• 締切済み

昭和天皇の《人間宣言》=《現人神ではない》か

 1. 問われるのは 次のくだりだと思われます。  ▲ (《新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ》) ~~~~~  https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B …  (あ) 朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、  (い) 終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、  (う) 單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。  (え) 天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、  (お) 且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス  (か) トノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。  ~~~~~~~~~~~~~~~  2. (あ)の《天皇と国民との間の紐帯》は (い)の《終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ》ているという基本だけを言っていると確定できますか?  3. (い)以外の説明は 《~~二非ズ》であるのだから 基本的には考慮する必要のない付け足しですか?  4. つまりたとえば (う)について次のような読みは 生じませんか?  天皇と国民との間の紐帯は 《單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ》ということは 《深い意味における神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノ》なりと言えるような気がしないでもありません。  5. 《(え) 天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トする・・・(か)トノ架空ナル觀念ニ基クモノニモズ。》と言うのならば 天皇と国民との紐帯は《天皇ヲ以テ現人神とする》《トノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ》  そうではなく《現実の生活と社会と歴史に基づくものなり》と言っているように聞こえる。それが  (い)の《相互ノ信賴ト敬愛》のことであると。  5-1. すなわちここでは 見方が二つに分かれる。  (き) 天皇と国民との紐帯は 《天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)ト》する《架空ならざる実生活と歴史にもとづく》と言っているのか? それとも  (く) 天皇と国民との紐帯は 《天皇ヲ以テ現御神ト》する《トノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ》  そうではなく 《現実の歴史の上に築かれたもの》であると言っているのか?  6. 次のような解釈の選択肢が考えられまいか。  (け) 天皇は 神である。ただし ほかの民族の言語における神という言葉とは 別である。(⇒ どう違うか?)  (こ) 天皇は 人間と成った神である。(=アキツミカミ・アラヒトガミ)。  (さ) 天皇は 人間である。神だと言ったりするのは 言葉のアヤである。  (し) だから もともと神であると言った(自称した)ことはないのだから みづからの口から 《神ではない》という言い方はしなかっただけだ。  (す) 自称したかはどうかはいづれであれ 世の中における現実として《天皇はアラヒトガミである》と思われていたからには これを否定しようとした形跡がある。ただし よく読むと はっきり否定したとは読めない。いまもアラヒトガミであるのだろうか。  7. さらに次のような解釈があり得ないかどうかというふうに問えるかと思います。  (あ) 天皇と国民との間のつながりは  (い) 互いの信頼と敬愛とによって結ばれ  (う) 単なる神話と伝説とによって生じたものではない。  (う‐1) もっと深い実生活に根差した神話と伝説の内容として息づいたものである。  (え) 天皇を現人神とし  (お) その上で日本国民についてそれは他の民族に優越しており 延いては八紘一宇というごとく世界に君臨することになる民族である  (か) といった架空の観念に基づくものでもない。  (か‐1) 《架空の観念》ではないのだ。紐帯が《(か) 架空の観念に基づくものでもない》ということは (え)や(お)なる観念があったとしてもその観念でつながるのではない。  (か‐2) 生活に根づいた神話としての現実の上に紐帯があり その中に(え)の現人神の神話もある。(お)は 世界の現実としてその成りゆく自然史過程の内にある。

みんなの回答

noname#221368
noname#221368
回答No.2

 象徴天皇という言葉の是非はおいときますが、世界には象徴のままでけっこう上手くいってる王族もけっこういる気がします。  例えばイギリスに憲法はなく、実定法に基づいて「ゆる~く」やってると思いますが、ウィンザー朝の国家元首は政治に関わらない事を原則として、実生活に基づいてかなり国民から愛されてると思います。政治的な重みは、日本の場合よりちょっとだけ重そうですが。  今上天皇(って言うんですね、調べて初めて知りました)も先代も、被災地なんかを訪れた時には、(現人神ではなく)やっぱり非常に慕われてるように感じます。自分が会ったときに、どう感じるかはわかりませんが。

bragelonne
質問者

お礼

 《人間宣言》をしようがしまいが 制度としての・象徴としての天皇であれば それでよい。という意味でしょうか?  俗に言う《人間宣言》でほんとうに《神ではなく人間である》と言ったかどうなのか。そんなことは 二の次である。  外国の元首を謁見し ふくしまやくまもとに行くならば それでじゅうぶんだ。というご見解でしょうか?  ででてででてででてさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  まぁ 現実は 日が昇り日が沈めばそれなりに過ぎて行きます。  やがて むしろ自然史過程として秩序どおりになるでしょう。  それよりも 何で《人間宣言》と言うのか?  そのように見えるが 果たしてそうか?  そのことに集中して知りたい思いです。  今上天皇もしくは平成の天皇と呼ぶそうです。  逝去した場合には 昭和天皇 大正天皇・・・と呼ぶようです。

noname#219145
noname#219145
回答No.1

そう・・・ で?・・ 天皇が 国家を担ってるのかな? 国会や政治にも口出しする事が出来ない・・ 公務と言っては スポーツ観戦が殆ど・・ 日本の象徴として 立たせては貰ってるが 日本の主体として立たせて貰って無い・ 謂わば 飾りの人形・・ そろそろ 天皇家も 其処を気づいて 行動を起こさないと 何時まで経っても 操り人形のまま・・ ・

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 何時まで経っても 操り人形のまま・・  ☆ を脱することは 無理でしょうね。  でも 外国の元首や行政府の長を謁見することがあります。国事行為です。  ご回答をありがとうございます。  将来どうなるかにあなたは焦点を当てたのですか。  そうですね。ここは まづは(6)ないし(7)の選択肢の中から(あるいはそのほかに独自に)結論を決めてください。という問いにはなっています。どうですか?  将来のことと言っても すでに主権在民ですから・そしてこの民主制は ちょっとやそっとでは昔に戻ることもないでしょうから 過去もしくはいまある問題についてしっかりと考えておくのがよいと思います。

関連するQ&A