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新撰組永倉新八はなぜ逮捕されなかったのでしょうか

永倉新八は激烈な戦闘の中で生き延びましたが、なぜ自殺もしなかったのでしょうか。また新政府によって逮捕や尋問もされなかったのでしょうか。

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  • oska2
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回答No.4

>永倉新八は激烈な戦闘の中で生き延びましたが、なぜ自殺もしなかったのでしょうか。 新選組が、既に機能していなかったからでしようね。 鳥羽伏見での戦いの後、もとの松前藩(江戸屋敷)に帰藩して再び戦いの機をうかがっていた様です。 新選組としてでなく、元新選組としての戦いですね。 が、永倉新八を「仇」と狙われている事を知り、松前藩医・杉村松柏の養子となり北海道の松前町に渡ります。 この時点で、新選組とは袂を分かれます。 土方歳三が函館で戦死しましたが、この時点で既に(永倉新八は)いち個人になっています。 大義が無くなったのですね。 自殺(切腹)は、武士が行うものですよね。 が、切腹は「罪を犯した者が、自ら責任を取る。死をもって償う事」です。 永倉新八は、罪を犯していません。 戦闘時には、お互いは「殺人罪には、問わない」のです。 >新政府によって逮捕や尋問もされなかったのでしょうか。 函館戦争終結までに捕まっていれば、尋問されたでしようね。 特に、旧長州藩士にとっては「憎んでも、憎み切れない相手」です。 ものすごい拷問が、待っていた事でしよう。 ただ、明治政府は「封建制度から近代国家へ」という政策がありました。 国際法に従って「旧幕府軍関係者の罪を、免除」しています。 会津藩主の松平容保は、日光東照宮の宮司になっています。 旧函館政府高官も、明治政府の高官として近代日本に向けて活躍しています。 明治政府は、近代化の為に「イギリス」「フランス」と重要な関係を持っていました。 ※幕府側は、フランス。倒幕側は、イギリス。維新後、フランス・イギリスも新政府側についた。 「国際法に従った対応」を、フランス・イギリスからアドバイスを受けた様です。

kaitara1
質問者

お礼

いままで考えもしなかったいろいろなことを教えていただきました。一つ一つためになるお話でした。

kaitara1
質問者

補足

永倉以外に同じような身の処し方をした元隊士はいなかったのでしょうか。

その他の回答 (3)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

死ぬ理由はひとつもないですからね。元々新撰組のメンバーは武士ではないですし、徳川家の家臣でもありません。会津藩に雇われた非正規雇用の臨時職員です。義理立てするとしても松平容保に対してであり、その容保も処罰されることなく後に華族(貴族)として序せられています。 新撰組のメンバーは、その象徴であった近藤勇と土方歳三以外はほぼ不問にされています。斎藤一なんかは後に警察官になって西南戦争に政府軍側に参加、最終的には勲七等青色桐葉章という勲章を授与されています。

kaitara1
質問者

お礼

なるほどですね。新撰組の隊士の名には義理立てなどにこだわる人が多かったのではないかと思っていましたが、人それぞれですね。

kaitara1
質問者

補足

お礼欄の名は中のミス入力でした。ごめんなさい。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

日本人は、民族の同一性が強いので、的を根絶やしに する、という考え方が無いのです。 だから時間が経てば不問に付する、ということに なります。 将棋で、取った駒が使える、なんてのもその一環です。 靖国神社には、敵兵さえ祀られています。 靖国以前に、日本人は死ねば敵兵だって祀る、という ことをやってきました。 そういう民族なのです。 なぜ自殺もしなかったのでしょうか   ↑ 自殺する理由が無いからです。 総大将である慶喜が生きのびています。 徳川幕府は、大政奉還しました。 殉死する理由がありません。 白虎隊が自決したのは、お城が燃えた、もうダメだ と誤解したことが原因です。 また新政府によって逮捕や尋問もされなかったのでしょうか。    ↑ 旧幕臣の罪は不問に付す、とのお触れが出されました からね。 榎本武揚などは、その後政府高官になっています。

kaitara1
質問者

お礼

一つ一つよくわかりました。榎本さえ切腹しなかったのですから、永倉が切腹しなかったのもわかります。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

歴史に詳しいわけでもなく、TVドラマの新選組を見ただけですけど、 >>なぜ自殺もしなかったのでしょうか。 別に生き延びたから恥って考え方は無かったようです。 >>また新政府によって逮捕や尋問もされなかったのでしょうか。 あの当時は、どっちが正義でどっちが悪って言い切れない時代のこと。 また、武士どうしの戦いであれば、負けたとき、首謀者のクビをさしだせば、残りの人たちの罪は問わないってことも多かったと思います。 新選組に対する新政府の姿勢もそんな感じだったように思えました。 また、中国やヨーロッパの「敵は皆殺し!」ってのは、日本ではあまりやりませんからね。

kaitara1
質問者

お礼

かえって昭和時代の軍人のほうが死に急いでいたのかもしれないと思いました。

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