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衆愚制からの脱却

衆愚制って、歴史的には僭主制への移行が多いですね。 日本は独裁制に移行しにくいとはいえ、中小企業など現在では一部風潮があったかと思います。 プラトンの3つの混合体はローマ帝国やアメリカなどで用いられたりしてますが、衆愚制になった場合、どこへ行くのがいいのでしょうか? 民主制の回復か、寡頭制に行くかなど。

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  • trytobe
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回答No.1

衆愚制は、「多数決」の弊害だと思っています。問題の解決法を議論するでも相談するでもなく、「あの人に丸投げしておけば大丈夫」という人を50%超で味方にできたら勝利、という。 立法府の議員はそういう選ばれ方をする可能性が一番高く、人数合わせで集まった人間が議論を避けるモラルハザードは起こしやすいため、その議論の部分を補うために、司法府に衆愚制を持ち込ませない、というのが最後の砦なのかと思います。 日本の場合、立法府の一員である政党党首が、行政府の長である総理大臣に任命されるような、大臣を国会議員から任命する「立法府と行政府の混同」が起こりやすい運営をしていますから、この大臣の専任でアメリカのように民間のその分野の専門家を入れるくらいの度量がないと、三権分立どころか司法権分立すらも危うい「戒厳令状態」の国になりかねませんものね。

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