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昔の農業の労働と貧困の実態
- 昭和初期の秋田の田舎は貧しく、一日中重労働であり、冬も忙しい生活でした。電気、水道、ガスもなく、低賃金で貧しい暮らしをしていました。
- 昔の農業では、フェンシングのマスクのようなものをかぶって雑草を刈り、紙や植物を乾燥させたものをトイレットペーパーとして使用していました。
- 昭和10、20年代に生まれ育った母親の母は、農家の大変さを身をもって知っており、自身の子供を農家にしたくないと思っていました。
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私の子供の頃(昭和初期)は、親戚の農家は今のような機械化がされておらず、鍬や備中で手作業したり、牛に引かせて耕していました。 でも、サラリーマンの我が家より広い土地を持ち、大きな屋敷に住んでいました。 昔の農家はみんな新しくて大きな屋敷に住んでいましたよ。 〉昭和初期のころの秋田の田舎は貧しく、一日中 重労働だったし 秋田は知りませんが、一日中重労働なのは今も変わりません。 〉電気、水道、ガスもない生活 娯楽もなし 明治、大正じゃあるまいし、電気はありましたよ。水道はある家もあったけど、親戚は井戸でした。モーターで汲み上げていましたよ。 〉低賃金 貧しい・・・ 自営なので賃金はありません。 〉昔はフェンシングのマスクのようなものをかぶって目を保護して雑草を刈ったとか 逆に今です。エンジン刈払機を使うときは剣道のお面や分厚いビニールの前掛けで石などが飛んでくるのを防御します。 〉ガソリンなどを使用した機械がなかったとか 無かったですね。脱穀も足踏みでした。 〉トイレットペーパーは、新聞紙や学校の紙、もしくは植物を乾燥させたものだったとか それは間違いです。ちり紙を使っていました。今のようなロール状ではなく、25cm四方のカット紙です。何枚か重ねてつかいます。 よほど偏見の入った情報だと思います。
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- SangoJugo
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日本の農家の労働がきつくなったのは,17~18世紀頃です。 新田開発が進み農地拡大の余地がなくなると,農家は労働の密度を上げることで生産性の向上をはかったのです。 ただしこれは,労働が増えるばかりでなく,それによって農家の生産性と所得が飛躍的に向上しました。 米の裏作に商品作物を作るようになり,農家の収入は増えるいっぽうで,幕藩体制下の徴税システムが商品作物にはうまく適用できず,農家と商人の丸儲けになったようです。 つまり,農民は豊かになった。 これを産業革命(industrial revolution)と比較される勤勉革命(industrious revolution)といい,日本独特の歴史イベントなのだそうです。 詳しくは,速水融著『近世日本の経済社会』を。