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独裁論、とでもいうのでしょうか、どなたか私の考えを

独裁論、とでもいうのでしょうか、どなたか私の考えを聞いて下さいませんか? 私、最近、昔聞いたある言葉に影響されて、この世の全ての書物、映像、人間は、自分に見てもらうためだけに、聞いてもらうためだけに生まれてきた、と思ってしまうのです。 何故なら、この世で意識があり自分の意思で動いている、と確証できるのは私ただ一人だからです。 私以外に私と同じ世界を見ているのは誰もいないんじゃないか、とも思います。 それは価値観の違いに影響するのです。 なんだか宮沢賢治のようになってしまうようですが私と殆ど同じ意見だ、という方はいらっしゃるでしょうか?

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回答No.4

「この世の全ての書物、映像、人間は、自分に見て もらうため」という時点で、間違えています。 その場合の「自分」は、肉体的な自分であって、 唯心論においては、「全ての書物、映像、人間」は 自分自身の内にしかない、というものです。 前者のような考えだと、肉体的な自分の自己チューな 意識を押し通す傲慢さにつながりますが、後者だと、 他人や環境も自己成立の一環として、自己主張や自己 顕示といったエゴのない、他我(自他を同一視する博愛) に至る、認識の深まり(助け合いとしての社会や自然 との物質循環の自覚化による自律的社会行動)を導く。 そしてそれは、最新の物理=量子論的世界像において、 全ての存在は、量子的な不確定性(確率波動)に基づい ており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、 無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化 =物体収縮=宇宙包丁)を想定すれば、相対的に無の風は 光になり、認識体はその光の向うに自我仮説の補完として の時空仮説=宇宙を認識するのです。 即ち「自我仮説」が、本質的定数hの減少の時系列化である時、 それが架空の軸(時間)となって、空間軸と直交基底をなす 事によって、空間的確定=無限不確定性の相補分化(不確定性 原理)を可能にし、本質(超弦)において光速に還元される 階層現象性を表面に(いい加減に)捉える事で派生する非光速 性を、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に相補分化 させ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的 存在(=非本質的有限性)を幻出しているのです。

  • ddtddtddt
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回答No.3

 そういう考えは悪くないとは思います。自分がこの世で唯一無二の存在だと知る糸口になると思うからです。そして他人(自分以外)もそうだと。  ただ自然や他人は、あなたが見ていなくても存在していると思えませんか?。けっきょく決定打にはなりませんが、そういう傍証はごまんとあるはずです。そして自分以外も、唯一無二の存在です。

回答No.2

 はじめまして。  賛成率で言うと30%ぐらいかな、と思います。  自分が「この人は間違いなく物事に対してこういう認識を持っていてそれを元にこういう考え方を持って、それで行動するんだな」と完璧に理解できるのは自分ひとり。親兄弟といえども例外ではない。それは同じです。  ですが「自分に見て(聞いて)貰うためだけにこの世のすべては存在する」というのは間違いでしょう。小説なら小説で「なんでこの主人公はこんなことをするんだろう?」と思ったことありませんか?漫画なんかでキャラクターのあまりに突飛な行動に大笑いしたことはありませんか?それはとりもなおさず「自分にはおよそ考えもつかない」ことを小説や漫画のキャラクターがしているからですよ。つまりここに「自分とは別の考え方をしている人間」を認識する(せねばならない)現象があります。もちろんそれらを実際に考えているのは、その作者なわけですが。  つまり、貴方と同じように、正確には自分自身しか理解していない人間が、知ったような顔をして自分以外の人間を「この人はこういう人」とラベリングして、よく知らないまま作られた60億人からなる人間たちのネットワークがこの地球です。考えたらものすごく恐ろしい。「意見の食い違い」の発生する原因がここにあります。  この意見の食い違いを何とかする方法が、話し合いであり、多数決であり、暴力であるわけです。世の中には、何でも話し合いで解決することが絶対正義だと考える人たちがいます。彼らは自称平和主義者です。  ですが、話し合いさえすれば何でも完全な合意に至ることができる、という考えは、話し合えば「完全に同じ考え方」を持つことができるということを意味します。しかし、実際には貴方が考えるように、そして私が上で述べたように、人間が複数いる場合それらが完全に同じ考え方をすると言うことはあり得ません。  しかし「話し合い至上主義者」たちは話し合えば絶対に同じ考えに至ると考えていますので、意見が一致しないのは相手が「絶対正義」である話し合いに乗る気がないからだ、と考えます。ここに「自分と考えが違う相手=絶対悪」という等式が成立します。話し合えば自分と同じ考え方に至るはずなんですから、自分とは違う考え方をしている人間は、考えが足りないのです。ですから話し合い至上主義者たちは常に「アホなお前らを俺が啓蒙してやる」という態度で他人と接します。話し合い至上主義者がしばしばやたら「偉そう」なのはこのためです。  そして話し合い至上主義者たちに取ってみれば、自分が啓蒙してやれば相手は目から鱗をボロボロと落として「ああ貴方の言うとおりだ!私は今まで間違っていた!」と言うのが当たり前ですから、それ以外の反応を返す人間は話し合い至上主義者たちにとって「アホ」であり「絶対悪」です。そして自分たちは絶対正義なのですから、少しでも意見が異なる人間はこの世にいてはいけないのです。教化して考えを変えさせるか、あるいは殺すしかないことになります。  かくして、独裁というのは実は「話し合いさえすれば複数の人間が全く同じ考え方を持てる」というところをスタート地点にした人たちによってもたらされます。最終的には何らかの強制力=正当性を与えられた暴力によって決めるしかない、とある意味「諦めた」人たちの方が、社会を平和に営めるのです。  というわけで、実は貴方は独裁からかなり遠いところにいます。

  • hymat
  • ベストアンサー率58% (95/162)
回答No.1

一般的には主観論とか唯心論とか言いますね。 もう少し勉強した方が良いでしょう。 なぜ、あなたはここで質問したのですか? 他の人も意思があって動いている、ということを知っている証拠ではないでしょうか? 自分が知覚できなくても、意思があるように見えるのならば、それが意思なのです。 なのに、わざと他人の意思を無視して、自惚れた世界に逃避しようとしていますね。 誰だって価値観は違いますから、あなたと同じ世界を見ていなくて当たり前です。 そんな人に会うことはありますが、わがままを押し通すための口実に過ぎません。 あなたに必要なのは、自らの意思で行動することです。 ファンタジーに浸っていないで、その御大層な意思とやらを証明するのです。 そんな古びた素朴な思想に影響されてしまうようでは、たいした意思とは言えません。

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