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河野という名字のルーツと瀬戸内海沿岸の河野氏について
- 河野という名字のルーツとは何なのか、私の名字が元々「小川」だったという話もありますが、いつ変わったのか詳細は分かりません。
- 瀬戸内海沿岸の河野氏について、戦国期には愛媛県に勢力を持つ河野氏が存在していたそうです。また、私の家族も船を用いて業を営んでいたため、海との関わりがあります。
- 推測ではありますが、明治時代になり瀬戸内海沿岸の要職に就いていた河野氏が勢力を持っていた可能性があります。そして、明治3年には平民も苗字を持つことが許されたため、近辺にいた平民たちが河野を名乗るようになったのかもしれません。
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家系図がないとのことですが、 とりあえず、明治まで調べて確定されたらいかがですか? 直系本人であれば、役所行けば簡単に遡った戸籍を手に入れることができます。 (多少、手数料かかるけど) 明治初期に生きてた人は、江戸時代後期の生年月日が、大抵わかります。 私の母は戦前生まれですが、ちゃんと朝鮮のどこで生まれたかまで、書いてあります。 母のひいじいさんは、北海道開拓使だったのも、ちゃんと書いてあります。 配偶者が、どこから来たのも分かります。 先祖が何人兄弟で、実は幼児死亡がいたとか、どこで生まれた、どこから引越してきた、どこへ引っ越した、どこに嫁に行った。 とか、分かります。 私は、数年前に興味本意で、明治からの全戸籍を取り寄せました。 父母ともに、自分たちが伝え聞いてたのと全然違っていました。 次にやったのは、 戸籍から発見することができた、 先祖が同じだが全然つき合いのない、超うすい血のつながりの人達に、 かたっぱしから手紙書きました。 (戸籍の旧名住所は、役所に問い合わせすると、現在名の住所を教えてくれます) 手紙の返事は2人からもらえました。 先祖の所縁の古い墓を紹介してもらって、 私の行ける範囲にある、墓石を見に行きました。 江戸時代以前なのは分かりましたが、 文〇〇年らしく読めましたが、ボロボロ、コケ生えてて、 その他の記載は判別つきませんでした。 そこで、住職に過去帳を調べてもらい、できるだけの情報をもらいました。 (御布施しました) こんな感じで遡って家系図作ると、何か見えてくるのでは? 特に有名なご先祖だと、色々出てくるのでは?? 直接、河野氏の情報でなくて、申し訳ありません。
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- sara7
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愛媛県松山市の記念館だったと思いますが、河野氏に詳しい人がおられます。 まずは、市に連絡されて確認してください。 ちなみに、河野・村上水軍は子弟関係だったみたいです。 山城は、道後温泉裏山周辺に当たります。 頑張ってくだ~い(^^)/
お礼
回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます!! 愛媛県松山ですね!
- あずき なな(@azuki-7)
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一応愛媛県には河野氏本家の末裔が居ますので 明治に周りの平民が勝手に河野を名乗ることは無かったと思います (元々別の場所に住んでた全く関係ない河野さんがたまたま明治ごろこの地に住み着いた可能性は有りますが) 知り合いに来島と言う苗字の人が居ますが この人は河野水軍の流れを汲む来島氏の末裔のようです
お礼
回答ありがとうございます。 来島というと村上水軍の来島村上の流れではないでしょうか。 愛媛県には河野家の末裔がいるのですね! 貴重な情報ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど。。。 戸籍で明治ごろまでさかのぼることができるのですね。 わかりました。まずはそこからたどっていこうと思います。