このあと、余裕が出来て、余裕の部分だけ優しくなります。 さらに栄達すると、立派な口を利き始める。 これが自然でしょう? 何故今の方は、 分不相応に偉人のみが許される美しい言葉を語るのでしょう? 綺麗ごとは私も言いたかった。 それにより良い人と思われたかったですね。 しかし、 そういうご褒美は、実力を身につけ、人にサービスをした人がするべきであり、 そうでない自分は、 性格の悪い人。独りよがりな人。 と言うレッテルを我慢しなければならないはずです。 さすがにコレくらいは我慢するのが大人でしょう。 それが嫌ならば、まず始めに自分の面倒を自分で見れるようになり、 人に対して負い目を感じないようにする。 いつかは必ずそうなれます。 そうなったときは、本当に心が晴れますよ。 生きてて良かったと思う。 これを先延ばしにすると、苦痛がずっと続きます。 さっさと通り過ぎるべきなんですよ。 そしてこの気分の良さをもって、自然に人に優しくなるのが正常です。 誰かに依存しているのに、 そこを正当化するために、美しい言葉を並べ、 これをつかって、自分にサービスをするように誰かを脅すのは卑怯です。 誰かに依存している人は、卑屈に生きないといけません。 これは・・・・仕方がないんですよ。 自分に実力が無く、惨めであるとき、 「 あ、そうだ。 自分は良い人だ。(スキルとか無いけど) 自分には常識がある。(ここは大丈夫だろう) だから、自分は普通くらいの扱いは受けてもいいはず 」 と誰もが発明します。 そんなわけがありませんよ。 これが大変な嘘ですよ。 大声で他人にも唱えるのもいい加減にしないといけません。 これを子供が見て、間違って覚えるのが心配です。 子供にとっては、大人になるために覚えることが沢山あり、 ここは大変な苦労と苦痛が伴います。 ”自分に負けた大人”の教えは甘く、楽チンです。 子供のほうは誘惑に負けてしまいます。 世を恨んで、努力しない人は話しに成りませんが、 「 本当に申し訳ありません。 自分の事で精一杯です。もう少し強くなったら、必ず助けます。 すみません。すみません・・・・ 」 こんな気持ちを隠して、 自分が嫌な奴だと思って生きるのは、仕方がないですよ。 自分を好きに成りたくて、頑張るんでしょ? いまの若い人は驚きます。 誰にも褒められないため、 安易に互いをほめあって、満たそうとしているのです。 これでは、 自分を磨く原動力がわきません。 将来に対して努力している感覚を得られませんから、 逆に不安になってしまい、精神的におかしくなりますよ。 私の時代でも、負けた大人と言うのは、 最後は諦めて、互いを褒めあうようになります。 傷をなめあう道化芝居ですね。 しかし、それが嘘であるとは知っています。 他の、質問記事なども見てください。 現実に直面して、誰も褒めてくれないし、お金も無い。 どうすればいいのか? と言う質問が多いですよ。 他人への気遣いを万倍しても、Googleや楽天を作って大儲け出来るような大人に なれるんでしょうか? 子供たちは、 ここを知りたいのであって、綺麗ごとをしりたいのではありませんよね。 他人へ気遣い、それは良いことですが、 もっと自分や他人のために成る本物の力を手に入れてからにしましょう。 また、 他人への気遣いをする資格というのを考えるべきです。 道徳的な良いことは、良いことだから、誰も出来ると思っています。 しかし、一般に善良だと思われるためには、 それを得るための実力とサービス精神が無いと駄目なんです。 良いことと言うのは、誰でも出来ますが、実力の無い人はやってはいけません。 他の人から良い人だと思われるからです。 一般通念では、 良い人は経済的にも余裕があると解釈されます。 あらぬ誤解を受けて、頼りにされれば、相手の期待をもてあそぶ事になります。 最後は面倒を見切れずに逃げ出してしまう。 これで相手をがっかりさせてしまう。 これは余計に罪です。 そして、そんなトラウマを若いうちに抱えてしまったら、大損です。 しかし、嫌われ者は、頼りにされません。 実力が無いうちは、その程度が余計な問題を起こさないのです。 もし大人が子供に対して、 他人への気遣いを至上のものとして強制したら? 子供は本能的に自分が弱くなるとおもって悩みます。 「腕白でも良い、逞しく育って欲しい」 昔の父親がこういってくれたので、 男の子は安心して自分の事に集中できたんですよ。 昔の大人と言うのは、 「儲けたら、仲間にはわけたまえ」 「それをしないと、次にいいアイデアを思いついても、相手にされないぞ」 「で、俺が教えるのは、その儲け方だが、聞きたまえ」 こうしていました。 今の大人は、コレができるんですかね? 肝心な部分を伝授されてないですよね。 質問者さんは、大変な洞察をされています。 美しい言葉を並べ、幸せな結婚をしたはずの人達が、 生活費で夫婦不仲になり、 そのあとも惨めな生活を送っています。 漫画じゃないんですから当たり前ですよね。 良い人が食べていける論法はありません。 食べていける人が、良い人に成る論法が昔からあります。 他人に気遣うようにと諭されている人は、お金持ちや、実力者だけです。 そうでない人は、対象にされていません。 金持ちや実力者が他人に気遣うように諭されているのを見て、 他人に気遣うと、金持ちになったり実力者になるのではないかと錯覚した人が 多いんですよ。 これは原因と結果が逆転していますよね? 物凄く頭が悪いと思います。 死に物狂いで自分のために自分を強くし、 他人にそしられて生き、 あとでお返ししますと、心の中で謝って生きる。 これが正しいです。 どうすれば他人に気を使うことあ出来るようになるか? お金持ちになったとき、考えるべきです。 または、大切な女性や子供を養うとき。 この収入を稼げる自信が出来たときです。 それまでは、まったく意味が無いですから、悩まないで宜しいですよ。 女性や子供を養う甲斐性がないのに、優しさだけ溢れていても無駄でしょう? それをどこに使うんでしょう? 人に優しくするためには資格が要ります。 ましてや世の偉人と同じ美しい言葉を語るには、偉業が必要です。 安易にコレを前借すると、 その後の将来はこれを返済する地獄になります。 言葉は、それを使う資格がある人が使うものです。 対人関係で傷つく必要はありませんよ。 まずは、逞しく育ってください。 以上、ご参考に成れば。